能天気なアメリカ人

今日はついにVerisignがNetwork Associates(じゃなくてNetwork Solutionsです。頭をかきつつ修正11/5/03)を売ることが発表された。CNETのVeriSign sells off domain registrarなど。

というのは置いておいて、能天気なアメリカ人の話はEconomistのInequality:Would you like your class war shaken or stirred, sir?へ。(よくわからないが多分有料)

本題はアメリカの金持ちはどんどん金持ちになって、貧乏人との格差が開いている、という話。タイトルはイギリス人らしい風刺のきいたもの。マティーニにかけて、Class War (階級格差戦争)がshaken=揺すぶられるのがよいか、stir=かき乱されるのがよいか、と聞いているわけだ。(もちろん、どっちも嫌なこと。)

いわく、1998年の調査では、年収ではトップ1%が全体の15%を占め、アセットではトップ1%が全体の38%を占有していると。

が、しかし、その内容はさておき、一番面白かったのは次の一文。

Interestingly, Americans are usually over-optimistic about their chances of promotion. An opinion poll a couple of years ago found that 19% of American taxpayers believed themselves to be in the top 1% of earners. A further 20% thought they would end up there within their lifetimes.

笑える。国民の19%が「自分は国でトップ1%の稼ぎ」と思ってるのだそうだ。さらに、その次の20%も「一生のうちいつかはトップ1%の稼ぎができる」と思っている。つまり、国民の2人に1人近くが「今既に、もしくはやがて、大金持ちになれる」と信じているのである。

記事にはグラフで、国で下から10%の人の稼ぎと、上から10%の人の稼ぎが出ている。それをみると、上から10%の人の一家あたりの年収は20万ドルちょっと。約2200万円くらい。ということは、上から20%だったらまぁ1500万と2000万の間であろう。もちろん、それだけの収入があれば、シリコンバレー以外の殆どのアメリカでは相当にリッチな暮らしができ、日本人の感覚ではお屋敷と呼んでもよい豪邸に住めるのは確かだ。しかし、それで「国でトップ1%」と思うとは、いくらなんでも能天気ではないか。

不幸に気づかないアメリカ人 幸せに気づかない日本人 という本を小林至さんという人が書いている。どうも彼はとてもアメリカが嫌いなようだが、それは置いておいて、このタイトルはパラドックスだなぁ、と思った。

「全てのクレタ人はうそつきだ」とクレタ人の哲学者、Epimenidesが言った。これが本当なら彼の言っていることは嘘で、だとすれば彼の言っていることは本当で、、、、という堂々巡りがパラドックス。

「不幸に気づかない」ということはすなわち幸せだ。「幸せに気づかない」ということは不幸である。ということは、「幸せなアメリカ人、不幸せな日本人」について書いてあるのかと思いきや、どうも中身はその逆のようだ。でも、ということは、不幸に気づかない人は実は不幸で、幸せに気づかない人は実は幸せ、ってこと?それは変だ。

幸せは遺伝形質である、という論文を以前精神医学系の雑誌でみたことがある。「その人に起こること」と、「その人がそれをどう感じるか」の間には、実は深い溝があるのは誰もが感じるところだろう。何があっても満足できない人と、何もないのに何だかいつも楽しそうな人と世の中には二つのタイプの人がいる。で、それは遺伝で決まっているのだ、と。不幸に気づかないような性格に生まれついたら幸せ、逆は不幸せということだ。

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ちなみに、日本でも紙ベースのEconomistを購読していたのだが、その頃Economistの日本オフィスで働くイギリス人の人と話していたら、彼いわく、日本の購読者は3000人しかいないとのことだった。本当だろうか。本当だろうなぁ。すごい雑誌なのに。「経済の神様が天国から降りてきて毎週一回出版する雑誌だ」と豪語する知人もいたが、それくらい異様に濃くて目からウロコの内容に満ちていて、しかも風刺が効いている。しかし、その異様な濃さゆえに、nativeのアメリカ人で、相当な速読ができる人でも、毎週毎週とても読みきれないと嘆いている。

ビジネススクール時代、Romerという将来のノーベル賞候補らしき経済学者の人が先生のマクロ経済を取ったのだが、その授業ではEconomistの購読が義務だった。(学生割引なるものがあった)が、よくRomerは「この記事はこう間違っている!」と指摘し、「Economistの間違いが指摘できるぐらいのレベルに早くなれ」と生徒に言っていたが、私にそういう日が来るのはいつのことやら・・・。

なお、Economistに比べるとBusiness Weekは随分軽量級(量ではなく、読み応えとして)。この間のエントリーで、Business Weekに載っていたMBAの平均年収の記事の話をしたが、この記事では、わざとMedianじゃなくてAverage(mean)を使って平均年収が高くなるように見せて、センショーナル度を増していた。相当確実にわざとだと思う。いくらなんでもこの手の平均でmedianを使うのは常識だ。

Economistだったら絶対こういう「お里が知れる」ことはしないだろうなぁ。

Lost in Translation再び・・・

映画のLost in Translationであるが、アメリカ人の間では「日本人に対する人種差別的」というコメントも結構あがっているようである。というのは、インターネットの映画フォーラムなどの話。あまりに変なオモロイことがあって、これはきっと差別的表現だ、ということらしい。しかし、私の思うところ、この映画は「本当に日本そのまま」。

日本は、日本を知らない人にとっては、まさかと思われるほど笑えることがたくさんある国ということか、と個人的にはそう思った。私のエントリーにコメントしてくださった東海岸在住のtigressさんもこの映画を見て「ホームシックになった」とおっしゃっているので、それはつまりそれくらい真に迫っているということでありましょうか。

あと、私が思ったのは、「この映画が表現している寂しさは、別に日本に異邦人としてやってきた外国人じゃなくて日本で生まれ育った日本人でも感じる寂しさじゃないのか」ということ。周りがみんな和気あいあいと同じことを楽しんでいるように見えるのに、自分は違う、という感じがするからか。このあたり、桐野夏生のグロテスクにも通ずるところがあるような気がする。

ちなみに、アメリカでの映画サイトとしてはこんなのが。
Rotten Tomatoes
スター的評論家から、無名の人まであまたの映画評論家の評論を一堂に集めている。で、評論に加えそれぞれが映画に点数をつけているのだが、その合計平均が60点を越えるとfreshトマト、それ以下だとrottenトマトのマークがつく。ちなみにLost in Tranlationは95点で堂々のfreshトマトさんである。

笑えるところではFour Word Film Review。4語以下の映画批評を広く募っている。殆ど流れ星のような、もしくはF1レースで目の前をレーシングカーが過ぎ去っていくような、そういう長さのレビューである。これだったら不特定多数の人に書き込んでもらっても、大したバイト数にならないという利点もありますね。

意訳

以前、accountabilityは「落とし前をつける」と訳すのがいいんじゃないか、というエントリーを書いた。

一方、Paternalismというエントリーを2日前に書いたが、この中で書いたThe road to hell is paved with good intentionsに関しては、私なりの日本語訳は「ゴメンで済むなら警察はいらない」だ。つまり、どんなに善意・誠意があったとしても、結果がだめだったら問答無用でだめだということ。

“accountability”と”The road to hell….”は密接に関わっていて、accountableな人はgood intentionがあるだけではだめ。どんなにプロセスに善意がこもっていても、辿りついたところが地獄というのはaccountableでない証拠。つまり、本当にaccountableな人がいれば、善意で舗装された道を通って地獄に至ることはないのである。(他の経路では地獄に行くこともあろうが。)

これを、「善意」と「accountability」の有無を縦軸横軸にして、4象限にわけて考えてみる。(・・・・という縦軸横軸発想はMcKinsey時代の後遺症なのだが、まぁヨタ話と思って聞いてください。)

1.善意=ある、accountability=ある:すばらしい!こういう人についていきましょう

2.善意=ない、accountability=ない:近寄るべからず。でも、見るからに嫌なヤツで、実行能力がないのもすぐわかるから、見分けるのは簡単。意外に害は少ない。

3.善意=ない、accountability=ある:目的のためなら手段は選ばないタイプ。利害関係が一致していて、しかもその人がどうしても必要な場合のみに限定すれば付き合えるが、普通は怖いですね、こういう人は。

4.善意=ある、accountability=ない:これが善意舗装スーパーハイウェーで地獄に連れて行ってくれるタイプ。泣かされる。「善意でやっている」というプロセスに重きが置かれ、誠心誠意実行すれば結果は二の次。最後に結果が伴わなくても本人はいたってあっけらかんと「アーだめでしたねぇ、残念です」なんて他人事みたいに言ったり。しかも、善意はあるので、一見いい人っぽく、ついついそばに寄ってしまったりして、痛い目に会う。なるべく早く見抜いて、にこやかに去る、というのが鉄則である。

Dilbertという人気コミックがあるが、その中で、間抜けで怠惰だが憎めない同僚のWallyがプロセス・プライドを獲得する、というのがある。Wallyいわく、
“This week I developed what I call ‘process pride’…I’m very proud of the way I do it.” 
で、このあと、「でそのプロセスの結果、どんな成果が出たんだ」と聞かれると
「一度に2つのこと(良いプロセスと成果)ができる訳ないじゃないか!I am one personなんだから」と怒って答えるコマへと続く。4の人と一緒に仕事をすると、こういう感じになることが多い。

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ちなみに、paternalismを日本語にするときはどうしたらよいだろう。実は何年も時々思い出しては考えているのだが、いい案が浮かばない。「家父長的」と訳すのが普通なようだが、それではaccountabilityを説明責任と訳すようなもので、本当の意味が伝わらない。「傲慢なおせっかい」かな?「尊大で無神経で差し出がましい」かな?それとも、そのまま直訳して「オヤジくさい」か?!うーん、これは明らかに違うなぁ。なんて訳したらいいんでしょうね。

CIA/PentagonゲームでGo!

San Jose Mercury NewsのThe Pentagon’s got game

Increasingly, the Pentagon is joining forces with the video game industry to train and recruit soldiers. The Army considers such simulators vital for recruits who’ve been weaned on shoot ‘em up games.

Even the Central Intelligence Agency is developing a role-playing computer simulation to train analysts.
ということで、軍もCIAも、民間が開発したゲームでトレーニングしちゃおうというもの。

これまでももちろんシュミレータはあったが、一台数億円という高価なハードが必要だった。で、その代わりに、民間のゲーム開発企業に発注しようと。そこでthe Institute for Creative Technologiesという組織をMarina Del Rayに結成。これは南カリフォルニア大学(USC)と、民間のゲーム産業とを束ねようと軍がバックアップしてできた。サイトもちょっとうさんくさいゲーム屋さんっぽい。ゲームに限らずソフトウェアの差別化は人。良い人材をいかに集めるかが鍵なので、ゲーム開発が得手な人の心を引き付けるべく苦心しているのであろう。

CIA向けのほうは、実際に自分がテロリストになってRPG(ロールプレーイングゲーム)をプレー、敵の気持ちを理解する、ということになってるらしい。

NASAが開発した、メインフレームをがんがん回すアプリケーションがあって、一回計算するのにも莫大なコストがかかるというものだったのだが、民間企業サイドでは、同様の計算を普通のラップトップパソコンでできるようなアプリがとっくにできていた、なんて話もある。コア技術開発は政府研究機関や大学で行い、アプリケーションレベルになってきたら民間の力を活用する。これ、常識ですね。

Paternalism

ついにSchwarzeneggerが州知事になってしまうようだ。とりあえず現状の開票結果では「当確」で、日本だったらダルマに目が入る。やれやれ。

気を取り直して、「Paternalism」という英語について。

先週、ラジオのKQEDでDo Not Call Listの話をしていた。

まず、本題に入る前にKQEDというラジオ局について。サンフランシスコベースなのだが、National Public Radio(NPR)と提携してNPRの番組に加えて、自分の局で作成した番組を流している。

NPRは、全国規模の非営利団体で、良質なニュースとコメンタリーを配信。ニュースも面白いし、科学や政治など最新の深い話題も、その道のプロを呼んで来てわかりやすく興味深く語ってくれる。それに、時の人からそれほど有名じゃない人までいろいろと呼んでインタビューをする「ラジオ版徹子の部屋」のFresh Airも秀逸。人選もDavid Bowieからノーベル賞受賞者までいろいろいてカラフルだし、聞き手のTerry Groseという女性のグイグイと核心をつく質問もよい。運転しながら聞いていて、目的地についてもついつい駐車場にとめた車の中で聞き入ってしまうことも何度かある。

KQEDの独自プログラムでは、朝「Michael KrasnyのForum」というのをやっているのだが、このKrasnyオヤジは中々侮れない。とにかく異常な物知りである。文化芸能から政治、経済、外交、環境問題に至るまで、ありとあらゆる話題でプロのゲストスピーカーを4-5人集めてきて、喧々諤々の討論の司会をする。それも毎日、だ。

一度Michael Krasny本人に話を聞くショー、というのがあって、それで彼自身が言っていたのは、とにかく本を読むこと以外に何の趣味もないんだそうだ。家族には「You don’t have a life」と言われていると。ガツガツとありとあらゆるジャンルの本を読みふけっているんだそうだ。

で、そのMichael Krasnyの番組でDo-Not-Callリスト合憲・違憲問題についての討論があった。「Do-Not-Callリスト」とは、掲載希望者の家にはセールスの電話がかかってこないようにする、というもの。(アメリカの電話セールスは激しいのだ。おちおち食事もできない)最近始動し始めたのだが、リスト掲載希望者の受付を始めるや否や、莫大な数の人が殺到して受け付けの電話もウェブサイトもパンク。あわてたのは、テレマーケティング業界で、死活問題とばかり政治力を激しく行使、さらには「電話をしてはならないとは、言論の自由に反する」として違憲の訴えをし、一旦違憲判決が下されたところ。で、その違憲判決は何を持って下されたのか、いったい何がissueなのか、ということを討論したのが10月1日の回であった。

Michael Krasny: Forumのページで過去の番組のストリーミングが聞ける。10月1日9時からのDo Not Callというのがそれ。で、始まって17分目くらいのところでCode and Other Laws of Cyberspaceの作者で新米パパでもあるLawrence Lessigが「法的にみて何がissueなのか」について語っている。ちなみに、first amendmentと彼が連呼しているのは「言論の自由」のこと。(雑学的に、法律の番号繋がりでいうと、take fifthといったら「黙秘権を行使」という意味。これは口語で時々使われるので覚えておくと便利。)

さて、Lessigのポイントは「Do-not-call listは、リスト掲載者に対し、商業事業者は電話をしてはいけないが、政治家と非営利団体はOK、というルールがある。これが問題。一般消費者の意思ではなく、政府が勝手(Paternalistic)に決めたルールを押し付けるのでは、消費者(国民)の選択の自由を奪う。国民が何を聞いてよくて何を聞いてはいけないかを国が決めるから言論の自由に反するのだ」ということ。

と、ここまで書いてやっと本題のPaternalismであります。
(うーむ、この冗長さは、我ながら、200ページ以上主人公が出てこないアンナカレーニナのようだ・・・)

「Paternalism」と私のClieに入っている研究社辞書で引くとこう書いてある。
「(国民・従業員などに対する)父親的態度、家父長主義《父親的温情を示すが、権威・責任は崩さない態度・主義》」
ううむ、全然違う!こういう意味も恐らくあるのだろうが、通常は悪いニュアンスでしか使われない。例えば同じClieに入っているAmerican Heritageの意味はこうなっている。
「A policy or practice of treating or governing people in a fatherly mannner, especially by providing for their needs without giving them rights or responsibilities
太字にしたところがミソなのである。「相手の自由意志を尊重しないで勝手に決めちゃう」ということがpaternalism。自由意志を認めないということは大いなる罪であるがゆえに、paternalisticなことをしちゃいけないのだ。だから、今回のdo-not-call listも「paternalisticだから言論の自由に反するから違憲!」ということで議論になっている。

常々思うのだが、「言葉がない概念は理解できない」。日本語にはpaternalismに該当する概念がない。だから、みんな気も遠くなりそうなpaternalisticなことをする。(あなたはpaternalisticだ、といわれたら「ふふーん、お父さんみたいで頼れるってことかな」などと悦にいる人もいるかもしれない。)「良かれと思って」本人の選択も聞かずに勝手に何かを選ぶ、ということが平気で行われる。もちろん、「かわいそうだから」「大変そうだから」という親切心で、善意に基づいて取られる行動なのだと思うが、きちんと判断力を持った人間に対し、その自由意志を聞かないのは罪ではないか。

The road to hell is paved with good intentionsという諺がある。直訳したら、善意が積み重なって地獄に行く、ということだ。一生懸命よかれと思ってしたことでも結果が悲惨では意味がない、というようなニュアンス。人間はみんなそれぞれ違う趣向があるんだから、勝手な善意で相手の自由意志を尊重しないのは地獄への直行便なんである。

17才だったら再び

「17歳だったら何をする」とダンナ(アメリカ生まれである)に聞いたら「どういう意味だ」。

うちのダンナは話の流れや雰囲気に基づく曖昧な問いに答えるのが苦手である。類推ということができないらしい。例えば、親戚のおばさんの話をずっとしていて、その流れのままに「で彼女は何歳になったの」と聞いても「誰が?」と聞き返したりとか。おばさんに決まってますがな。

「つまり明日の朝目が覚めて、で17歳になっていたとしたら、そのあとどうするってこと」
と聞きなおすと、
「友達に電話して遊びに行く。」
「・・・・・・(気を取り直して)そうじゃなくて、今もってる知識そのままにもう一回17歳になったら、キャリアも含めてどういう人生を組み立てるかってこと」
というと、「君の質問はいつも定義が曖昧だ、ブツブツ」とかいいつつ答えは
「まずいろいろとインターンをする」なんだそうだ。

この国では高校生でも夏休みにインターンができるらしい。彼は技術系・アカデミア系のインターンしかしたことがなかったのだが、今17歳だったら金融とかもう少しビジネス系のことも試してみようと思う、とのこと。
「それって、高校生が『ちわっ、インターンしにきました』とかいって登場したら使ってもらえるもんなの?」
と聞いたところ
「無給だったら大抵OK。もちろん大事な仕事なんてさせてくれない。ファイリングとか、そんなことだ。でもそれで結構その仕事の一端が垣間見られるからいいんだ」
とのこと。

うーむ、そうか、高校生かつ無給でよければいろんなところにもぐりこめるのか。もちろん、紹介とか学校の先生の推薦状くらいは必要かもしれないが。フレキシブルにできているんだな。

フレキシブルといえば、現在の私の友人たちの働き方もしごくフレキシブルである。毎週金曜に夕食を一緒にする6組の家族がいるのだが、いつも誰かしら仕事をしていない。今日現在で言えば、一組=夫婦ともリタイア(っていっても、38歳と35歳です)、一組=仕事と仕事の間で充電中(2人とも今年の初めに前の仕事をやめて、今は子育てとゴルフと新しく買った家のインテリアを揃える事に専念)、もう一組は、ダンナは会社が最近買収されたのでこれを機に転職活動中、奥さんは在宅勤務で弁護士業、もう一組は奥さんが産休中、二人ともフルで働いているのは我が家ともう一組(ダンナ=UC Berkeleyの教授、奥さんYahoo!)だけである。リタイアした組は別として、workforceというカテゴリーを出たり入ったりしながらやっていく、という働き方が、少なくともここシリコンバレーではかなり普通になっている。

不安定といえば不安定だが、シリコンバレーだけでなく、いろいろなところで将来こういう働き方がだんだん増えていくだろう。企業側も競争が増す中で人材コストを固定費化したくないだろうし、人材側も一つの企業と心中するより、その時々に応じて自分の能力が最も必要とされるところで働くことを望むようになるはず。雇用側、被雇用側の両方が長期雇用を望まなくなれば、人材の流動化が進み、そうすると必ず余剰人員がでる。

そういう時代になると、「これはまかせて」という特技がないと、なかなか世の中を渡っていけない。高校生の頃からインターンなどしつつ、「私は何が好きで何が得意なんだろう」とあれこれ試行錯誤しながら手に職をつけるのが、世のため人のため、そして自分のため、なんでありましょう。

エキゾチックなできごと

今日、Lost in Translationという映画を見た。Bill Murray扮するアメリカの有名俳優が日本にコマーシャルの撮影に行って、異文化の孤独の中で人生の意味を考える、というもの。舞台の中心は新宿のPark Hyatt。加えて、新宿や渋谷のネオンサインあふれる町並み、カラオケ屋、サイケデリックなクラブ、ストリッパーのいるアップスケールなバー、京都のお寺、平安神宮、などが登場する。

うちのダンナは「Solarisと似ている」と。Solarisは、George Clooneyが宇宙船の中で自殺したはずの妻と再会して、孤独と人生の意味を自問する、というSFだが、「『宇宙船』というforeignな環境が『日本』というforeignな環境に置き換わっただけで、全体的なテーマ・雰囲気は一緒。DVDにするときは抱き合わせにすべきだ」と力説。

私はというと、今一つまらなかった。というか、映画としてはよくできていると思うのだが、日本のエキゾチックなところの描写が長くて「それ、知ってるよ」という感じ。これが本当の”been there, done that”。

Central Stationというブラジルを舞台にした映画があった。私は偉く感動して涙ウルウルだった。他に見た友人誰に聞いても「ものすごく良かった」と言っていたのだが、唯一ブラジル人の友人は「退屈だった」と。きっと私がLost in Translationをみたのと同じような気持ちだったに違いない。Central Stationも、ストーリーライン以外に現代のブラジルの特徴的な町並み、人々の振る舞い、などにかなりの時間が割かれる。ブラジルをよく知っている人には退屈なのだろう。

逆に言えば、エキゾチックなものはそれだけで面白い、ということか。同じクイズ番組でも、海外で収録されたものの方が興味深いし。

エキゾチックといえば、映画から帰ってきて留守電を聞いたら、二つメッセージが入っていた。一つはBill Clintonからのもので、もう一つがArnold Schwarzeneggerからだった。来週がカリフォルニア州知事リコール選挙なので、そのためのもの。もちろんどちらも録音したメッセージを自動的に流しているだけだが、Clintonは「Vote no for recall(現知事を支持)」で、Schwarzeneggerは「僕に投票してね」と。笑っちゃったのは
「投票用紙で私の名前を見つけるのは難しいので、『どうやってSchwarzeneggerの名前を見つけるか』という冊子を見てから投票に行ってください」
というメッセージ。こちらの投票用紙は、名前が最初から書いてあって、そこに穴を開ける、という仕組みらしいが、100人超の立候補者がいることもあり、しかも子音が羅列するムズカシイ名前なこともあって、Schwarzeneggerが見つけられない人もいるんだろう。

というわけで、ClintonとSchwarzeneggerから立て続けに電話があるというのは、カリフォルニアならではのエキゾチックな出来事。

追記:
翌日の10月6日、選挙前日には、Al Goreから電話があった。あとはBushかな。。

なお、Lost in Translationはじわじわと思い出すと実は良い映画だったような気がしてきた。見た翌日は一日中なんとなく映画の中の孤独な雰囲気の影に入っていたような感じ。かような影響力があるということは良い映画なのでありましょう。

大学の勉強

17才だったらで「大学の実験はつまらなかった」にいろいろコメントいただいたのですが、元のエントリーの説明が十分でなかったかなと思うので、ちょっと書き足します。

冗長でくだらない実験をさせるなよなぁという元エントリーに関して、

1)実験にどうしても必要な基礎的なスキルというのはあるもので、「訓練」にならざるを得ない
2)何時間も何年も無機質な実験は実は実験の本質
3)予定通りに進むことのない不確実性があり、それを体感することが基礎実験の意味合い

などなど、「基礎を学ぶのは大事だ」というお言葉を頂きました。いや、私も基本的にはその通りだと思います。本当に。3次方程式くらいまでだったら、式を見た瞬間にグラフがビジュアルに見えるのも、イオン化傾向の順番をいまだにソラで言えるのも、みんな日本の高校教育のおかげ。で、そういうことが体得できているから、より高次なことも理解しやすい。

実験に関して言えば、冗長で長時間だったことがまずいのではなくて「全く頭を使わない」ことが一番の問題だった。

「思った通りのデータが出てこない時に、仮説を立てて検証してゆく過程こそが、面白いところ」というコメントを頂いたが、その通りで、「自分で考えてそれを証明する」という実験だったら面白かったと思う。

頂いたコメントの中で、一番私の言いたかったことに近いのは、
「自分のやっている行為にきちんとした意味合いがあり、それを完遂させることで何が得られるのか、それを納得すればたとえ作業が単調かつ冗長であったとしても継続することが可能でしょう。」

とはいうものの、まぁ、実はそこまで高尚でもなくて、「自分で考える余地、工夫する余地があればそれだけで満足」というのが、私の場合は真実に近いかも。というのも、実は私は単調で冗長なことが結構好きなので。というか、時々自分でも限度を超していると思うことがあるくらい、クチクチと重箱の隅をつつくように何かをし続けけてしまったり。じゃなかったら、こんなにblog書けません・・・・・。

17才だったら

今日、ランチをしていて、「今、17歳に戻ったらどういう人生を選ぶか」という話になった。で、私の答えは「アメリカの理系の大学に留学して、死ぬほど勉強する」であります。

大学の4年間全然勉強しなかった。笑っちゃうくらい。それはそれで、別に後悔しているわけではないが、でももう一回やり直すとなったら、MITとかCaltechとかで、思い切り勉強したい。「世界の最先端だぞ!」とか焚き付けられながら、明け方までひーひー言って勉強する、ってのをやってみたい。

その昔、大学には入ってすぐ「物理実験」という必修科目があった。その中で、唯一覚えている実験に「熱伝導率計測」があった。レンガみたいなブロックをゴロっと一つ渡される。その端っこに熱源を、反対側に温度計をくっつけて、実験スタート。熱源は周期的に温度があがったり下がったりする。すると、反対側の温度計も周期的に温度があがったり下がったりする。それを確か2-3時間もの間延々と計測し続けて、その結果から熱伝導率を計算するという、瞑想的なものだった。

ところが私の結果は変なグラフになって答えが出ない。担当教官に相談したら「うーん、ブロックの中に空洞があるな」という答え。要は、設定が変だったのである。で、終わり、であります。3時間が「ブロックに空洞があると答えが出ない」という小学生でもわかりそうなことでパー。まぁ、実生活でも「ブロックに空洞がある」に類した「実は問題設定に間違いがある」という出来事が多々あるのは確かだが、そういうことを学ぶ科目じゃなかったと思うんだけど。

そもそも、何時間も無機質に淡々と温度を測るということ自体つまらない。全く頭を使わない。こういう実験はもはや撲滅されていることを祈るばかりである。

今17歳だったら、そういう機械的訓練じゃなくって、もっと脳をフル回転させるみたいな勉強をしたいなぁ、とそう思うのでした。

Corporate VC is not dead!

Wall Street JournalのAOL Time Warner Keeps Venture Investing in Strategy(すみません。有料です。)

AOLは、1998年にVC投資のファンドを2億5千万ドルで設立した。アーリーステージの技術企業に投資するためのもの。投資先の中にはTivoなども含まれる。70社投資したうち、20%が上場したか買収され、今のところ1億5千万ドルのリターンがある。残っている40社のうち、さらに上場する企業もあるので、まぁとんとんかな、というところ。

で、このファンドの位置づけはというと:
The venture fund, which typically invests between $2 million and $5 million per company, barely registers a blip on AOL Time Warner’s bottom line.

ちっぽけな額なので、投資利益は関係ない、と。

But it plays a key strategic role on behalf of its parent: making sure AOL Time Warner keeps its finger on the pulse of promising new technologies.

が、戦略的には大事、と続く。将来が期待される新たな技術の会社の「脈をはかる」のが目的だと。

企業による戦略的なベンチャー投資は、いろいろな会社がやっている。数十億円くらいの小さいものから数百億円とかかなり大規模なものまでいろいろ。それも、時流にしたがって「はやりすたり」があるのだが、はやっているときにどっと投資して、すたっているときにやめる、というのはもちろん危険。

そもそも「はやっている」ときは、投資先の企業価値も高くなるから高買いすることになる。「すたっている」ときは、安くいい会社に投資できるチャンス。

さらに、戦略的投資先のベンチャーの技術をうまく自社事業に活用するには、それに適した人材を組織のあちこちに配置、経験を積んでもらう必要もある。例えば、「社内の技術と、社外の技術を冷静に比較できる能力」と、「社外のものの方がいいとなったときに、自社の開発をやめさせられる力」の両方を持った人材が欠かせない。前者の「比較能力」を持った人材を突然どこかから連れてきても、後者の「社内での信頼または政治力」を得るには時間がかかる。それ以外にもいろんな社内システムが構築されている必要があり、その実現には「組織的ラーニング」の蓄積が必要なのである。

ということで、企業のベンチャー投資は、本気で、かつ淡々とそうめんのようにながーくやっていくことで、いぶし金的効果が出てくるものなのだ。

インテルキャピタルも、今だに250人の人材を世界において投資をし続けているとのこと。

Z会も言っている通り「継続は力なり」なのであります。