天才が学ぶことの真髄を語る:Josh Waitzkin

「天才」という言葉は垢まみれ。「東大でも一年に一人出るかどうかの天才」という表現を見たときは、ずるっときた。東大に一年に一人出るくらいのはただの秀才ですがな。。。。とほほ。。(前も書いたが、「一流大学に受かる=全国でトップ数千人程度=歌で言ったら、カラオケで上手いと言われる程度」ですから。)

さて、しかし、

「うーむ、やっぱりこれは天才?」

と思ってしまうのがJosh Waitzkin。9歳でチェスの米国チャンピオンになり、10年間米国チェス会に君臨した後、21歳で武術太極拳をはじめ、コロンビア大学で哲学を学ぶ傍ら太極拳に没頭、2年後に世界チャンピオンになったという人。中々甘いマスクのお兄さんである。現在30歳。そのJosh Waitzkinが今年出版したのがThe Art of Learning。「学ぶこととは何か」についてを主眼として書かれた半生記、です。

いや、天才に「これが学びだ」といわれても、あまり真似できないことで一杯ではあるのだが。

本には、まず彼がチェスを始めた経緯が書かれている。いわく

「6歳のときに、母親とニューヨークの公園を散歩中、屋外でチェスをしている人たちを見かけ興味を持つ。ある日学校で友達がチェスをするのを数回見た後、同じ公園へ。チェス盤を広げていた老人と生まれて初めてチェスをする。そこで、周囲に人だかりができるほどの熱戦を繰り広げ、その日は結局負けるが、以降『公園プレーヤー』としてチェス三昧」

・・・・むむー。数回見ただけでチェスのルールを理解したですか。6歳で。

その日を境に公園チェスを始めるが、Joshの対戦は常に黒山の人だかり。そんなある日観衆の一人にチェスマスターが現れ、「是非私に教えさせてくれ」とJoshの父親に申し出、以降、正式なレッスンを受けるようになる。

さて、16歳で、インドのチャンピオンと、インドで対戦したときのこと。激戦の中、次にどんな手を打つか考え、それぞれの手が生み出す新たな可能性を考え・・・と、先の先までありとあらゆる可能性の分岐を頭の中で計算しつく中で、Joshは自分という主体が自分の思考から乖離していくのを感じる。どんどん「自分」がなくなり、ひたすらチェスの手だけが電気信号的超高速で計算されていく至福に没頭。

(この辺のことは、将棋やら碁やらの名手も同じようなことを言いますね。スーパーコンピュータを凌駕する数千・数万の高速計算をする過程では、人間の脳は、みな同じような状態に昇華するのでありましょう。私がイメージするのはディラックの海。)

そしてその思考が極まった瞬間に「地震」が起こる。本物の地震。照明が消え、建物の梁が砕け落ち、人々が逃げ惑う。その異常を、純粋な思考の世界から奇妙に冷静に眺めていたJoshは、地震の物理的衝撃が意識界を抽象的に揺らす中、言葉では説明できない思考の開放を受け、「これだ」という手を発見する。その後、一旦避難し、チェス対戦に戻った後、インドのチャンピオンに勝利をおさめる。

本では、

「この時に僕が体験したような『高度にクリエイティブな状態』に自分をもっていく方法をご紹介します」

とあるんスが、いや、紹介されてもできないス・・・とちょい虚脱感あり。

ま、私でも「そうだよね」と思えたのは、

「ここぞという局面での精神的プレッシャーはなくすことはできない。そのプレッシャーを上手に使って、より優れた実績を上げられるように自分を鍛えるだけだ」

という所。私は、「ここ一番」という試験で、二度同じ症状にかかったことがある。朝3時くらいから吐きまくって、日が昇る頃には熱まで出てヨロヨロ、という情けない状態。どちらも「あーら、食中毒?」と思ったのだが、後から考えると試験の当日だけ二度かかる、というのも変なので、おそらく精神的なものでしょう。大学入試で、二次試験が二日あるってのもつらかった。一日目と二日目の間は殆どまともに寝られないわけで。うとうとすると、物理の出題にあった物体の衝突が頭の中をぐるぐる。・・・・いや、つまり小心者なんですな。

そういうときに「心頭滅却しよう」と思っても絶対無理で、緊張をバネに集中力を呼び起こすしかないわけです。ま、人生のここ一番が「試験」っていうのも情けないといえば情けないが、それくらいしか思いつかないので。

というわけで、Josh君の「プレッシャーは消せない。受け止めて、バネにする」というのは納得しました。はい。あと、「思考には体力が大事」というのも、ふむふむそうだよね、と。チェスの思考力強化のために心肺機能を鍛えるトレーニングをする、という具体的な方策も紹介されてます。

それ以外は、かなり厳しい教えが多いですが。

とはいうものの

「激しい精神的プレッシャー、集中力を妨害する外的要因(きゃーきゃーいうファンとか、嫌がらせしてくる対戦相手とか)がある中で、全てを超越して勝利するためにどうするか」

ということに関して、チェスと太極拳という全く異なる二つの領域で世界のトップレベルに至ったJosh君が、その真髄を語ってくれているわけです。

世界を極めようと思うスポーツ選手の人には得るものが多いのではないかと思いますので、そういう方は是非ご一読下さい。

(なんだか、激しくターゲットが限られる推薦ですが。)

天才が学ぶことの真髄を語る:Josh Waitzkin」への6件のフィードバック

  1. >6歳のときに・・・・・・
    彼がチェスを始めた経緯を読んで、「もしや」と思い当たるところがあって調べてみたら、やっぱりこの人”Searching for Bobby Fischer “(邦題『ボビー・フィッシャーを探して』の男の子(のモデル)なんですね。
    映画はどちらかというと天才を育てる側(凡人)の苦悩が強調されたものになっていた覚えがあります。(原作が彼のお父さんが書いたものであるせいかもしれません。)
    “The Art of Learning”は本人が書いた半生記。しかも甘いマスク。自分の人生には役に立たなくてもちょっと興味が・・・・・・。

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  2. 千賀さんの考える天才とは一般の人々とは明らかに
    脳の構造或いは機能の異なるsavan syndromeの人の
    事でしょうか?
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4
    それともこの本の主人公のようにチェスと太極拳の
    二足の草鞋をうまく使いこなせる人物の事を言いたいのでしょうか?
    savan syndromeの事ならば「東大主席」でも
    歯が立たないのはわかりますよ。
    私は羽生善治(将棋)、呉清源(囲碁)を挙げておきます。史上最強の棋士ならば明らかに天才でしょうし、
    チェスよりも桁が100桁、200桁上回る情報処理を
    要求されますから。
    未だに囲碁のソフトは弱いのですよ(アマチュア3級程度)。チェスの世界チャンピオンはしばらくコンピューターに勝ち越せなくなっていますね。

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  3. chikaです。
    Searching for Bobby Fischerの映画のせいでチェスのスランプに陥ったんじゃないかなーという感じも。(キャーキャー騒がれるようになって)。お父さん、本を書くのは、息子がもうちょい大人になってからでもよかったんでは、とハタから見ると思います。(Josh本人は、とてもお父さんと仲良しのようです。)
    >savan syndrome
    別にsavan=天才ではないと思いますよ。savanのほとんどの人は、特異な業績を残せるほどの社交性もないし。やっぱり周囲から情報を収集し、それを元に自分の新たな何かを生み出し、それを周囲に伝える、というinteractivityがないとダメなんじゃないかなぁ。

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  4. ふむふむ。
    凡人の私には到底計り知れない。。。
    チカさんの要点解説だけでも、椅子からずり落ちそうでした・・・。
    そういえば、チェス・マスターを目指していた昔の彼がSearching for Bobby Fischer をバイブルのように崇めていて、二週間に一度ぐらいあの映画を観させられた時期を思い出しました・・・。
    中々よくできた映画だなぁぁと思ってたんですが、あの彼は、そうですか・・・太極拳で世界制覇ですか・・・。ますます意味がわかりません。

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