休暇中に、Oliver SacksのSeeing Voicesを読んだ。期待通り面白くて、初日に読みきってしまった。
Oliver Sacksは、Robert De Niroが出たAwakenings(邦題:レナードの朝)の原作者でもある脳神経医。様々な脳神経障害に関して、心打つエッセイを書いている。
彼が、他の「文章も書く医師」と一線を画しているのは、その深い洞察力、共感力による。彼の専門分野の「脳」は、思考と感覚をつかさどるとはいうものの、電気信号と化学物質で成り立つ一器官に過ぎない。多くの脳神経関係の本は、その科学的解明に重きが置かれ、とてもドライな感じがする。しかし、Oliver Sacksのエッセーは、単に対象を「症例」として捉えるのではなく、特定の異常・特異性を通じて、さらに一歩踏み込んで、人間の「心」とは何か、「魂」とは何か、といった深みに達しているものが多い。
Seeing Voicesは聾唖者と手話に関する本だ。手話というと、多くの人が単語の羅列だと思っているのではないだろうか。少なくとも私はそう思っていた。
「私」「学校」「行く」「昨日」
みたいな感じ。しかし、全くそうではないことがこの本を読むとわかる。複雑なニュアンスと文法を持った、一つの独立した言語なのだ。
では、そもそも「言語」とは何か。Oliver Sacksは、言語の重要な特質として次の二つを挙げている。
1)言語は、幼少期に取得しなければ、一生獲得できない
2)人間は、「文法能力」を遺伝的に持っている
1)の「言語」は「何らかの言語」という意味。4-5歳までに、全く言語に触れることなく育った子どもは、一生話せるようにならない、ということ。そんな子どもはもちろん殆どいないのだが、歴史上時々「野生児」や「何らかの理由で、隔離され監禁されて育った子ども」などが、かなり大きくなってから登場する。その後、どれほど周りが努力しても、彼らに言語を教えることはできない。彼らは、言語を習得できないだけでなく、抽象的思考そのものができないという問題を抱える。
2)は1)と相反するようだが、そうではなくて、幼少期に周りから適当な言語刺激を与えられさえすれば、人間は必ず文法規則を持った言語を「開発」できる、ということ。その「幼少期の刺激」は、完璧な言語である必要はない、というのがポイント。例えば、親たちはどこかから連れてこられた移民で、全員片言しか話さなくても、その子どもたちは、親の使う言葉を要素として、前置詞や時制といった文法規則をもった言語を勝手に開発する。つまり、人間には教えられなくても会得可能な「内在する文法」がある、ということになる。
(この「人間には『文法力』が生まれつき備わっている」という革命的学説を最初に唱えたのはNoam Chomsky。ChomskyはMITの言語学科の教授で、数多くの言語学に関する本を出しているが、Hegemony or Survivalといったアメリカの外交に関しても影響力のある本を複数出版している。
「わーいChomskyだー、言語学だー」
と、うかつに本を買うと、いきなり9-11の話だったりするのでお気をつけ下さい。いや、それにしても、現代においても、ダビンチみたいに多分野に渡る才能を発揮する人っているんですねぇ・・・・。)
1)から、一つの事実が浮かび上がってくる。それは
「先天的に耳が聞こえない子どもには、すばやく手話を教えないといけない」
ということ。耳が聞こえないために、全く言語に触れないまま、大切な最初の数年間を無駄にすると、一生言語もなく、抽象的思考もない状態にとどまることになる。
「抽象的概念」と「言語」のかかわりの興味深い事例として、殆ど言葉に触れないまま育った聾唖者の子どもが、「名前」という概念を理解したときに、ほとばしるような興味を示す話が本には出てくる。馬、犬、船、といった「モノの名前」はそれ自体が抽象的なのだ。スピッツも、セントバーナードも、ダックスフントも、全部「犬」という括りに纏め上げる、というのは、あまりに当たり前で、私たちはなんとも思わないが、実は非常に高度な知的作業であり、それを基にさらに抽象的概念を構築するための基礎でもある。本には、「モノには名前がある」ということを始めて知った聾唖者の子どもが、あれは何、これは何、と聞きまくる、というエピソードが語られる。「名前」は、その先に深い知的世界が広がる、大切な「扉」なのだ。
(ちなみに、以前も紹介した、自閉症の大学教授Temple GrandinはThinking in Picturesで、「モノの名前」が直感的に理解できない、と語っている。「犬」と誰かが言うと、彼女の頭の中には、今まで見た全ての犬の映像が大量に映し出され、その個々の犬の集大成として「犬」という言葉を相手が使っているのだな、と考えるのだそうだ。このあたり、自閉症の原因が、言語中枢とどう絡んでいるのか考えるのあたって興味深い。)
「親の世代が片言でも子どもの世代では完全言語が出来上がる」ということの例なのかもしれないなぁと思ったのは、以前行ったキュラソーという島のローカル言語。キュラソーはベネズエラの沖合いにあるのだが、ヨーロッパの様々な国から集まった「ご主人様」とそれに仕えるアフリカから略奪されてきた「奴隷」という社会構造が、現在の文化の元にある。その結果、現在キュラソーで話される言語は、「英語+スペイン語+フランス語+・・・」という「ヨーロッパ言語ちゃんこ鍋」状態のもの。ヨーロッパ圏の言葉を一つでも話す人だったら、大体なんとなく理解できるはずだ。これも、きっと、いろいろごちゃごちゃな言語を聞いて育った子どもたちが開発したのではあるまいか。
さて、話を元に戻すと、言語は「左脳」の担当である。一方空間や形は「右脳」の担当だ。では、「手話」という「空間での形」を「言語」として認識する機能は、どちらが担当しているのか。答えは左脳。卒中などで右脳が機能しなくなると、「左」という概念を失うことがある。例えば、その人の左側に物を置いても、それを「見る」ことはできない(というか、そもそも「左」とは何かを完璧に忘れてしまう)。しかし、同じように「左」を失った聾唖者でも、手話だけは、左右両方の領域を全部使って「話す」ことができ、かつ相手が左右全領域を使って「話す」手話を解読することができる。
かように、手話は「手の形のぱらぱら漫画」ではなく、完璧な「言語」なのである。Seeing Voicesでは、手話を与えられずに育つ聾唖者の子どもの悲劇などを通じ、人間が人間らしく感じ・考えるために、言語がいかに重要な基盤となっているかが浮かび上がってくる。
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ちなみに、Oliver Sacksは数年前Uncle Tungstenという自伝兼化学の紹介本を出版した。これを読んで私は
「変なのはお前だ、Oliver Sacks」
と心の中でこぶしを握り締めた。彼の書く奇妙な症例に勝るとも劣らない、変な生い立ちが語られる。家族・親類はみな医者や科学者。例えば、植物学者のおばさんは、庭にフィボナッチ級数に従った列になるよう球根を植えていて、球根と数学を同時に教えてくれる。mad scientistに近いおじさんは、家で放射性同位体を使った永久時計を作っている。外科医の母親は、14歳のOliver Sacksに、14歳の少女の死体を解剖させる。(Oliver Sacksは未だに独身なのだが、これはそのショックではあるまいか、と勘繰ってしまったり。)
こんな面白い過去を持ちながら、そんなことは一つも書かずに、他人の症例をずっと書き続けてきたOliver Sacks。心から尊敬した。そして、
「私も、自分のことをウダウダ書かない人間になりたい」
と心から思った・・・のだが、やっぱり時々書いてしまう。未熟者なんですなぁ。
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さらに凝り性なネタとしては、The Royal Tenenbaumsに出てくる、Gwyneth Paltrowの演ずるお姉さんの最初のダンナがOliver Sacksのパロディ、というのがある。(多分)。白髪の豊かなあごひげを蓄え、奇妙な知覚障害を持った少年(実はやらせ)を見世物にして稼いでいる学者、という触れ込み。見た目の感じがホンモノのOliver Sacksそっくりで笑えます。