Halloween & Fire

今日はHalloweenで、trick or treatとやってくる子供たちにお菓子を配る日。。。
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私の家の前は、街灯のない真っ暗な道なのにも関わらず、去年は次から次へと大勢やってきた。家の前の道は懐中電灯の明かりがひっきりなしに行ったりきたり。今年も、大量にチョコレートなど買っておいたのだが、今日は今年の秋・冬初の雨が降ったせいか、トータル20人も来なかった。が、幼稚園に行くか行かないかの小さな子供たちが、ヨチヨチとやってきて、必死でたくさんチョコレートを掴んで自分のかごに入れて、嬉しそうにしているのを見ると、「こういうことが心から嬉しい時代があったんだなぁ」と、ちょっとほろりとしたり。

ちなみに、私の友人の会社の社長は、Steve Jobsの近所に住んでいるのだが、数年前子供に「檻に入ったトラ」の扮装を作ったそう。檻も衣装の一部、というめちゃめちゃに凝ったものだったらしいが、それをHalloweenの前に見かけたSteve Jobsが「これはいかん、うちの子が負けてしまう」とばかり、いきなりPixarに電話を入れて、著しく気合の入った衣装を作らせたとか。よくわからないが、Pixarでは、アニメを作るために実物模型を作る部門みたいなのがあるらしい。。。これは、ただの噂話。

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さて、雨が降ってよかったのは、南カリフォルニアの火事。これでやっと沈静化の方向に向かうだろうと期待されている。

直接の原因は放火や不注意など様々だが、大本の原因は「宅地化」が大きいとのこと。「宅地化が進んで森林伐採が進んだ」ということかと思いきや、真相は意外にもその逆なのだ。あのあたりの森は、20年に一回くらいは小規模な火事で燃えて木の密生度が下がる、というのが本来あるべき姿なのだった。しかし、1920年ごろから宅地化が進み、過去100年近く山火事がなく、しかも、住宅開発をした後は、周辺の木を切らないという近隣ルールが適用されることが多く、それこそ枝一本剪定するにも許可がいる、という状態になった。

それで、どんどん密度が増し、ついにあるべき密度の10倍近い木が生い茂って、最近では害虫が繁殖、たくさんの木が立ち枯れていた。そこに火事が起こり、よく乾いた薪を燃すように一気に燃え広がってしまった、ということ。

アメリカの家というのは、中古市場がしっかり存在することもあり、一生のうちにいつかは売る可能性が高い。普通の人にとっては一生で最大の投資案件でもあるので、その価値を守るために大きな努力が払われる。皮肉なことに、緑したたる住宅地、というイメージを守るために、一種触発の状態になっていたわけだ。

新聞やテレビでは、危機に強いアメリカ人ならではの「命を懸けて自分の家を守った住民話」が満載。(単に限度を超して向こう見ず、という説もあるが。)火事が始まってもう1週間くらいたっているので、火元から遠い家の人は、「今に火がやってくる」と思ってから、実際に火がやってくるまで随分日数があることも。その間に、ひたすら家の周囲の木を切り倒したり、ぎりぎりになったら家に水をかけたりして待つ。しかし、一旦やってきた火の勢いは尋常ではないので、逃げ遅れて死ぬ人もいる。

Survival a matter of ‘luck and stupidity’ は、生き残ったのが奇跡と言われるほどの、孤独で無謀な火事との戦いで「別荘」を守った航空エンジニア。別荘ですよ、ただの別荘。命をかけるか、と思うが、彼は近所の2軒もついでに守りきった。これはもうなんというか、元々別の世界にいっちゃっている人なのではあるまいか。

Firefighter’s battle becomes personal: Homeowner turns to prayer instead of evacuationは、インディアンの血を引く、とある消防士が、自分の家を守るべく、近所の何人かで一致団結して火事を待つ話。最後は、セージを燃やして自分にその煙をかける、というお祈りまでして待つ。そして、火が目前まで迫ったところで雨が降る、、、という超自然系顛末。

一方で、個人の努力とは関係ない謎の偶発的ラックもある。すごいのはこれ。
Amid horrific destruction, one house stands unsinged
50近い近隣の住宅が全て、構造も何もかも全て燃えきって完全に灰になりはてたのに、なぜか一軒だけ残った家の話。避難していた持ち主は、戻ってきて自分の家だけ無傷で残っているのを見て「I fell down on my knees on the lawn and thanked God」とのこと。今日の朝刊の火事特集では、一面全部を使った航空写真がでているが、本当に一軒だけぽつんと残っているシュールさ。写真でお見せできないのが残念である。外壁すら焦げておらず、電気も水道も電話も全て普通に動くとのこと。密教のお坊さんが結界を張ったんじゃないか、というようなすごさである。

努力も大切だけど、運も大切、というありきたりの教訓がここにある。

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さて、昨日とある人と話していて「飛行機とかから水でもまいたら簡単に消えそうなのに」と言われた。私は全く反対に思ったのでちょっと驚いた。テレビのニュースで、飛行機が消化剤を撒いている映像が出ていたが、燃え盛るガソリンスタンドの上を、おもちゃの飛行機を飛ばしているみたいで、「これはとても無理だ」と思った。人間の感じ方というのは、本当に個人差があって、興味深いことしきりである。

Schwarzenegger moving to Atherton

Palo Alto Dailyという無料のコミュニティー新聞がある。Palo Alto近隣を含め、あちこちの街頭に赤い新聞ボックスがたっていて、そこから取る。例えば、10月26日号はこんな風。無料とはいえ、広告料でビジネスとしてはきちんと成り立っているようで、内容も豊富。APとかの配信記事も載っていて、海外ニュースのページまである。が、やっぱり面白いのは、地元の話。

例えば、毎週「Police Blotter」というのが載っている。Palo Alto周辺の市の警察が発表する「今週の犯罪記録」。Athertonという高級住宅地などでは、些細な事件が丁寧に記述されている。「XX高校からトランペットがなくなったが盗まれたようだ」とか。笑えるところでは「リスが煙突から家庭に侵入、尻尾が燃えたまま家を走り回ったので警察と消防が出動」てなのも冬にはあった。一方、East Palo Altoという低所得者の多い街のものは、なんでも大体一言で済まされている。「強盗」「窃盗」とか。犯罪が日常茶飯事で、警察官もいちいち構っていられない、というニュアンスが感じられる。AthertonとEast Palo Altoは、ほんのちょっとしか離れていないのに。住むところによって、天国と地獄になるアメリカの象徴的blotterである。

で、その高級住宅地のAthertonの方だが、先週末のPalo Alto DailyにはSchwarzeneggerが買う家を探しているという記事が出ていた。子供を通わせる良い私立学校もあるし、ということらしい。「普通の家」が2億円、という住宅地である。が、騒がしくなりそうだな。

ちなみに、Palo Alto DailyのfounderはスタンフォードのMBA。このあたりには、こういう地味そうなビジネスでスタンフォードのMBAが始めたものが結構ある。Palo AltoのダウンタウンにあるGordon Bierschという地ビールを作っているビアホールなんかもそうです。

教育

金曜は友人たちと集まる日。みんなわいわいと2歳以下の子供がいる。で、今日は学区の話になった。アメリカの住宅地は、学区のよしあしで値段が全く違う。道を隔てて学区が違うだけで、同じような家が1-2割くらい値段が変わることがざら。

ラフな試算では、子供が1人だと、安い学区に住んで子供を私立に送った方が安上がり、2人でトントン、3人だったら高いお金を出してもいい学区の家が得なようだ。が、学区が悪いところは、家の相場が崩れたときに真っ先に値段が下がる、というようなこともあり、一概に子供数だけで判断はできないのだが。

友達は白人と、韓国系・中国系アメリカ人(みんなアメリカ生まれである)。みんな「学校は公立に限る」と明言。スノッブな私立より、公立でいろんな人と交われる方がいい、とか、私立はいくらなんでも高い、とか理由は様々なようだが。

いい私立に入れるには、まだ幼稚園も行かないうちから、その私立学校がやっているサマーキャンプに参加させる、みたいな営々たる努力が必要らしい。しかも、このあたりのいい私立学校に行ったら、例えばスタンフォードに行くのは相当な難関だ。いくらみんなが優秀でも、同じ学校の生徒みんながスタンフォードに入れるわけではない。私立ほどではないが、いい公立学校でも同じ問題があると。日本みたいに「灘高にいったら、8-9割東大・京大」みたいなことは起こらないのだ。

一方で、ひどい学区の出身だと、大学受験でゲタをはかせてくれる。多くの大学で「ひどい学区出身だったら、XX点」とゲタ配分が決まっている。

従来は人種点というのが多用されてきた。例えばThe Daily Illini(!)のLawsuit puts affirmative action under fireによれば

The University of Michigan adheres to an affirmative action policy. It uses a 150 point scale to grade applicants. The biggest factor is grade point average. A perfect SAT score is worth 12 points, and being a minority is worth 20 points.

大学は、いろんな人種・男女を満遍なくとってdiverseであることが求められるが、ゲタでもはかせないと白人とアジア人ばかりになってしまう可能性大。ここでminorityといったら基本的には黒人とヒスパニック(と女)。しかし、だんだん人種点は逆差別で違法だ、ということになってきた。黒人と同じ点でも入学できない白人(特に男子)が怒って訴える、というのが全国的には多いが、UC Berkeleyあたりだとアジア系が逆差別の対象だったり。(ベイエリアの高校のトップの生徒の半数以上がアジア系だ)上述のMichigan大学に関しては、「マイノリティ優遇は違憲」として最高裁まで争われた裁判が今年あった。結果は「違憲」。CNNのMaking sense of the Supreme Court’s college admissions rulingsでは、いわく

the rigidity of the numerical approach, six justices thought, denied the kind of individualized treatment that Powell’s opinion in Bakke required of a permissible affirmative action program.

一律20点ってな画一的アプローチはだめということだ。

人種でゲタをはかせちゃだめなら、学校でゲタを履かせるのがnext best thing。ということは、受験する側からしたら、ぼろぼろの学区に通いつつ、SAT(大学入試用共通テスト)で満点、というのが、いい大学に入るには一番いいんじゃないの、と我が家では強く思うのだが、これはどうも子供のいない私たちだからいえることらしい。友達たちはみんないい小学校・いい中学校・いい高校に子供を入れたいと一生懸命なようだ。世に教育の悩みは尽きず・・・・・。

Kill Bill….日本の未来 その2

Kill Billの紹介では、映画シロウトの分際で思いのほかたくさん書いてしまった。日本のエンターテイメントは世界に通用するのだ、ということをいうために、日本がこれまで生み出した映画・漫画・アニメのエレメントがいかにKill Billの中で使われているかを言いたかっただけなんだが。。。。ついつい饒舌にさせてしまうパワーがある映画ということかな。

本当に言いたかったことはこの先で、かいつまんで言うとこういうことだ。

1)世紀の産業革命、ITの大イノベーションの山は越した。これからは、
A. これまでのITイノベーションを使った効率化がビシバシと進んで、モノが安く作れるようになる
B. さらにITを酷使したリモートラーニングにより、一流の教育が広く世界で受けられるようになり、安価な知的労働者もバンバン増加する

A+Bの結果として世界的なデフレ、またはそれに近い状態になる。

2)次の大イノベーションの山が来るまで、新たな需要はエンターテイメントから生まれる。仕事がないなら遊ぶしかない。過去においても、例えばアメリカでジャズが広まったのは大恐慌のときだった。

3)エンターテイメントでは、日本は大きな強みがある。漫画・アニメはもちろんのことながら、10代、20代のワカモノの携帯電話活用文化、渋谷系ファッションなど、「ワカモノ文化」においては他に類を見ない独特で勝手な成長を遂げている。アメリカなんか、日本ではやったものが大体1年以上たってからやっとやってくる、という感じ。、厚底サンダル、スクーター(というのかな?車輪がついた細長い板状のものにハンドルがついてて、一時期ワカモノが繁華街で乗り回してたあれです。)などなど。

4)というわけで、今後日本の輸出産業として「エンターテイメント」はうってつけだ。かっとんだ漫画をいくつか合体させて、ハリウッドの監督を使って映画化するとか。MatrixもKill Billも受けるんだから。いろいろな作品を発掘できるんじゃないか。

個人的には、萩尾望都のスター・レッドとか11人いる!あたりを実写で見たいなぁ。小説でも、日本の「なぞのスーパージャンル系」はかなりよいと思う。「SFのような歴史文学のような恐怖小説のような恋愛小説のような」というタイプの小説。これまた個人的には椎名誠の未来社会SFものを実写で見たい。「対岸の繁栄」という短編を、StingのYou Still Touch Meという曲を主題歌にして映画化して欲しい・・・・。

個人的wish listはさてはおきつ、映画産業って言うのは実は結構大事で、これにあわせていろいろなカルチャーを輸出できる。人は見たことないものを欲しいと思わないもの。特定のストーリーの中で、かっこいい俳優が着てるモノ、持っているモノ、食べているモノ、は強い影響力を持つ。

映画以外にも、日本が提供して世界が瞠目するエンターテイメントとしては「観光」もある。日本の祭りってのはすごい。一度、気合を入れて東北三大祭というのに行ってみたが感動した。世界広しといえども、こういう祭りがあちこちで激しく行われている国もなかろう。これで一泊一部屋8万円なんていう暴利がまかりとおる宿さえ何とかすれば、グローバルに客が呼べるのは間違いない。

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上記1)は非常に重要な問題だと思う。「日本は製造業に回帰すべき」なんて気軽に焚き付けているメディアもあるが、鎖国でもしない限りそんな回帰ができるはずがない。給料が何分の一の国と同じものを作って競争力を保つのは並大抵のことではない。日本でペイするのは一部の職人芸的に高度な製造だけになっていくだろう。

(鎖国せずに回帰できる方法として、円が暴落するか、激しいデフレが進行するかして、日本人の収入レベルが、発展途上国並みになる、ということもあるが、、、)

製造業からknowledge work、知的労働へと社会の中核が移っていくことに関しては、2001年11月号のThe Economist誌に掲載された、Peter DruckerによるNext Societyという特集が非常に良くまとまっている。当然ながら、「製造業には回帰できない」ということが前提となっている。

で、日本型knowledge workとしてentertainmentをテーマにすべき、というのが私の主張。

ちなみにDruckerは1909年生まれ。アメリカではもはやトンとお名前を拝聴しない過去の人の感もあるが、あと6年生きたら100歳だ。日本ではちょっとした騒ぎになりそうだな。きんさんぎんさん+マネジメントという、わけのわからない組み合わせである。

もとい。特集の中のThe new workforceは、これからの社会がknowledge workerを中心としたものになるとし、その一つの副産物が、競争が激しくなり、結果として40代で能力のピークに達すること、としている。knowledge workerは勉強さえすれば家柄に関係なく誰でもなれる。だから、競争は否が応でも激しくなる。結果、ピークが早く訪れる。いわく

highly successful knowledge workers・・・・“plateau” in their 40s.They know they have achieved all they will achieve.

40代で仕事上なすべきことは成し遂げてしまうとしたら、その後の人生を楽しく生きるには、やっぱりエンターテイメントが必要だ。ということで、どんな道をたどっても、余暇が大切、ということになり、エンターテイメントを主力産業にすることはますます魅力的なのであった。

Kill Bill….日本の未来 その1

体調が悪い。人と会っている間は、結構元気なのだが。テンションがあがっていれば大丈夫ということは、気のせいか?

もとい。

先日、村山さんのBlogに書いてあったKill Billをみた。Quentin Tarantinoの新作だ。Pulp Fictionよろしく、時系列をあえてかき乱した構成になっている。

4語で映画批評をするFour Word Film Reviewから借りれば、”Quentin’s live-action anime”。設定的にはCharlie’s Angelsチックである。Charlie’s Angelsは男性のボス率いる正義の味方の女性チームだが、Kill Billは男性のボスが率いる女性暗殺隊だ。

私がまず思ったのは「これはTarantinoのCinema Paradisoである」ということ。Cinema Paradisoは、死ぬほど映画好きの少年が、映画監督として成功するが、その子供時代の思い出は郷愁に満ちているもののほろにがく、本当に欲しかったものは手に入らないという切なさを描いて、カルト的ファンを多く持つ映画だ。(予告編がここでみられる)Cinema Paradisoの中では、子供の頃にわくわくしてみたあまたの映画へのノスタルジーが描かれるが、Kill BillはTarantinoが
「そんな映画もあんな映画も、こーんな映画もみたぞ。どれも、ものすげー面白かったぞ!どこがどう面白かったか、俺の解釈を見せてやろう。どうだ!」
とほくそえみながら遊びながら、かつ真剣にエンターテイメントとして作った、という感じだ。

「そんな映画・あんな映画・こんな映画」の中身には、映画については超シロウトな私がわかった範囲だけでも、こんなジャンルが入っている
1)マカロニ・ウェスタン
2)日本のやくざ映画
3)日本の時代劇
4)日本のカルト系アニメ
5)カンフー映画

1)については、アメリカではスパゲッティ・ウェスタンという。なぜスパゲッティがマカロニに変身したかについては、スパゲッティでは響きが軟弱ということで故淀川長治氏が改名したという噂だが、それはともかくとして、イタリアで作られた西部劇、である。オリジナルのアメリカ西部劇が勧善懲悪的なのに比べ、一癖ある悪人だが憎めないところがあり、それなりのモラルを持ち、クールな主人公が多い。イタリア人監督のSergio LeoneがClint Eastwoodを主人公にして作った3部作が有名。
(ちなみに、この3部作の一作目、 A Fistful of Dollars(荒野の用心棒)は黒澤明のパクリというのが、国際的評価)

Kill Billでは、悪人だが独特のモラルとクールな魅力を持ち、滅法強い主人公をUma Thurmanが演じる。人物の登場の仕方なんかもマカロニウェスタン的。

2)と3)で日本のやくざ映画・時代劇のなごりは、派手な紛争、立ち回り、殺陣などに明らか。雪の日本庭園で日本刀で戦ったりとか。

4)のカルト系アニメの影響として、異常な血まみれさ加減、常軌を逸した狂人的キャラクタ(残忍な17歳のコギャル殺人鬼とか・・・・)などに濃厚に現われているのに加え、途中で回想シーンとして本当にアニメが挿入される。

横田基地を舞台に、日本刀で女子高生が吸血鬼退治をするというストーリで、工藤夕貴が声優のBLOOD-THE LAST VAMPIREというアニメがある。このあたりがかなり近いか。ちなみに、Blood…は、ShrekのCGなどで知られるPDIでエンジニアをしている知り合いが「口角泡を飛ばす」という感じで「すばらしいアニメだ」と絶賛していたのでDVDを買って見た。チミドロ系でクラーイ日本の漫画・アニメに慣れている私にはやや退屈と思われたのだが、突然見ちゃった外国人には刺激が強いんだろうか。

5)は、戦いシーンでごらんあれ。

実際、Tarantinoはこの映画を作るに当たって、俳優たちに、日本映画やら香港映画などなど、総計75本を見せたとのこと。

この映画を見た後、ついついマカロニウェスタンのThe Good, The Bad, The Uglyと、極道の妻たちを借りてみてしまった。Tarantinoの解釈で、上記1-5のジャンルそれぞれの面白さのエッセンスをひたすら見せられたので、ついつい原典が見たくなってしまったのである。

で、これがどう日本の未来と結びつくと思ったかはまた改めて・・・。

能天気なアメリカ人

今日はついにVerisignがNetwork Associates(じゃなくてNetwork Solutionsです。頭をかきつつ修正11/5/03)を売ることが発表された。CNETのVeriSign sells off domain registrarなど。

というのは置いておいて、能天気なアメリカ人の話はEconomistのInequality:Would you like your class war shaken or stirred, sir?へ。(よくわからないが多分有料)

本題はアメリカの金持ちはどんどん金持ちになって、貧乏人との格差が開いている、という話。タイトルはイギリス人らしい風刺のきいたもの。マティーニにかけて、Class War (階級格差戦争)がshaken=揺すぶられるのがよいか、stir=かき乱されるのがよいか、と聞いているわけだ。(もちろん、どっちも嫌なこと。)

いわく、1998年の調査では、年収ではトップ1%が全体の15%を占め、アセットではトップ1%が全体の38%を占有していると。

が、しかし、その内容はさておき、一番面白かったのは次の一文。

Interestingly, Americans are usually over-optimistic about their chances of promotion. An opinion poll a couple of years ago found that 19% of American taxpayers believed themselves to be in the top 1% of earners. A further 20% thought they would end up there within their lifetimes.

笑える。国民の19%が「自分は国でトップ1%の稼ぎ」と思ってるのだそうだ。さらに、その次の20%も「一生のうちいつかはトップ1%の稼ぎができる」と思っている。つまり、国民の2人に1人近くが「今既に、もしくはやがて、大金持ちになれる」と信じているのである。

記事にはグラフで、国で下から10%の人の稼ぎと、上から10%の人の稼ぎが出ている。それをみると、上から10%の人の一家あたりの年収は20万ドルちょっと。約2200万円くらい。ということは、上から20%だったらまぁ1500万と2000万の間であろう。もちろん、それだけの収入があれば、シリコンバレー以外の殆どのアメリカでは相当にリッチな暮らしができ、日本人の感覚ではお屋敷と呼んでもよい豪邸に住めるのは確かだ。しかし、それで「国でトップ1%」と思うとは、いくらなんでも能天気ではないか。

不幸に気づかないアメリカ人 幸せに気づかない日本人 という本を小林至さんという人が書いている。どうも彼はとてもアメリカが嫌いなようだが、それは置いておいて、このタイトルはパラドックスだなぁ、と思った。

「全てのクレタ人はうそつきだ」とクレタ人の哲学者、Epimenidesが言った。これが本当なら彼の言っていることは嘘で、だとすれば彼の言っていることは本当で、、、、という堂々巡りがパラドックス。

「不幸に気づかない」ということはすなわち幸せだ。「幸せに気づかない」ということは不幸である。ということは、「幸せなアメリカ人、不幸せな日本人」について書いてあるのかと思いきや、どうも中身はその逆のようだ。でも、ということは、不幸に気づかない人は実は不幸で、幸せに気づかない人は実は幸せ、ってこと?それは変だ。

幸せは遺伝形質である、という論文を以前精神医学系の雑誌でみたことがある。「その人に起こること」と、「その人がそれをどう感じるか」の間には、実は深い溝があるのは誰もが感じるところだろう。何があっても満足できない人と、何もないのに何だかいつも楽しそうな人と世の中には二つのタイプの人がいる。で、それは遺伝で決まっているのだ、と。不幸に気づかないような性格に生まれついたら幸せ、逆は不幸せということだ。

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ちなみに、日本でも紙ベースのEconomistを購読していたのだが、その頃Economistの日本オフィスで働くイギリス人の人と話していたら、彼いわく、日本の購読者は3000人しかいないとのことだった。本当だろうか。本当だろうなぁ。すごい雑誌なのに。「経済の神様が天国から降りてきて毎週一回出版する雑誌だ」と豪語する知人もいたが、それくらい異様に濃くて目からウロコの内容に満ちていて、しかも風刺が効いている。しかし、その異様な濃さゆえに、nativeのアメリカ人で、相当な速読ができる人でも、毎週毎週とても読みきれないと嘆いている。

ビジネススクール時代、Romerという将来のノーベル賞候補らしき経済学者の人が先生のマクロ経済を取ったのだが、その授業ではEconomistの購読が義務だった。(学生割引なるものがあった)が、よくRomerは「この記事はこう間違っている!」と指摘し、「Economistの間違いが指摘できるぐらいのレベルに早くなれ」と生徒に言っていたが、私にそういう日が来るのはいつのことやら・・・。

なお、Economistに比べるとBusiness Weekは随分軽量級(量ではなく、読み応えとして)。この間のエントリーで、Business Weekに載っていたMBAの平均年収の記事の話をしたが、この記事では、わざとMedianじゃなくてAverage(mean)を使って平均年収が高くなるように見せて、センショーナル度を増していた。相当確実にわざとだと思う。いくらなんでもこの手の平均でmedianを使うのは常識だ。

Economistだったら絶対こういう「お里が知れる」ことはしないだろうなぁ。

Lost in Translation再び・・・

映画のLost in Translationであるが、アメリカ人の間では「日本人に対する人種差別的」というコメントも結構あがっているようである。というのは、インターネットの映画フォーラムなどの話。あまりに変なオモロイことがあって、これはきっと差別的表現だ、ということらしい。しかし、私の思うところ、この映画は「本当に日本そのまま」。

日本は、日本を知らない人にとっては、まさかと思われるほど笑えることがたくさんある国ということか、と個人的にはそう思った。私のエントリーにコメントしてくださった東海岸在住のtigressさんもこの映画を見て「ホームシックになった」とおっしゃっているので、それはつまりそれくらい真に迫っているということでありましょうか。

あと、私が思ったのは、「この映画が表現している寂しさは、別に日本に異邦人としてやってきた外国人じゃなくて日本で生まれ育った日本人でも感じる寂しさじゃないのか」ということ。周りがみんな和気あいあいと同じことを楽しんでいるように見えるのに、自分は違う、という感じがするからか。このあたり、桐野夏生のグロテスクにも通ずるところがあるような気がする。

ちなみに、アメリカでの映画サイトとしてはこんなのが。
Rotten Tomatoes
スター的評論家から、無名の人まであまたの映画評論家の評論を一堂に集めている。で、評論に加えそれぞれが映画に点数をつけているのだが、その合計平均が60点を越えるとfreshトマト、それ以下だとrottenトマトのマークがつく。ちなみにLost in Tranlationは95点で堂々のfreshトマトさんである。

笑えるところではFour Word Film Review。4語以下の映画批評を広く募っている。殆ど流れ星のような、もしくはF1レースで目の前をレーシングカーが過ぎ去っていくような、そういう長さのレビューである。これだったら不特定多数の人に書き込んでもらっても、大したバイト数にならないという利点もありますね。

意訳

以前、accountabilityは「落とし前をつける」と訳すのがいいんじゃないか、というエントリーを書いた。

一方、Paternalismというエントリーを2日前に書いたが、この中で書いたThe road to hell is paved with good intentionsに関しては、私なりの日本語訳は「ゴメンで済むなら警察はいらない」だ。つまり、どんなに善意・誠意があったとしても、結果がだめだったら問答無用でだめだということ。

“accountability”と”The road to hell….”は密接に関わっていて、accountableな人はgood intentionがあるだけではだめ。どんなにプロセスに善意がこもっていても、辿りついたところが地獄というのはaccountableでない証拠。つまり、本当にaccountableな人がいれば、善意で舗装された道を通って地獄に至ることはないのである。(他の経路では地獄に行くこともあろうが。)

これを、「善意」と「accountability」の有無を縦軸横軸にして、4象限にわけて考えてみる。(・・・・という縦軸横軸発想はMcKinsey時代の後遺症なのだが、まぁヨタ話と思って聞いてください。)

1.善意=ある、accountability=ある:すばらしい!こういう人についていきましょう

2.善意=ない、accountability=ない:近寄るべからず。でも、見るからに嫌なヤツで、実行能力がないのもすぐわかるから、見分けるのは簡単。意外に害は少ない。

3.善意=ない、accountability=ある:目的のためなら手段は選ばないタイプ。利害関係が一致していて、しかもその人がどうしても必要な場合のみに限定すれば付き合えるが、普通は怖いですね、こういう人は。

4.善意=ある、accountability=ない:これが善意舗装スーパーハイウェーで地獄に連れて行ってくれるタイプ。泣かされる。「善意でやっている」というプロセスに重きが置かれ、誠心誠意実行すれば結果は二の次。最後に結果が伴わなくても本人はいたってあっけらかんと「アーだめでしたねぇ、残念です」なんて他人事みたいに言ったり。しかも、善意はあるので、一見いい人っぽく、ついついそばに寄ってしまったりして、痛い目に会う。なるべく早く見抜いて、にこやかに去る、というのが鉄則である。

Dilbertという人気コミックがあるが、その中で、間抜けで怠惰だが憎めない同僚のWallyがプロセス・プライドを獲得する、というのがある。Wallyいわく、
“This week I developed what I call ‘process pride’…I’m very proud of the way I do it.” 
で、このあと、「でそのプロセスの結果、どんな成果が出たんだ」と聞かれると
「一度に2つのこと(良いプロセスと成果)ができる訳ないじゃないか!I am one personなんだから」と怒って答えるコマへと続く。4の人と一緒に仕事をすると、こういう感じになることが多い。

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ちなみに、paternalismを日本語にするときはどうしたらよいだろう。実は何年も時々思い出しては考えているのだが、いい案が浮かばない。「家父長的」と訳すのが普通なようだが、それではaccountabilityを説明責任と訳すようなもので、本当の意味が伝わらない。「傲慢なおせっかい」かな?「尊大で無神経で差し出がましい」かな?それとも、そのまま直訳して「オヤジくさい」か?!うーん、これは明らかに違うなぁ。なんて訳したらいいんでしょうね。

CIA/PentagonゲームでGo!

San Jose Mercury NewsのThe Pentagon’s got game

Increasingly, the Pentagon is joining forces with the video game industry to train and recruit soldiers. The Army considers such simulators vital for recruits who’ve been weaned on shoot ‘em up games.

Even the Central Intelligence Agency is developing a role-playing computer simulation to train analysts.
ということで、軍もCIAも、民間が開発したゲームでトレーニングしちゃおうというもの。

これまでももちろんシュミレータはあったが、一台数億円という高価なハードが必要だった。で、その代わりに、民間のゲーム開発企業に発注しようと。そこでthe Institute for Creative Technologiesという組織をMarina Del Rayに結成。これは南カリフォルニア大学(USC)と、民間のゲーム産業とを束ねようと軍がバックアップしてできた。サイトもちょっとうさんくさいゲーム屋さんっぽい。ゲームに限らずソフトウェアの差別化は人。良い人材をいかに集めるかが鍵なので、ゲーム開発が得手な人の心を引き付けるべく苦心しているのであろう。

CIA向けのほうは、実際に自分がテロリストになってRPG(ロールプレーイングゲーム)をプレー、敵の気持ちを理解する、ということになってるらしい。

NASAが開発した、メインフレームをがんがん回すアプリケーションがあって、一回計算するのにも莫大なコストがかかるというものだったのだが、民間企業サイドでは、同様の計算を普通のラップトップパソコンでできるようなアプリがとっくにできていた、なんて話もある。コア技術開発は政府研究機関や大学で行い、アプリケーションレベルになってきたら民間の力を活用する。これ、常識ですね。

Paternalism

ついにSchwarzeneggerが州知事になってしまうようだ。とりあえず現状の開票結果では「当確」で、日本だったらダルマに目が入る。やれやれ。

気を取り直して、「Paternalism」という英語について。

先週、ラジオのKQEDでDo Not Call Listの話をしていた。

まず、本題に入る前にKQEDというラジオ局について。サンフランシスコベースなのだが、National Public Radio(NPR)と提携してNPRの番組に加えて、自分の局で作成した番組を流している。

NPRは、全国規模の非営利団体で、良質なニュースとコメンタリーを配信。ニュースも面白いし、科学や政治など最新の深い話題も、その道のプロを呼んで来てわかりやすく興味深く語ってくれる。それに、時の人からそれほど有名じゃない人までいろいろと呼んでインタビューをする「ラジオ版徹子の部屋」のFresh Airも秀逸。人選もDavid Bowieからノーベル賞受賞者までいろいろいてカラフルだし、聞き手のTerry Groseという女性のグイグイと核心をつく質問もよい。運転しながら聞いていて、目的地についてもついつい駐車場にとめた車の中で聞き入ってしまうことも何度かある。

KQEDの独自プログラムでは、朝「Michael KrasnyのForum」というのをやっているのだが、このKrasnyオヤジは中々侮れない。とにかく異常な物知りである。文化芸能から政治、経済、外交、環境問題に至るまで、ありとあらゆる話題でプロのゲストスピーカーを4-5人集めてきて、喧々諤々の討論の司会をする。それも毎日、だ。

一度Michael Krasny本人に話を聞くショー、というのがあって、それで彼自身が言っていたのは、とにかく本を読むこと以外に何の趣味もないんだそうだ。家族には「You don’t have a life」と言われていると。ガツガツとありとあらゆるジャンルの本を読みふけっているんだそうだ。

で、そのMichael Krasnyの番組でDo-Not-Callリスト合憲・違憲問題についての討論があった。「Do-Not-Callリスト」とは、掲載希望者の家にはセールスの電話がかかってこないようにする、というもの。(アメリカの電話セールスは激しいのだ。おちおち食事もできない)最近始動し始めたのだが、リスト掲載希望者の受付を始めるや否や、莫大な数の人が殺到して受け付けの電話もウェブサイトもパンク。あわてたのは、テレマーケティング業界で、死活問題とばかり政治力を激しく行使、さらには「電話をしてはならないとは、言論の自由に反する」として違憲の訴えをし、一旦違憲判決が下されたところ。で、その違憲判決は何を持って下されたのか、いったい何がissueなのか、ということを討論したのが10月1日の回であった。

Michael Krasny: Forumのページで過去の番組のストリーミングが聞ける。10月1日9時からのDo Not Callというのがそれ。で、始まって17分目くらいのところでCode and Other Laws of Cyberspaceの作者で新米パパでもあるLawrence Lessigが「法的にみて何がissueなのか」について語っている。ちなみに、first amendmentと彼が連呼しているのは「言論の自由」のこと。(雑学的に、法律の番号繋がりでいうと、take fifthといったら「黙秘権を行使」という意味。これは口語で時々使われるので覚えておくと便利。)

さて、Lessigのポイントは「Do-not-call listは、リスト掲載者に対し、商業事業者は電話をしてはいけないが、政治家と非営利団体はOK、というルールがある。これが問題。一般消費者の意思ではなく、政府が勝手(Paternalistic)に決めたルールを押し付けるのでは、消費者(国民)の選択の自由を奪う。国民が何を聞いてよくて何を聞いてはいけないかを国が決めるから言論の自由に反するのだ」ということ。

と、ここまで書いてやっと本題のPaternalismであります。
(うーむ、この冗長さは、我ながら、200ページ以上主人公が出てこないアンナカレーニナのようだ・・・)

「Paternalism」と私のClieに入っている研究社辞書で引くとこう書いてある。
「(国民・従業員などに対する)父親的態度、家父長主義《父親的温情を示すが、権威・責任は崩さない態度・主義》」
ううむ、全然違う!こういう意味も恐らくあるのだろうが、通常は悪いニュアンスでしか使われない。例えば同じClieに入っているAmerican Heritageの意味はこうなっている。
「A policy or practice of treating or governing people in a fatherly mannner, especially by providing for their needs without giving them rights or responsibilities
太字にしたところがミソなのである。「相手の自由意志を尊重しないで勝手に決めちゃう」ということがpaternalism。自由意志を認めないということは大いなる罪であるがゆえに、paternalisticなことをしちゃいけないのだ。だから、今回のdo-not-call listも「paternalisticだから言論の自由に反するから違憲!」ということで議論になっている。

常々思うのだが、「言葉がない概念は理解できない」。日本語にはpaternalismに該当する概念がない。だから、みんな気も遠くなりそうなpaternalisticなことをする。(あなたはpaternalisticだ、といわれたら「ふふーん、お父さんみたいで頼れるってことかな」などと悦にいる人もいるかもしれない。)「良かれと思って」本人の選択も聞かずに勝手に何かを選ぶ、ということが平気で行われる。もちろん、「かわいそうだから」「大変そうだから」という親切心で、善意に基づいて取られる行動なのだと思うが、きちんと判断力を持った人間に対し、その自由意志を聞かないのは罪ではないか。

The road to hell is paved with good intentionsという諺がある。直訳したら、善意が積み重なって地獄に行く、ということだ。一生懸命よかれと思ってしたことでも結果が悲惨では意味がない、というようなニュアンス。人間はみんなそれぞれ違う趣向があるんだから、勝手な善意で相手の自由意志を尊重しないのは地獄への直行便なんである。