(フィクション:ポストコロナの世界第3話です)
「スニーカーよし、Tシャツよし、バックパックよし、マスクよし、スマホよし」
俺は声に出してどれもスイッチが入るのを確認した。バックパックには充電用の大容量電池がずっしり入っている。
今日は井の頭動物園に来た新しい象のお披露目の初日だ。小さい子供連れの家族がたくさん来るだろう。小さな子供は広告に弱い。しかも見たものをすぐ欲しがるのでビュー単価が意外に高いのである。
なるべく注目を集めるよう、最近子供に人気なキャラクターの人形が頭の上についたキャップを持っていくことにした。人形は俺が動くとクルクル回って大きな目がウィンクするようになっている。誰がどう見ても純正品ではない粗雑な作りだが、本物より軽くて、動きが大袈裟なのが子供受けする。
深大寺のアパートから吉祥寺の井の頭動物園までは結構距離があるが、今日は電動スクーターで走るのが気持ちよく春がきたのが感じられる。
動物園のあとの移動も考えて、吉祥寺駅前にあるデパートの駐輪場に止めることにした。そのまま坂をくだれば井の頭公園だ。駅の雑踏から歩いて10分もかからないところにあるこの公園は、鬱蒼とした林の中に大きな池があり、人が少ない間は本当に気持ちが良い。思い切り深呼吸すると木々と土の匂いがした。
公園のベンチにバックパックを下ろし、キャップを被った俺は全てのディスプレーをオンにする。どれか一つでも壊れていると今日の売り上げに響く。
「スニーカーよし、Tシャツよし、バックパックよし、マスクよし」
心の中で指差し確認を終えると、スマホの広告効果測定アプリを立ち上げて全ディスプレーがきちんとリンクしていることも確認した。朝9:30をちょっと回ったところだ。動物園の開園まであと30分ある。
俺からみた景色は「静謐」という言葉がぴったりくる。
しかし他の人から見た俺は静謐の180度反対だろう。フルカラーの全身ディスプレーがてんでばらばらに様々な動画広告を表示、頭の上ではキャラクターがクルクル回ってウィンクしている。
公園を通り抜けて動物園の正門の前に着くと、もう30−40人の列ができていた。俺はその近くに立つと体を揺らしながらその辺を行ったり来たりし始めた。
5分ほどたったところで、そっとスマホを取り出して確認する。ユニークユーザが18と低めなのは想定内だが、アテンションが57%しかないのはちょっとまずい。子供は飽きっぽいので、出だしから57%は低すぎる。
俺は変な顔をしておどけて見せたり、楽しそうにスキップしたりして何人かの子供達が俺の周りに集まってきて、きゃっきゃと歓声を上げるのを確認してからもう一度スマホの画面を見た。86%、よし、これくらいのアクションが必要なようだな。体力勝負の1日になりそうだ。
しばらくすると、子供たちが俺の後ろに大勢集まった。きっとバックパックに新しいおもちゃの画像でも流れているのだろう。
それから5時間そこでひたすら子供相手に飛んだり跳ねたりして疲れ果てた頃、ついにTシャツのバッテリが切れた。腹も減ったし動物園はここまでにすることにしよう。俺はキャップを脱いで全スクリーンをオフにし、近くのコンビニで弁当を買い込むと公園の隅の木の下に座りこんだ。
その場で、バックパックから取り出した電池に全てのアイテムをつなげて充電する。
「スニーカーよし、Tシャツよし、バックパックよし、マスクよし、スマホよし」
心の中で指差し点検をしたのち、充電中のスマホで今日のここまでの売り上げを確認する。ユニークビューは6歳以下が541、7歳から12歳が613、13歳から18歳が314だ。アテンションと広告単価をかけて5時間の収入は10720円。なかなかいい感じだ。子供向けはまだみんな気付いていないようだな。しばらくはこれで稼げるだろう。
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着ているものに電動広告を表示するビジネスが広がったのはマスクからだった。
コロナ流行抑制のために世界でマスク着用が義務付けられてからしばらくすると、いろいろなブランドの独自デザインがではじめた。そして、フランスのブランドが、それまでファッションショーでしかお目にかかれなかった「フレキシブル・ディスプレイでのブランドロゴ動態表示」をマスクに取り入れてから一気にディスプレイ付きが広まり、それに目をつけた広告会社がスマホ経由で広告配信を始めたのである。
最近では広告の精度は増していて、周辺にどんな人間がいるのかを即時に分析、それにもとづいて最適な広告が表示される。さらに、これは有料なのだが、測定アプリをインストールすればいまいくらの広告収入があるかもリアルタイムで計測できる。
こんなことができるのも、コロナ罹患者のコンタクトトレーシングを自動化するために位置情報データを収集することが世界標準になったことが大きい。当初はプライバシー問題を気にする人たちも多かったが、都市閉鎖からの経済再開という最重要課題の前では懸念の声はかき消された。一応「データ収集は匿名に限る」ということになっている国が多いが、他のデータとどんどん掛け合わせていくうちに個人特定できてしまう。
コロナ流行の前からアメリカでは「どのパソコンとどのスマホが同じ人の持ち物か」「その人の住所は何か」ということが国民の6−7割まで判明していた。しかも、「年収」「学歴」「クレジットカードの購買履歴」「閲覧したウェブサイト」など、数千項目にもわたる情報がそれに紐づいていた。それが世界で使われるようになっただけだ。
今では子供たちも産まれてすぐ携帯チップ内蔵のブレスレットをするようになり、夜いる場所から住所がわかり、住所から家族が特定できる。その家に複数子供がいても、行動パターンからどの子供かわかる。幼稚園に行っているのか、小学校に行っているのか、どこに遊びに行っているのか。
コロナ経済ショックでクビになる前は広告業界にいた俺は、その時の知識を生かして人間広告塔フリーターとなった。割のいい場所を自分なりに探すことで結構いい収入になる。もちろん配信元の広告業界もかなり復活しているが、いつでも自分の好きな時間に働けるこの仕事が結構気に入っていてもう一回スーツを着て会社に通う気になれない、というのが本音だ。
何時間か木漏れ日を浴びながら本を読んですっかりリフレッシュした俺は、日がかげるとともにもういちどフル装備になった。
「スニーカーよし、Tシャツよし、バックパックよし、マスクよし、スマホよし」
次は駅に近い飲み屋街で週末に一杯やりにくる若者をターゲットにしよう。
歩いて駅の反対側に行き、若者向けの居酒屋や小洒落たショットバーが立ち並ぶ通りに立つと、ディスプレイに表示される広告は20代向けと思われるものに変わった。
俺がぶらぶら歩いていると、警官が通りかかり「広告証明書はあるか」と職務質問してきた。
詐欺まがいのビジネスの広告はとても儲かるので、人間広告塔ビジネスが始まった当初はその手の広告ばかり表示するやつらが溢れた。たとえ合法的な広告でも場所をわきまえないせいで批判されるものもあった。たとえば学校の近くで酒やタバコの広告を表示する、とかだ。そこで移動広告媒体事業者機構ができ、その認定する広告配信事業者の広告だけを表示し、GPSでその場所に適切な広告しか出さないシステムを取り入れることで「適性移動広告媒体事業者証明書」なるものが配布されるようになった。なぜかこの証明書は紙で発行されるので、それをいつも持ち歩かなければならないのが少し面倒なのだが。
俺が、バックパックのサイドポケットからラミネートしてある証明書をさっと取り出して見せると警官は歩き去った。
まだたいして人はいないが、あと30分もすれば増え始めるはずだ。俺がのんびりと歩いていると、こんな早い時間に既に千鳥足の男がこちらに向かって歩いてくる。若者が多いこの街には不似合いなくたびれたスーツ姿の男は老人と言っていい年代のようだ。土曜なのに働いていて仕事明けに一人で一杯やったのだろう。
男は俺の目の前で立ち止まると、
「お兄ちゃん、チンドン屋って知ってるかい?俺が小さい頃はこのへんにもいたもんだよ。へんな和服の三人組でね・・・」
と酒臭い息を吐きながら呂律の回らない口調で話し出した。
俺は曖昧な笑みを浮かべながらチラッとスマホの広告出来高を見ると、一気にグラフが下向きになっている。この親父が俺の広告をブロックしているせいに違いない。こいつの単価が低すぎるのだ。
俺はさっと横にずれると、いきなり走り出してオヤジを巻くことにした。夕暮れ時の飲み屋街はまだ人通りも少なく、春の夕暮れの中を俺は爽快に走る。
俺は自由だ。
(フィクション:ポストコロナの世界シリーズ第3話)