誰にも勧めないすごい本:Switching Time

衝撃的な実話。多重人格を一つに統合する、という話し。似たような内容で、やはり実話の「24人のビリー・ミリガン」という本が15年くらい前にありました。比較すると、読み物として万人受けするのはビリー・ミリガン、内容がより衝撃的で深いのはSwitching Time。

そして、その深い話しを、誰にも勧めない理由は、多重人格の本人が子供の頃に受けた虐待があまりに、あまりに、あまりに凄惨だから。「人生には、知らなくてよいことがある」というようなキャッチコピーの映画が大昔あったような気がするのだが、まさにそういう感じ。

でも最後に、「人間って偉大だ」と勇気づけられます。そこは、本当にすばらしいのでした。

多重人格は、虐待が原因で起こる、というのが通説。耐え難い扱いを受けている子供が、

「今、こんなひどい目にあっているのは自分ではなく別の人」

と思うことで乗り越えようとする、と。そこで二人に分裂。一旦分裂すると、ちょっとしたストレスで次々と新たな人格を作り出して行くため、2つや3つではなく、10、20、といった大量の別人格を一人の人間の中に抱えることになることが多いようです。

ビリーミリガンが、異なる人格の描写や、人格が分裂してからの出来事が中心なのに比べ、Switching Timeは、多重人格を持つ「Karen」が、どのような境遇の中で人格が分裂したかにかなりの部分が割かれる。というのも、筆者は、Karenを9年かけて統合したセラピストなのであった。その9年間のセラピーの記録を一つにまとめたのがこの本であり、なんといってもセラピーなので、Karenの深いトラウマが何度も何度も語られる訳です。

Karenの最初の分裂が起こったのは1歳にも満たない時。

父親が、泣くKarenの口をガムテープで塞いで、体に針をグサグサと刺す。その時にKarenは、

「私を守ってくれる本当のお父さんとお母さん」

を自らの中に作り出した。(お父さん人格のHoldenと、お母さん人格のKatherineは、いずれも「自分が先に誕生した」と言い張るので、どちらが先かはよくわからない。)

さらに2歳になるKarenが、生まれつき額にあった腫瘍を除去する手術をしたとき、親が

「手術代が無駄だ、どこかにこの子を養子に出そうか」

と語るのを聞き、この会話を聞きたくない一心で「英語がわからない赤ん坊」という人格を作り出す。この子供は生後21ヵ月から成長することはない。

・・・と、既に暗澹たる気持ちになっている方も多いと思いますが、ここまでの「虐待」は、Karenがその後受ける仕打ちが猛吹雪だとしたら、小春日和の空にうっすら浮かぶ雲ぐらいの長閑なもの。または、ここまでが「裏庭の築山」だとしたら、以降の虐待は、K2に、マッターホルンに、ヒマラヤにエベレスト、という感じ。悪魔信仰を始めた父親、祖父、親戚やらその他の人々に、肉体的、精神的、性的に、とことん蹂躙され続けるのでした。そして、その過程でどんどん新たな人格を作っていく。

3歳の時に自分の便を食べることを父親に強制され、その時に分裂した人格、とか、10歳の時に叔父に強姦され拷問された時に分裂した人格、とか、13歳のとき父親の同僚に金で売られて性交渉を強要された時に分裂した人格、とか。

著者も、人の問題を聞くプロのセラピストな訳ですが、Karenの話しを聞きながら、なんども部屋から逃げ出したい衝動に駆られ、さらに「こんなひどいことをする人間が、本当にこの地に実在するのか」という疑念も持つ。

実際、Karenの虐待の記憶は、どこまでが本当なのかはわからない。セラピスト氏も、

「何が本当かを暴くのが私の仕事ではない」

として、証拠を集めたりもしない。

「少しは捏造された記憶も混じってるのでは・・・」という気もする。というのも、明らかに異常な父親はさておき、学校の教師、牧師、警察官、など、ありとあらゆる人が、Karenを(多くの場合性的に)痛めつけるので。本当にこんな恐ろしい非道な人が一カ所に固まって住んでいるなんてことがあるのか?と。

しかし、細部の真偽がどうあれ、Karenにとっては、その記憶は全て真実であり、彼女を苦しめ続けるのでした。

そしてKarenは、17歳の時に母親役のKatherine人格の力で、やっと悪夢のような家を出て一人で生活し始める。結婚して子供も生まれる・・・のだが、ずっと自傷行為を繰り返し、しかも選んだ夫はひどい暴力を振るう男だったというさらなる鞭が。

***

ビリーミリガンの驚異は、個別の人格の多くが、それぞれ優れた能力を持っていたところにあった。大学レベルの物理を独学で学ぶ「インテリ人格」、武道家で超人的体力の人格、東欧の言葉を話す人格、絵のうまい人格、などなど。

ところが、それを統合して一つの人格にしたら、個々が持っていた「とがった」能力は失われ、ごく普通の人になってしまった。

(15年以上前に読んだ本を、記憶から書いているのでちょっとアレですが、当時もこの「統合したらタダの人」という所に妙に感銘を受けたのを覚えているので。)

Karenはビリーミリガンほどのスキルがたくさんある訳ではないが、絵のうまいJensenという人格の絵はかなりのレベル。本の164ページに、17の人格を1枚の絵に描いた「肖像画」があるが、なかなか表情豊かで、文章で表現される個々の人格の特徴がよく出ている。

(Jensenは、Karenが子供の頃頻繁に拷問されたグレーの部屋の中で、「美しい色を見たい」という思いから生まれた人格。世の中の美しいものを見て感動し、自らも美を生み出すのがJensenの役割。人間が生きて行く上で美しいものって大事なんですね・・・・。)

個別の人格は人間としての深みに欠け、中には問題ばかり引き起こす人格もあり、統合は欠かせない。ところがJensenは、Karenの統合が進むにつれ絵が下手になって行く。

つまり、ビリーミリガンでも、Karenでも、「統合」と「優れた才能」は両立しない。

・・・ということは、天才とは、統合的な人間であることを意識的にやめて、何かをシャットダウンし、偏った人格に入り込める人なのだろうか、と思ったり。「いつも入り込んでいる人」は近寄りがたい奇才で、「普段は統合した普通の人として生き、特定の時だけその状態に入れる人」は尊敬される天才、ってことでしょうか?

Jensenの「肖像画」では、「文章でKarenの人生を記録する人格」が一番上に全体を覆うように描かれている。この人格はあまり出て来ない影の薄い人格なのだが、実はKarenを一つにつなぎ止めるために重要な役割を果たしていることがこの絵からはわかる。それ以外にも、個々の人格がどんなものかは、大変興味深いのだが、それを話し始めると終わらなくなりそうなので、この辺で。

***

さて、「人間って偉大だ」というのは、これだけのトラウマを抱えたKarenが、結局自ら率先して治癒を実現させるところにある。

29歳になったKarenは、「自分は統合しなければならない」と決意し、セラピストに会う。(これは母親役のKatherineが画策するのだが、それもまたKarenの一部。)

そして、セラピストが信頼できるかどうか、何年もかけて見極めた後、17の人格を紙に書き留めてセラピストに説明し、さらに、どうやって人格統合するかの方法も、自らメモにしてセラピストに指示する。このメモは父親役のHoldonが書くのだが、非常に明快かつビジネスライクな指示書。

To: Dr. Baer
From: Holdon
Re: My Guidelines to Integrate

と業務指示書のように始まり、箇条書きで

「まずKarenを催眠術にかけ、彼女の心の中の『安全な場所』に入っていいか聞け。その際Karenへの説明はこんな風に。そして、その『安全な場所』に人格Xを呼び出してKarenの中に入るように指示せよ。その方法は・・・」

といったこまごまとした指示が書かれている。

人格統合は一つずつ行われるが、それが進むにつれ、何度もHoldonからの詳細な指示書が渡される。

最後にHoldonを統合するとき、セラピストは

「Karenはまた分裂してしまうのではないか」

と心配するのだが、Holdonは、

「大丈夫、複数の人格が住んでいた心の中の部屋をきちんと閉じてくる。この部屋は二度とあかない」

と告げる。「分裂」は「逃避」であり、Karenがつらい人生から逃れる唯一のよりどころであった。しかしその逃避を二度としない、と自らを律するわけです。そしてこの、最後の分裂人格Holdonは、セラピストに別れの挨拶をする。

Dr. Baer, it’s been a pleasure working with you.  I couldn’t do it alone.  I needed your help. 

「先生、これまでありがとうございました。一人ではとても(統合は)できませんでした。先生の力が必要だったのです。」

Karenは、統合後、暴力を振るう夫と離婚し、安定した仕事にもつき、子供たちと落ち着いた日々を送る人生を得る。

そして、彼女の統合過程を本にすることを許可した理由は、「虐待されている子供が一人でも減るように」との思いからだそうです。

人間ってすごいと思いませんか?

resilienceという英語があり、これは、どれほど打たれても立ち直ってくる力、みたいな意味。Karenのresilienceには心を打たれます。

フルタイムの忙しい本業を持ちながら、それとは別に怒濤の勢いで本を書く秋山ゆかりさんに去年この本のことを話したら、早速読んでいただいたようです。(しかし、所々悲惨すぎて読めない、、とのことですが。)秋山さんの感想はこちらに。

今アメリカでは、アイドル歌手Britney Spearsが、急速に人格崩壊しつつある雰囲気。先週は、部屋に立てこもって救急車で精神科に緊急入院させられ、しかしその救急車に運び込まれるところでニコニコと笑っていたり。その上、大事な子供の親権を確保する大事な裁判にも出ず。fell off the deep end=「ついに取り返しのつかないところまで落ちてしまった」という感じがひしひしとするのだが、しかし、Karenですら戻って来られたんだから、Britneyも人間の世界に戻って来られるよ、がんばれ!となぜか応援してしまう私でした。

誰にも勧めないすごい本:Switching Time」への11件のフィードバック

  1. 昨日見た「晩秋(Dad)」という映画に妻に管理され過ぎて二重人格になってしまったお爺さんが出て来るのですが、「多重人格と言えば幼児虐待」みたいな先入観のあった私は、大人同士の関係でも二重人格になってしまうのねと妙に新鮮に感じられてしまいました。実話じゃないかも知れませんが…

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  2. こんにちは。
    すごい!人の性善、というか人間の生きることへの希望、みたいなものを感じました。
    読むのはちょっと、恐いですが。

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  3. 怖いですよね。
    私も幼年期の怖い記憶がかすかにありますが、
    いざ 自分が 親になると 無意識に 繰り返している。
    例は、別の話になりますが、
    例えば、2人家族のシーンをTVやまわりの知り合いに多く見れば、それが普通になってしまう。
    もっと昔であれば5人より多い時代があったと思います。
    近くにあったもの、頻繁に体験したことを学習している。
    虐待も、その時は拒否しているのですが、何かの拍子に無意識に出てしまう。
    私は、この作品の記事を読ませて頂いて
    「カミングアウト」
    というメッセージを受信しました。
    作者の方は、
    さらに「カミングアウト」したかったのでは?(勝手に感じているだけですが・・・・・)
    以上です。

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  4. chikaです。
    「晩秋」みていないのですが、多重人格でしょうか?レビューを見るに、「抑圧された性格」から「自立した人生」へと花開く、といったような話かと思ったのですが・・・。
    ちなみに、「multiple personality disorder=多重人格」というと、「いろいろな性格がある」という風にも聞こえますが、最近はdissociative identify disorder=解離性同一性障害、と言う名前で呼ばれるようになってます。http://www.merck.com/mmhe/sec07/ch106/ch106d.html
    名前の示すとおり、Aという人格のときは、Bという人格とは完全に別人になってしまい、Aであるときは、Bであるときの記憶すらない、という状態・・・。(Karenは、ある日気付いたら何年もたっていて、なんと結婚して出産もしていた、ここはどこ、私は誰?という状態になったりしてます。)他の人格がしていることを「観察」できる人格もいるようですが。
    解離性同一性障害では、今のところ殆どが幼少期の虐待が原因と考えられています。患者の97-98%が幼少期の虐待があった、と報告している、と。(上記Merckのページを参照下さい。)ただし、「幼い頃親が死んだ」といった場合もあり、必ずしも全てが虐待ではない、とのことです・・。
    また、大人になってからの発症例はない、とのこと。ちょっと前のレポートですが、「最初の発症は5歳未満」というのが多くの専門家の意見のようです。 http://allpsych.com/journal/did.html

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  5. 千賀さん、
    去年読んでインパクトのあった本の1冊です。教えていただきありがとうございます。
    人格崩壊しているように見えるブリットニーもまだまだ人気があるので、彼女が立ち直ることの方が世間へのインパクトが大きいのかもしれません。ペアレントコーチは彼女につけられて一気にその存在を世間に知られることになりましたしね。

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  6. そういえば、ジョンキューザックのIdentityという映画のエンディング、The Sixth Senseくらいのインパクトがありました(前情報なかったんで)。

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  7. [思考][心理]心の壊れる音が聞こえる/入力感覚の制御

    自分の進む道を進めばいいんだなー!ということで、良く分からない空間を全開で思いっきり発散してみよう。 能力という幻想と感覚の絞り方 昔ビリーミリガン読んだときに思ったことを思い出した。多重人格と能力と感覚の問題。 ビリーミリガンの驚異は、個別の人格の多くが…

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  8. うわー私にはとても読む勇気がないかも。(; 😉
    Rolling Stoneで読んだJ. T. Leroyという作家の記事を思い出しました。アメリカは小説よりぶっとんだ事実が多過ぎるので、フィクションが色褪せて見えるときがあります。
    ブリトニーが丸坊主にしちゃったときに「この子は自殺するかも」と思いました。彼女もリンジー・ローハンもMジャクソンも、メディアが彼らの乱行や奇行を禿鷹のようにつついてるのを見ると腹が立つ。子供の頃から周りにいる人間が自分をダシにして得しようという奴ばかりだったら、そりゃ切れるわな。

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  9. 奇行といえば、かつてアンジェリーナ・ジョリーも奇行で話題になった女優。ドリュー・バリモアもETで有名になった後、9歳で飲酒スタートで、アルコール中毒、ドラッグ中毒でボロボロになっていたし。2人とも今やあこがれの女優と成長したので、何が起きるか分からないのが人生ですね。自分が復活しようと思うと復活できる。それが人間の強さとすごさなんだろうなぁ〜

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  10. 村上龍によると、天才とは過剰ではなく欠落。つまり、幼い頃の欠落を埋めるために生存を賭けて行った努力で得た能力を、ある時、実生活へ役立てることに成功した人のこと、という説もあります。

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