去年、遠路はるばる中国からやってきて、Palo Altoの病院で心臓病の手術を受けた
赤ちゃんがついになくなってしまった。
SJ MercuryのStruggle inspires lifeworkにはこうある。
When Kexin was only 7 months, doctors in China, a country that limits families to one child and values boy babies more, diagnosed her heart defects but said there was no hope. They said Kexin would not live past 2.
1人っ子政策で女の子は生まれても捨てられることすら多い国である。(余談だが、アメリカ人は中国から養子をもらってくることが多いのだが、もらわれてくる赤ちゃんはほぼ全て女の子だ)
Rui Cao endured 17-hour train rides in her native China, begged on the streets of New York and twice flew halfway around the world during her desperate 2 1/2-year fight to find a cure for her daughter’s congenital heart defects.
まだ若い母親は、「もう諦めたら」という周囲の声に負けず、中国中を駆け回り、さらにはNew Yorkまで来て、路頭で物乞いをしてまで資金を集めて、よい医者がいるという話を聞きベイエリアにやってくる。
Though Kexin’s recovery after surgery was not going smoothly, her death was unexpected.
最初の手術の予後は悪く、2回目の手術でも思わしい結果が出ない。次の3回目の手術で何とか、と期待していたが、突然亡くなってしまった。Kexinは赤ちゃんの名前。母親のCaoは、これから中国に戻って、恵まれない赤ちゃんを助けるために孤児院を開きたい、と言う。
Cao said she wants those who tried to help her and her daughter — more than 3,500 people donated more than $380,000 to her cause — “not to be discouraged about not being able to save her life.・・・All of those people who helped will impact the way I help other people in the future.’
母親は、アメリカで38万ドルという大金(4500万円超だ)募金を集めて手術の費用に当てたのだが、彼女はまた寄付をした人たちにがっかりしないで欲しい、という。助けてくれた人は、Caoがこれからたくさんの子供たちを救うきっかけとなったのだから、と。
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“On the afternoon before she passed, Kexin said, `I really can’t stand this. Can you carry me and help me?’ I came to realize life is not under any human’s control. God has his own time for everything.”
死ぬ直前の子供に「もう我慢できないから助けて」と言われ、初めて母親は「命には、神が定めた時間がある、どれほどただの人間である自分が努力しても救えないことがあるのだ」と悟ったと語る。
普通の人だったら、とうの昔に諦めるだろう。「もう一人生めばいいじゃない」と家族にも友人にも言われた、と記事にはある。アメリカで手術を受ける費用の莫大さや、中国の一人っ子政策などを考えれば、諦める方が普通なのではないか。それを、強引にアメリカにわたり、行く先々で人の助けを請い、自分でも物乞いまでして、手術にこぎつける。それも2度も。38万ドルという資金を集めるのは大変なことだ。単に寄付をした人たちもさることながら、募金活動をした慈善団体は、英語のできない母親と子供の住むところから通訳まで、お金では買えないこまごまと世話をしたはずだ。
それだけの人たちを巻き込んだ彼女の行いは、強引でわがままだ、と言ってもいいかもしれない。しかし、そのわがままさは、広がりのあるわがままさだ。彼女の強さに深く感動を受け、勇気を与えられる人たちもたくさんいるだろう。また、彼女の努力で本当にこれから中国で、素晴らしい孤児院ができるかもしれない。一度明日をも知れぬ身で、病身の子供を抱え、言葉のわからない国で物乞いまでしたことを思えば、相当の苦難は乗り越えられるのではないか。また、その彼女のストーリーに感銘し、資金を出す人も出てくるだろう。
「人の助けを受ける」のは大変なことだ。人は誰しも、実は助けてもらうより助けてあげたいと願っている、と心理学の本で読んだことがある。助けてあげる、というのは人間の本質的な欲求らしい。確かに人助けはとても心が温まる。一方、助けを受けたときは、真摯にその善意を受け止め、それに値する何かを実現しなければならない、という使命を負う。
日本では、知らない人は結構冷たい。重い荷物を持って腰が抜けそうでも助けてくれる人は稀だ。「日本人は冷たい」という人もいるが、もしかしたらそうではなく、単に繊細で遠慮深いのかもしれない。「善意を受けるということは重荷だ。重荷になるようなことを相手にするのは悪いんじゃないか」と、あえて知らぬ振りをしているという側面もあるのではないか。
しかし、そうやってみんなが遠慮しあっていると、物事はだんだん縮小していってしまう感じがする。ちょっとわがままでも、強引でも、「私はこれがしたい。でも一人ではできない。だから助けて。」と強く言う人と、それに応える人がいることで、新しい何かが生まれていくんじゃないか。
もちろん、広がりが出るような助けを求めるには「自分でできる限界まで努力した」ということを示せなければだめだ。Caoが物乞いをしたように、だ。
Caoの行為は、まさにアントレプレナー的である。今まで誰もしたことのないことをゴールに、常軌を逸した努力を重ね、多くの人に影響を及ぼして実現に向けてまっしぐらに進んだ。今回は、とても残念な結果に終わってしまったが、彼女はきっとまた新たなトライをするだろう。それが孤児院になるのかどうかはわからないが、恐らく何か素晴らしいことを実現してくれるに違いない。