R&Dの変遷

IBMのメインフレームが40歳になった。最初のメインフレームS/360が誕生したのが1964年の4月7日ということで、NPRラジオでは当時の製品発表の録音を流していた。いろいろな媒体で取り上げられているが、CNETのIBM mainframes still chugging after all these yearsでは、メインフレームの歴史と現在の位置づけが網羅的によくまとまっている。当時売上げが年間32億ドルのところを、50億ドル(今のレートで5000億円超。当時のレートだったら1兆8千億円だ。)の開発費を投下した大博打だった、と。

ということで、今日はメインフレーム誕生日にちなんで、R&Dの変遷について。S/360の開発のように「R&Dとは古今東西、大企業が行ってきたもの」と、ついうっかり思いがちだが、決してそんなことはない、ということ。

1. R&D at 大学の時代

ほんの100年前まで、研究開発は大学のものだった。

例えば、製薬会社といえば一薬品あたり300億円とも700億円とも言われる莫大なR&D費用を投下、大量の博士を雇って製品開発をしている。しかし、元はといえば「薬剤調合屋さん」に過ぎなかった。

現在6万人超の社員と、200億ドル(2兆円)を超す売上げを持つMerckの歴史を追ったThe Merck Druggernautという本にはこんな段落がある。

Geroge W. Merck’s most revolutionary decision was to branch beyond manufacturing and into research in the 1930s. For a drug company like Merck to say it was going to do its own research, back in those days, would be like a hot dog stand today announcing that it would be hiring the finest French chefs. Scientists at universities were the ones who looked in microscopes, mixed molecules in test tubes, and uncovered new cures. Drug companies were – well, they were mere sales agents, peddling what the real scientists had discovered (and probably some overhyped tonics besides). The American Society for Pharmacology and Experimental Therapeutics even refused to admit members who worked for private industry.

当時の製薬会社が研究者を雇うのは、今で言えばホットドッグスタンドが最高のフレンチシェフを雇うようなもの、研究開発は大学で行われるものであり、民間企業で働く研究者は学会にも入れなかった、と。

2. R&D at 大企業の時代
しかし、その後大企業が社内に巨大なR&Dチームを抱え持つ形態が盛んになる。IBMの「年間売り上げを凌駕する額を1製品の開発に投入」は、その流れの頂点にあったと言ってもいいだろう。

大企業R&Dの金字塔ともいえるメインフレームの成功は、長期間IBMの屋台骨を支える。最初のCNETの記事に寄れば:

Mainframe hardware sales constitute about 5 percent of IBM’s overall revenue. But when services and software are factored in, mainframe-related sales likely contribute around 25 percent of revenue and close to 45 percent of operating profit, according to some estimates.

いまだにメインフレームとその関連売上げを足すと、IBMの全営業利益の45%にも及ぶのである。HPが要はプリンター屋なのと同じく、IBMは要はメインフレーム屋さんなのだ。それくらい儲かってる。

余談だが、90年代前半に「メインフレームを設置するビルの賃貸事業」という謎の仕事をしていたことがあった。驚いたことに当時まだ水冷式コンピュータなるものがあって、屋上に水冷タワーがあった。体育館のような広大な「ハードディスクの間」は、な、な、なんと500ギガしか容量がなかった(確か)。MISの担当者が
「新聞にしてXXページ、積み上げたらXXメートル分のデータが入ります」
と自慢していたが、私の部のワカモノたち(殆どが情報工学のマスター取得者)は、その単位体積あたり容量の少なさに呆然として言葉もなかった。「こんな過去の遺物はすぐになくなる」と皆いいあったが、どっこいいまだに売上げは伸びている。メインフレームというのは偉大な商品なのだ。開発にかかった費用の大きさ、そのリターンの素晴らしさの双方で、メインフレームは「大企業R&Dの黄金時代」を体現するといってもいいだろう。

3. 分散型R&Dの時代

しかし、今「大企業による集中型R&Dの時代」は終わりを告げつつある。

Economist4月1日(!)号のInnovative IndiaはPlease don’t call it outsourcingというサブタイトルで、インドは人件費が安いアウトソースの国ではなく、優秀な人材が優れた技術開発を行うイノベーションの中核になりつつある、という内容だ。

Wipro’s boss, Vivek Paul, says that R&D is becoming “like the movies”. Firms, like film studios, are increasingly unwilling to keep expensive teams together between projects. For Wipro, providing firms with an alternative to doing R&D with permanent in-house teams has become a big business, accounting for one third of its $1 billion in annual revenues, and employing 6,500 people. It is probably the world’s biggest R&D-services firm.

インドの代表的ハイテク企業、Wiproのトップは、「R&Dは映画産業のようになってきている」という。プロジェクトの時だけ優秀なチームを集める、というのが映画方式。社内に固定費として開発者を持ちたくない企業からR&Dを受託することで10億ドル、1000億円超の年間売上げを叩き出す。「R&Dのアウトソース」といっても、そのプロジェクト規模は、多くの日本企業が想像するこじんまりしたものとは桁違い。 Its smallest commitment to any of these clients is 300 people.ということで、顧客一社当たり「最低」300人貼り付ける、と。

こうした動きを称して「イノベーションのグローバル化」が起こっている、とアメリカのR&D企業SarnoffのCherukuriは言う。

Sarnoff’s Mr Cherukuri calls this “the globalisation of innovation”—continuing the erosion in the past 20 years of the old model of corporate R&D, dominated by big firms with big budgets able to erect big barriers to entry to their markets. His firm thrives as an “open-source provider of intellectual property to the world”—ie, in the outsourcing of R&D. This is part of a broader trend, prompted partly by a rising number of entrepreneurial innovators and growing amounts of venture capital to finance them, towards a more “dispersed” model of R&D. Now, the internet has removed geographic barriers to using far-flung talent, and the popping of the dotcom bubble “has spread innovation offshore”. The dispersal is becoming global.

過去20年の間に旧来型の企業R&Dは姿を消しつつあり、インドでの開発はその延長線上のできごとに過ぎない。まず、ベンチャーキャピタルによる資金調達で起業家精神を持った開発者が大企業の外側に登場、大企業での集約的開発から、数多くのベンチャーでの分散型開発へと、イノベーションは変化した。さらにインターネットによってその動きが地理的に広がりつつあるのが今起こっていることだ、と。

こうした「分散型R&D」に関しては、去年9月のR&Dのマーケットプレースで触れた「開発プロジェクトオンライン市場」という事業もある。元エントリを要約して抜粋すると

Innocentiveという面白い会社がある。製薬大手のEli Lillyが出資して作られたスタートアップで、フリーランスの研究者と企業のR&Dのマーケットプレースを運営している。世界125カ国に広がる2万5千人の研究者がsolverとして登録されている。企業側は、R&Dの課題を2000ドル払ってポスト、問題が解けた暁には数千ドルから10万ドルの懸賞金を払う、という仕組み。

世界の知恵をあまねく活用するという意味で面白い。研究者側のインセンティブは、先進国では腕試しが主だが、中国やインドでは懸賞金も魅力的で、7万5千ドルの懸賞金の問題に、インドの会社がチームを作って挑戦したこともあったとのこと。

かように、グローバルにR&Dを最適化する試みはどんどん進んでいる。しかし、R&Dの過去を見れば「大企業による集約的R&D」というのは、ここ100年ほど上手くいっただけの仕組みであり、また新たな形が変貌することは十分ありえるわけで。歴史というのは、知れば知るほど「うーむ、世の中何でもありだな」と思わされることが多い。これも温故知新といえるのでしょうか。

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