州知事選挙

現州知事のGray Davisのrecallに伴い、その後釜を狙う選挙に100人以上(!)が立候補している。20の学生から、蝋燭職人から、I’ll be backのSchwarzeneggerまで、もう何がなんだか。今のところ一番有力視されているのはRepublicanのSchwarzeneggerとDemocratのCruz Bustamanteである。Bustamanteはその名の示すとおりヒスパニックで、ヒスパニックの多いカリフォルニアでは有力。だが、Schwarzeneggerも「貧しい移民からのし上がった」というイメージで同じ層に訴求しようとしている。
(とhないうものの、Schwarzeneggerは移民してきたとき既にボディービルで有名、かつジムのオーナーでもあったらしく、「貧しい移民」というのは単なるイメージに過ぎないようだが)

一方、去年に続き今年も州知事に立候補したRepublicanのBill Simonが昨日(土曜)にこれ以上の選挙活動を断念。DemocratのDavisから、Schwarzeneggerという裏技でなんとしてでもカリフォルニア州知事の座を取り戻したいRepublicanが、票が割れるのを嫌ったということもあるし、人気投票調査で8%しか得票できなかったということもあるようだが、いずれにせよ、笑顔がわざとらしくて気持ち悪い立候補者が一人減った。(人気調査では、Cruzが35%、Schwarzeneggerが22%だった)

ちなみにSchwarzeneggerの生い立ちを追った記事はARNOLD SCHWARZENEGGER AS … THE CONTENDERへ。

SchwarzeneggerとBustamanteという、発音の難しい移民そのもののラストネームがトップを競い、Simonという普通の名前が脱落、というのは、Californiaを象徴する出来事といってもよいのでは。これほど人種、民族が全ての社会階層で交じり合った場所も珍しいだろう。例えば東京都知事選で、キムさんとチャンさんが人気を争い、山田さんが脱落する、というようなことは、まずあと30年くらい起こらないだろう。

交じり合った、といえば、San JoseやPalo Altoが含まれるSanta Clara Countyでどんな人が家を買っているか、というWho’s Buying?という記事があったが、2003年にSanta Claraで家を買った人の名前を多い順に10個挙げるとこうなるそうだ。
1. Nguyen, 2. Tran, 3. Lee, 4. Garcia, 5. Pham, 6. Le, 7. Kim, 8. Martinez, 9. Gonzalez, 10. Lopez
1,2,5,6はベトナム人、7は韓国人、4,8,9,10はヒスパニック。3のLeeは普通の白人のこともあるが、ベトナム人、韓国人、中国人のケースもある。多分後者では。

最近テクノロジーがらみ、ビジネスがらみで、たいしたニュースがない。夏休みシーズンだから、誰も何もしてないということか。。。月曜にはAirgoという会社が802.11aのチップセットをアナウンスした、というニュースのがSan Jose Mercuryの一面にでかでかと載っていた。既に何社からも802.11aのチップが出ている以上、いまさら802.11aをそれほど大きく扱うものなのか、とも思うが、他にニュースがないんだろう。製品リリースを8月にするのはいい案かも知れない。しかし、記事を書く記者のほうも夏休みという可能性はあるのだが。

今年のベイエリアの夏は涼しめ。Palo Alto近辺は、6月終わりに40度近くなる日が数日続いたのだが、それ以降は夜15度、昼25度、という感じだ。しかも、7月終わりにはな、な、なんと雨が降った。通常5月ごろから11月ごろまで1滴も雨が降らないものなので、天変地異。日本はもっと異常気象のようですが。

というわけで脱力系今日のblogでした。

あ”-

今日は、去年からあれこれ画策していたベンチャーが、先月末ついに最初のfundingを受けられた知り合いとランチ。最初はagnelから$1M位raiseしたいと言っていたが、結局angelとして投資してくれる個人を見つけるのは困難と断念、増資額を上げてVCから投資を受けることにしたんだそうだ。angelからの投資の方がvaluationを高めにできるので最初のファンディングとしては好ましいのだが、誰も財布の紐を緩める人がいないなら仕方ない。とりあえずはめでたしである。

ランチの後、銀行でちょっとした事務処理を依頼する。「会社の当座口座のインターネット取引画面から、同じく会社の利子のつく方の口座(Savings Account)も同時に見えるようにしたい」というシンプルな依頼。しかし、数日前からあれこれトライ、2度の電話と3回の支店行きを経てやっと実現したので、シンプルなように見えて全然シンプルではなかったのである。

出だしからの顛末はこんな感じだ。
1)まず電話で依頼。「あなたの口座の場合、支店に行かないとだめ」とのこと
2)支店に行き、依頼するも「既に二つの口座はLinkされている」とすげなく
3)会社に戻ってオンラインバンキングにアクセスするがやっぱりsavings accountの方は見えない
4)再度支店へ。savings accountが見えないことの証明に、オンラインバンキングの画面をプリントアウトして持参するが、それを見せても「でもlinkされている」とすげなく
5)会社にまたまた戻って銀行のカスタマーサポートに電話。私がして欲しいことを実現するには、支店の行員がどのフォームで何を社内申請すべきかを聞き、メモにとる
6)メモを握り締め支店へ。行員は私のメモを怪訝そうに見ながら「こんなの知らないよ」とでも言いたげなため息をつきながら、銀行のイントラネットを探しまくり、やっと必要なフォームを見つけ、プリントアウト、数箇所サインして終わり。

わたしわもう、あ”-とさけんでしまいましたぁ。。。とコギャルしてしまいたくなるような脱力なできごと。どうして私が行員教育をせなあかんのだ。しかし、アメリカ暮らしってこういうことがわんさかあるので、いちいち怒っていては疲れるだけ。。。。ちなみに、上記5で電話に出てくれたカスタマーサポートの人は知識豊富かつ親切で「ごめんなさいねー」と謝ってくれた。きっとインドかどこか、アメリカ以外のコールセンターに違いない。じゃなきゃ、こんなにまともな対応が返ってくるはずがない、と勘繰ってしまう。

ちなみに、ここで行った支店は以前書いたスバラシイ行員Michaelがいる支店ではなかった。会社から徒歩1分のところにあった銀行が私の銀行に買収されたので、最近登場した支店である。その著しい近さから、ついくらくらと海のものとも山のものとも知れない支店に行ったのが間違いの元。「アメリカでは一度捕まえた使えるプロフェッショナルを手放してはいけない」というのが改めて感じ入った今日の教訓です。

しかし「あに点々」というのはどう発音するんであろうか。なんとなくドイツ語のRかCHみたいな感じかと想像するんですが・・・・。

人の助けを請うこと

去年、遠路はるばる中国からやってきて、Palo Altoの病院で心臓病の手術を受けた
赤ちゃんがついになくなってしまった。

SJ MercuryのStruggle inspires lifeworkにはこうある。

When Kexin was only 7 months, doctors in China, a country that limits families to one child and values boy babies more, diagnosed her heart defects but said there was no hope. They said Kexin would not live past 2.

1人っ子政策で女の子は生まれても捨てられることすら多い国である。(余談だが、アメリカ人は中国から養子をもらってくることが多いのだが、もらわれてくる赤ちゃんはほぼ全て女の子だ)

Rui Cao endured 17-hour train rides in her native China, begged on the streets of New York and twice flew halfway around the world during her desperate 2 1/2-year fight to find a cure for her daughter’s congenital heart defects.

まだ若い母親は、「もう諦めたら」という周囲の声に負けず、中国中を駆け回り、さらにはNew Yorkまで来て、路頭で物乞いをしてまで資金を集めて、よい医者がいるという話を聞きベイエリアにやってくる。

Though Kexin’s recovery after surgery was not going smoothly, her death was unexpected.

最初の手術の予後は悪く、2回目の手術でも思わしい結果が出ない。次の3回目の手術で何とか、と期待していたが、突然亡くなってしまった。Kexinは赤ちゃんの名前。母親のCaoは、これから中国に戻って、恵まれない赤ちゃんを助けるために孤児院を開きたい、と言う。

Cao said she wants those who tried to help her and her daughter — more than 3,500 people donated more than $380,000 to her cause — “not to be discouraged about not being able to save her life.・・・All of those people who helped will impact the way I help other people in the future.’

母親は、アメリカで38万ドルという大金(4500万円超だ)募金を集めて手術の費用に当てたのだが、彼女はまた寄付をした人たちにがっかりしないで欲しい、という。助けてくれた人は、Caoがこれからたくさんの子供たちを救うきっかけとなったのだから、と。

*****

“On the afternoon before she passed, Kexin said, `I really can’t stand this. Can you carry me and help me?’ I came to realize life is not under any human’s control. God has his own time for everything.”

死ぬ直前の子供に「もう我慢できないから助けて」と言われ、初めて母親は「命には、神が定めた時間がある、どれほどただの人間である自分が努力しても救えないことがあるのだ」と悟ったと語る。

普通の人だったら、とうの昔に諦めるだろう。「もう一人生めばいいじゃない」と家族にも友人にも言われた、と記事にはある。アメリカで手術を受ける費用の莫大さや、中国の一人っ子政策などを考えれば、諦める方が普通なのではないか。それを、強引にアメリカにわたり、行く先々で人の助けを請い、自分でも物乞いまでして、手術にこぎつける。それも2度も。38万ドルという資金を集めるのは大変なことだ。単に寄付をした人たちもさることながら、募金活動をした慈善団体は、英語のできない母親と子供の住むところから通訳まで、お金では買えないこまごまと世話をしたはずだ。

それだけの人たちを巻き込んだ彼女の行いは、強引でわがままだ、と言ってもいいかもしれない。しかし、そのわがままさは、広がりのあるわがままさだ。彼女の強さに深く感動を受け、勇気を与えられる人たちもたくさんいるだろう。また、彼女の努力で本当にこれから中国で、素晴らしい孤児院ができるかもしれない。一度明日をも知れぬ身で、病身の子供を抱え、言葉のわからない国で物乞いまでしたことを思えば、相当の苦難は乗り越えられるのではないか。また、その彼女のストーリーに感銘し、資金を出す人も出てくるだろう。

「人の助けを受ける」のは大変なことだ。人は誰しも、実は助けてもらうより助けてあげたいと願っている、と心理学の本で読んだことがある。助けてあげる、というのは人間の本質的な欲求らしい。確かに人助けはとても心が温まる。一方、助けを受けたときは、真摯にその善意を受け止め、それに値する何かを実現しなければならない、という使命を負う。

日本では、知らない人は結構冷たい。重い荷物を持って腰が抜けそうでも助けてくれる人は稀だ。「日本人は冷たい」という人もいるが、もしかしたらそうではなく、単に繊細で遠慮深いのかもしれない。「善意を受けるということは重荷だ。重荷になるようなことを相手にするのは悪いんじゃないか」と、あえて知らぬ振りをしているという側面もあるのではないか。

しかし、そうやってみんなが遠慮しあっていると、物事はだんだん縮小していってしまう感じがする。ちょっとわがままでも、強引でも、「私はこれがしたい。でも一人ではできない。だから助けて。」と強く言う人と、それに応える人がいることで、新しい何かが生まれていくんじゃないか。

もちろん、広がりが出るような助けを求めるには「自分でできる限界まで努力した」ということを示せなければだめだ。Caoが物乞いをしたように、だ。

Caoの行為は、まさにアントレプレナー的である。今まで誰もしたことのないことをゴールに、常軌を逸した努力を重ね、多くの人に影響を及ぼして実現に向けてまっしぐらに進んだ。今回は、とても残念な結果に終わってしまったが、彼女はきっとまた新たなトライをするだろう。それが孤児院になるのかどうかはわからないが、恐らく何か素晴らしいことを実現してくれるに違いない。

gender issue..

Katharine Grahamの話の続き。女性のempowermentについて。。

基本的に、私は多分女性に厳しい(というか、誰にでも厳しいという説もあるが・・・)。男女差別なんてあって当たり前である。でも、それはゲームのルールなのだから、そのルールのもとでどうやって楽しくやっていくかを考えるべきだ、と思っている。そもそも差別(というか、区別)は男女の間にあるだけではない。学歴とか家柄とか人種とか、いろいろなことで人間は差別される。そういうのは全て社会の「お約束」なのであって、そんなことにいちいち文句を言っていたら始まらない。女性の地位が先進国の中では最悪といってもよい日本ですら、女性がやりたいことがやれる程度の自由はある。もちろん、周りに白い目で見られるとか、いらぬ注目を浴びるとか、干渉されるとか、様々な問題はあるかもしれないが、そんなのは「ゲーム」の一部。乗り越えられないのは個人の問題だ。日本ですらそうなのだからいわんやアメリカをや。

・・・というような、情け容赦ない信念を持っているのであるが、Katharine Grahamの自伝を読んで、「うーん、やっぱり外部からの正しいガイダンスっていうのは必要なのかもしれないなぁ」と思ってしまった。Katharine Grahamともあろう人ですら、40台半ばまでダンナにけなされ続け、自尊心ずたずたで、全く自信なく生きていたという事実。ダンナの自殺という思いがけない事件で、グループ企業のトップとなり「場」を得たことで経営者としての能力が開花していく。Washington PostはKatharine Grahamの実父の会社だった。本当は最初から婿であるダンナではなく彼女が引き継いでもやっていけたはずだ。それなのに、「お前は馬鹿だ」と言わんばかりのダンナの精神的迫害に耐え続け、おどおどとした人生を送ってしまう。

その彼女が変わったのは、「場」が与えられたからだ。いろいろな人のサポートを受けはするものの、基本的には「強いビジネスマンであること」が要求される「場」に自分をおいたことで、彼女は生まれ変わる。もっと正確には「本来の自分が目覚めた」といった方がいいだろう。自伝には、20そこそこで胡散臭いサンフランシスコのローカル新聞の記者をしたり、優れた実業家の父親からの薫陶を受けたりと、仕事の場で生き生きとしている彼女の姿がある。

女性に限らず、人間は周囲の期待に応えたい、という願望が強くあると思う。誰もが仕事をするべきだとは全く思わないが、キャリアを望みながら仕事の場での成長が妨げられる女性が多いとすれば、それは学問・仕事面での女性に対する期待が低いことが最大の問題なのかもしれない。

昔社会人になりたての頃、雑談で誰かに「高校では学校で1番だったりしたの?」と聞かれたことがあった。そのとき、即座に別の男性が
「女の子が学校で一番になるはずないじゃないか、そんなこと聞くもんじゃないよ」
と会話を終わらせてしまったことがあった。驚いた。
「渡辺さんが一番のはずないじゃない」
だったらわかるけど、
「女の子だから一番になれっこない」
という発想はいったいどこから来たんだろう、と。それ以外でも
「君はいつ結婚するんだ」
と当時はやたらに聞かれた。なぜにしてそのようなことを聞くのかと思ったら
「結婚したらやめるでしょ?」
ということで何年間仕事をする気があるのか、という質問だったのである。内定式では、当時の副社長が
「そこにいる渡辺さんなどはそれほど経たない間に会社を辞めると思うが」
とご丁寧に名指しでスピーチをしてくれたこともあった。ほんの3-4年くらい働くだろう、という程度の期待だけで会社に入れてもらえたのである。めでたいことだ。

期待が低いと、普通のパフォーマンスをするだけでも、期待値をはるかに凌駕するため高く評価される、というメリットは高い。しかし、一般的には低い期待値の中に自分をおくと、その求められたもののレベルで成長が止まってしまう可能性の方が大きいのではないか。GEのように人事で有名な会社はどこも「ストレッチする」、つまりその人の現状の能力を凌駕する課題を常に与えることがその社員の成長に欠かせない、としている。

というわけで、「より高い次元の要求をされる場」に自分をおき続けることが継続的成長に欠かせない、と思うのでした。

シリコンバレーB級グルメ・続編

最近てんやわんやしていて、blogを書くのもシンドイ。こういうときは「ツルツル書けるB級グルメ」に頼るに限る。

というわけで本日はRose Marketのシシカバブ。これは美味い。Mt. ViewのCastro Streetを西に向かい、El Caminoを越してちょっと行った右手。昼時には表にあるテーブルでものを食べている人がたくさんいるのですぐわかる。

Rose Marketはアラブ・ペルシャ系食品スーパーなのだが、裏に駐車場に面して窓口が開いている小部屋があって、そこでひたすらシシカバブを焼いている。表のスーパーに入って、レジでオーダーし勘定を済ますと番号を書いた紙をくれるので、それをもって裏の窓口に行き、待つことしばし。焼きたてのシシカバブが出てくる。Take Outしても良いが、その場でガシガシと食べるのが美味。

トレーの上全体に平たい巻物状のパン(というのかな、ピタブレッドみたいなもの)を敷いて、その上に紫蘇に似たスパイスを満遍なくかけたところにシシカバブを置く。さらにミントとパセリを山盛りにして、ほい、と渡される。適当に巻き巻きしながら食べましょう。

シシカバブは牛肉・マトン・鳥、ひき肉、とあるが、個人的にはマトンとひき肉がよろしいと思っている。トマトの焼いたのもおいしい。加えて、スーパーの方でしょっぱくてすっぱいヨーグルトドリンクを買って、ぐびぐびと飲むのもよろしい。ヨーグルトソーダなるものもあります。

店の前を何度か通りかかって、濃い顔をした人たちが大勢歩道に出したテーブルで食事しているのを見て「ここは何かある」と突入して発見した。大体、特定のエスニックの人が列をなしている食べ物屋に行ってみるとよいことがある。

みんな同じことを思うらしく、やたらと人が並んでいるラーメン屋で、美味しいものが食べられるのでは、とわけもわからず入ってしまったらしいインド人とロシア人と見受けられる2人組みの隣に座ったことがある。インド人らしき人の方は、ジーっとメニューを見て「ベジタリアンなモノはあるか」と聞いてお店の人を困らせていた。でも何事もリスクテイクしないとリターンも少ないですよね。

壊れているカリフォルニア

カリフォルニアは州知事リコールの真っ最中である。今の争点はシュワルツェネッガーが立候補するかどうか。意外にも出馬しないのでは、という方に傾きつつあるが。

現州知事のミスマネジメントを明確にしてしまったのが、年度が始まってもその年の予算が承認されなかったこと。めちゃくちゃである。

***
予算は結局承認されたのだが、その経緯は、Sacramento Bee新聞へ。カリフォルニアの政治のことだったら、やっぱり州政府所在地Sacramentoの新聞に限ります。Assembly OKs deal in marathon talks

いわく、
The Assembly, which was in session 29 hours and 28 minutes, eclipsed the old record of 26 1/2 hours at 2:30 p.m.

30時間弱に及ぶ議会の途中ではけしからん議員も登場。

At one point, shortly after 11 p.m., photographers snapped pictures of four Assembly members puffing cigars and sipping scotch from paper cups.

そんなこんなで承認された予算は$38 billion赤字のもの。4兆円超か・・・・。

***
さて、「こんなカリフォルニアに誰がした」ということで、州知事Davisのリコールとなるわけだが、カリフォルニアでは州知事のリコールは住民投票である。Davisは去年再選されたばかりなのに。。。。

Economist7月3日号: Is the Golden State Governable (要subscription)によれば、なんでこんなことになっているかというと

In 1911, California added three direct-democracy measures to its constitution: the initiative process (which allows voters to pass laws directly); the referendum (in which voters support or strike down laws passed by the legislature); and the recall.

ということで直接民主制が行き過ぎているのである。確かに、やたらと住民投票が多い。Proposition XXなどの名前で、学校予算を増やすための増税やらなんやら、ざわざわといろいろな提案のPRがされている。

Between 1980 and 2000, 626 statewide initiatives were circulated…In Los Angeles, there were 43 measures on the ballot in 2000, including local ones.

過去20年間で626もの全州的住民投票があったと。これに加えて、市独自の住民投票もある。1年間に40以上もの問題の決断を迫られる住民のほうも大変だ。古代ギリシャじゃないんだから。これでは、何のために議員を選んだのか、全くわからないではないか。

California is one of only two states requiring a two-thirds “super-majority” of both houses to pass a budget.

しかも、住民投票に加え、州予算承認には3分の2のsuper majorityが必要なため、今回のように予算が決まらない異常事態になった。そのせいで、、、、

If California really were independent, the IMF would have been called in by now.

とほほ、、、であります。

「限界は、超えてみなければ、そこが限界とわからない」というのが私の持論で、何事も「しまったやりすぎた」というところまでちょっと踏み出してみないと、どこまでが許される限界なのか判明しない。カリフォルニアは「民主主義の限界」をちょっと超してしまった、というのが良識ある人たちの間でのコンセンサスとなりつつある昨今である。

Pentagonの失敗

アメリカは資本主義の国である。「そんなのあたりまえじゃん」と思うかもしれない。しかし、本当に主義主張として資本主義を信じ、その基盤の上に国家を作り上げている国なのだ。資本主義とは基本的には「自由競争によって最適状態が訪れる」という信念のことだが、これを信じている日本人は、実はほとんどいないのでは・・・。

さて、そのアメリカの信念をうかがわせる事件が今日ニュースに。Pentagon(のDARPA)が中東情勢の先物市場を設立しようとした、というもの。詳しくはSan Francisco Chronicleの記事などご覧下さい。中東情勢を読み、ある出来事にかける。それが当たったら儲かる、という市場を本気で作ろうとしたのである。その名もFutureMAP

いわく。
Traders could buy and sell futures contracts based on their predictions about what would happen in the region.

先物として取引できる事象の例がこれまたすごい。
Examples given on the market’s Web site included the assassination of Palestinian leader Yasser Arafat and a biological weapons attack on Israel.

発表するや否や「テロリストが先物を買ってから、その通りのテロを起こして一儲けできてしまう」など非難が相次ぎ、あえなく中止に。

Pentagonの目的は中東情勢の情報の自由競争の場としての市場を開設することだった。「市場は常に個々のスペシャリストよりも優れた将来を読むことができる」ということ。

他人の国やよその元首への攻撃を商いの対象にしようという常識はもちろん疑うが、こんな発想をすること自体「資本主義的」だと思いませんか?

Katharine Graham: Personal History

ご無沙汰しておりました。休暇だったのであります。

休暇前の仕事のラップアップで忙しくなったあたりからblogをサボり始めたらあっという間に3週間近くたってしまった。

休暇には本を2冊持っていった。日本語の本だと、読み飛ばせるのでたくさん持っていかないとならず重くて大変だが、英語だと読むスピードが日本語の5-6分の1なので2-3冊で結構楽しめる。喜んでよいのやら悲しんでよいのやらわからないが。

1冊はWashington Postの社長だったKatharine Grahamの自伝。Pulitzer賞も受賞した本だから、読んだ方もいると思う。以前買ったのだが、みっしりと細かい字で、しかもずっしり600ページ超の重さに圧倒されて、本棚に置きざりになっていたもの。

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Multimedia- symphony & Sony Clie

San Jose Mercuryの日曜版のhttp://www.bayarea.com/mld/mercurynews/6222412.htmはConcert Companionという、classicのコンサートで解説を聴衆に配信するシステムの話。ただいま開発中。

It works this way: Each person is handed a device; Valliere has been customizing Sony Cliés for use in focus group tests, which began in Kansas City in March, drawing positive feedback from the small number of participants. As the music begins, a technician seated at a laptop in the back of the concert hall, pushes a button at predetermined points in points in the score. The information is then transmitted simultaneously to the Cliés, which run on a Palm operating system, appearing on their screens as a continuous “play by play” about the music.

カスタマイズしたClieを利用してワイヤレスで音楽・作曲者・楽器などの解説をタイムリーに送信するというもの。

賛否両論だが、classic離れが進んでいる中でより多くの人々を引き付けられるのでは、という期待がある。

以前に絵を見るって・・・というエントリーでGerhard Richter展で音声での解説用ヘッドフォンの話を書いたが、私はこういう類のオンサイト解説が好きだ。最近では、解説自体が刺し身のツマ的存在を越え、ちょっとした評論本くらいの価値をもっていると思われるものも多い。

芸術ではないが、例えば、Alcatraz島の牢獄は今は観光地となっているが、そこで借りられる解説ヘッドフォンでは、囚人として実際にAlcatrazに収容されていた人の肉声で当時の思い出が聞ける。「独房で全くすることもないので、毎日じっと夢想にふける。だんだん慣れてくると、頭の中にカラーテレビがあるようにくっきりとある場所を思い浮かべることができるようになり、いながらにして世界のいろいろなところに旅ができるようになった」みたいな話が淡々と語られて、単なるコンクリートの箱でしかない牢獄の残骸が急に生々しいものとして見えてくる。

とはいうものの「芸術の解説」は邪道では、という迷いが以前はあったのだが、それが吹き飛んだのはAndrew Wyethが自らの回顧展の作品を解説したAndrew Wyeth: Autobiographyという本。圧倒される。絵を何倍も楽しめるというのもさることながら、芸術家の頭の中ってのは、普通の人とは次元が違う構造なんだなぁ、と圧倒された。例えば、奥さんの絵がある。ちょっと紅潮した頬で、やや斜めを向いているが、それは夫婦喧嘩の最中に彼女が激昂して顔が赤くなって激しく彼をなじった瞬間に、「これだ、私は妻の本質を掴んだ」と、それを後日絵にしたのだそうだ。(別に怒っているのが彼女の本質というのではなく、感情が激した瞬間に何か本質的なものが内部からほとばしり出た、と、そういうことであろう。)夫婦喧嘩の最中にそんなことを思うダンナを持った妻は大変ではないか。それ以外にも、ふとした瞬間に「ある人間・動物・風景・その他もろもろの何かの本質を掴み取った」と感じ、それを絵にするということが繰り返し出てくる。(逆に「本質」が掴み取れず、なかなか絵がかけずに苦労したなんて話も出てくる)そうやって何かの「本質」に突然迫られ続ける人生というのは、息苦しいものではないのか。

内田善美の「星の時計のLiddell」という漫画がある。その中で、登場人物の一人が美しい風景を見て「僕は画家でも作家でもなくてよかった。画家だったらこの美しい一瞬を切り取って自分の中で絵に昇華してしまう、作家だったらこの風景を言葉にせずにはいられない。でも僕は芸術家ではないから、この美しさを美しさとして享受できる」みたいなことを言うシーンがある。(20年前に読んだものを記憶からたぐっているので、ちょっと違うかもしれないが、とにかくこういう意味のことだった。)きっとそうなんだろうなぁ、と思う。Wyethの見る世界はWyethの絵のような緊迫感に満ち溢れているのであろう。

ちなみに、Wyethの本のカバーになっている、夜の室内で犬が半眼を開いている絵は、15年位前に朝日新聞の日曜版に大きく載ったことがあった。元のタイトルは「Night Sleeper」というのだが、朝日新聞は「夜の眠り」と訳していた。が、この本を読むと「窓から差し込む月の光が、よく乗っていた夜行列車(night sleeper)を思い出させたので、このタイトルにした」とあり、誤訳だったということがわかる。重箱の隅をつつくようだが。いずれにせよ、この本はWyethファンでなくても楽しめるはずです。