Future Story: スシ・レオン

Photo by Yunming Wang on Unsplash

サンフランシスコのキッチンハブは有刺鉄線で囲まれた駐車場と寂れた倉庫風の建物が並ぶ一角にあった。

空港まで出迎えにきてくれたキッチンハブのスタッフの案内で建物の中に入ると、中は4つほどの区画に分かれていて、そのひとつは既に「Sushi Leon」というロゴが印刷されたシートで覆われている。準備が速い。俺が商売道具が入ったジェラルミンのケースをカウンターの横に置いて蓋を開けていると、100キロ分の寿司ネタが入ったもう一つのケースをカートに乗せたユウジンが入ってきた。

スタッフが何か英語で話し、それをユウジンが訳す。

「注文しておいた品物は全部もう冷蔵庫の中にあるそうっす。プロモ撮影のクルーが10時には来るんで、その時はスタンバッておいてくれってことっす」

俺はユウジンにうなずくと、ニコニコしながら横に立っているスタッフにサンキューと告げた。スタッフは「問題があったらいつでも連絡して欲しい」といったようなことをユウジンに言うと去っていった。

冷蔵庫をあけて依頼した通りの食材や日本酒が並んでいるのを確認し、ジェラルミンケースから包丁や土鍋、飯台などを出して調理スペースに並べ始める。

ユウジンも慣れた手つきでネタを冷蔵庫に移す。出発前に豊洲の市場で仕込んできた大事な食材だ。大トロだけで30キロ、イクラが20キロ、それ以外はイカやエビなどいろいろだが、いずれも高級品ばかり。意外なところでは大根も入っている。透き通った美しいツマを作れるみずみずしい大根を手に入れるのは意外に難しいので、最近では必ず日本から持ってくることにしている。

「Ok, done!」

とユウジンが言ったので

「しばらく休憩しようか」

と声をかけると、時計を見ながら

「プロモ撮影まであと1時間あるんでコーヒー買ってきます」

と言い、道路に出ると迷いなく右に向かって早足で歩み去った。あらかじめどこに美味いコーヒー屋があるのか調べてあるのだろう。ユウジンの気配りの細かさにはいつも驚かされる。

キッチンハブの外には4人がけの屋外テーブルが10個ほどポツンポツンとおかれている。まだ営業しているレストランもない早い時間だが、3人組が座って何か話していた。そこから離れたテーブルに座ると、3人組の1人がこちらを見て何か他の2人に言い、立ち上がって歩いてくる。短い髪の毛をブルーに染め、ファンキーなTシャツを着た若い女だ。顔は逆光になってよく見えない。

「レオンさんですよね」

日本語だ。俺が頷くと、ブルーの髪は

「コウといいます。いつもレオンさんのチャンネル見て勉強させてもらってます!」

と歯切れ良く言った。コウ?まさかラーメン界の異色の新人、コウか。

「ラーメンの?」

と聞くと、

「そうです。お会いできてすごく光栄です」

「ここで営業してるの?」と聞くと

「昨日までいました。今日はさっきまで撤収で、このあとスタッフと観光しようかなって」

「そうか。このあとどこいくの?」

「メキシコシティです。世界一周のチケットを目一杯利用しようと思って、緯度を戻らないように北と南をジグザグに移動してるんですよ!」

俺が心の中で「そんなに世界中にニーズがあるのか!」と舌を巻いたところでコーヒーを二つ持ったユウジンが戻ってきた。コウは軽くユウジンに会釈すると「じゃあがんばってください」とニッコリして去っていった。

「コウさんっすか?昨日までここでしたよね。かっこいいっすね!」

と言うユウジンからコーヒーを受け取りながら

「コウの最新動画のページビューはどんな具合?」

と聞くと、すばやく携帯を何度かタップしたユウジンは

「スゲッ」

と言ってから

「一番新しいやつで70万ちょっと超えたとこっす」

と感嘆したように言った。

俺もうかうかしていられないな。

ゴーストキッチンともバーチャルキッチンとも呼ばれる配達専用の共用キッチンが登場し始めたのは2018年ごろだった。シェフにとっては店や厨房機器の初期投資なしでレストランが経営できるのが利点だ。特にCovid-19のせいでレストラン店内での飲食が制限され、世界のレストランの多くが閉店に追い込まれた間に大きく広がった。

初めの頃はピザやバーガーなど、簡単に作れるファーストフード的なメニューを手ごろな値段で出す汎用タイプの配達専門店が多かったが、腕に自信のある若手シェフが初期コストなしで店を出せるチャンスに目をつけてゴーストキッチンを使い始めると、独立した食のエンターテイメントとしてのポジションが誕生した。今では高級料理や前衛的な創作料理まで、様々なタイプが乱立している。

その中でもキッチンハブは「世界の著名シェフのスペシャルメニューを期間限定で提供する」というハイエンド狙いだ。

今回の Sushi Leon のメニューにも80ドルから200ドルまでの高額アイテムが並ぶが「日本まで寿司を食べにいくにはその何十倍もかかる」と、どの街も行く前に予約でいっぱいになる。

俺がキッチンハブを使い始めたのは3年前。西麻布に店を出してしばらくたち、ミシュランの星をもらって話題を呼んだところでキッチンハブから勧誘された。店の設備は全てキッチンハブ持ち、注文や配達も全てハブが取り仕切きる、もちろんプロモーションもキッチンハブがするし、データで最高級の寿司のニーズが高い世界の街が洗い出されているのでリスクも少ない、と説得された。

その時に見せてもらった各都市の予想単価と販売数から、1年の半分働けば今の倍以上の収入になる見込みがあったのも決心を後押しした。

最後に悩んだのは英語ができない俺が世界を飛び回って仕事をすることだったが、これもキッチンハブがバイリンガルのユウジンを紹介してくれたことで解決した。ロンドン育ちで一度も日本で生活したことはないはずだが、日本のオンラインコンテンツを見て育ったというユウジンの日本語は完璧だ。やや「一昔前の若者言葉」という感じはするが。

そして西麻布の店を閉めて以来、世界の街に出向いては3週間 Sushi Leon を開店、そのあとは3週間日本で寿司の勉強をしながら骨休めする、というサイクルを繰り返している。

サンフランシスコは2回目だ。前回とは違う驚きを提供しようと生食用のホタルイカやナマコも少量ながら準備した。どんなレビューになるだろうか。

そんな話をユウジンとしているうちに、カメラを持ったクルーが来て俺たちに軽く挨拶すると撮影の準備を始めた。俺はキッチンに戻り、作務衣を着て鉢巻を締める。最初の頃は白い普通の寿司職人の格好をしていたのだが、インパクトが薄いとキッチンハブのプロモーターに言われ、たまたま持っていた作務衣を見せたら受けが良かったのでこれになった。その後全体に雷のモチーフが白く染め抜かれた作務衣を特注しお揃いの鉢巻も作ってからは、これが Sushi Leon のユニフォームになっている。

「レオンさん、腕組んで右の上の方を見て、そこからカメラ目線になってI am Leonって言ってくれってことっす」

カメラマンの指示をユウジンが俺に伝える。最初の頃ほどの恥ずかしさはないが、やはり照れくさい。しかしこれも大事な仕事の一部だ。俺は真剣に眉根を寄せて右上をキッと睨んだあとゆっくり顔を回してカメラ目線で「I am Leon」と思い切り低い声で言ってみた。

そのあと、持ってきた包丁や、豊洲で選んだ食材を説明するショットを撮る。

これが今日中にFacebook、Instagram、Twitter、YouTube、その他いろいろなメディアに広告として出回る。

一息つくと、俺とユウジンは外のテーブルにもう一度戻りコウのチャネルを見はじめた。

「Hey guys! It’s Ko!  Ko the ramen queen!」

コウのアップビートな英語のオープニングが終わると、今回のスペシャルメニューの材料や調味方法の説明がはじまった。

アメリカ人の父親を持つハーフのコウは完全にバイリンガルでスラングを交えながらの早口だ。残念ながら俺の英語力では半分も聞き取れない。

コウがキッチンハブ巡りを始めてまだ半年たらず。しかし、一杯5000円近いという、日本人の感覚では破格の値段のラーメンはどこでも人気で、世界のあちこちからリクエストが舞い込んでいるらしい。

ディテールにこだわった食材への思いを、器用に調理しながら感情豊かに表現するコウの動画はあまり言葉がわからない俺が見ても引き込まれるものがある。

そう思って画面を見ていると突然、

「300食かぁ!」

とユウジンが感嘆したように言った。

「え、なに?」

と聞くと、

「コウさん、このキッチンハブでは毎日300食完売したそうっす」

俺は頭の中でさっと売り上げを計算して驚愕した。高級寿司屋の俺がラーメン屋に売り上げで負けているではないか。

しかもコウはまだ20歳そこそこと聞く。どこのラーメン屋にも弟子入りせず、自分で試行錯誤してオリジナルの味にたどり着いたらしい。

俺は、そんなあれこれをユウジンに説明してもらいながら、才能ある調理人が次々に出てくる厳しい世界の競争のただなかに自分がいることを実感した。

キッチンハブに勧められるまま、あちこちの都市に行って同じようなメニューを出すだけではやがて才能溢れた新人に今の地位を奪われてしまう。俺の脳内には、これまでグローバルに人気を集めながら短期間で忘れられていった調理人の顔が次々に浮かんだ。

「・・・でした?」

ふと我に帰るとユウジンが何か聞いていた。

「ごめん、聞いてなかった。何?」

と言うと

「サンタバーバラから注文してあったウニ、どうでした?」

そうだ、俺には明日からここで3週間、最高の寿司を提供するという仕事がある。まずはこれに集中しなければ。

そしてそれが終わったら、ゆっくり次の成長の手立てを考えよう。

「仕込み始めるか」

そう言いながら俺は立ち上がった。

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