ロボットは敵か味方か

テレビSFドラマシリーズBattlestar Galactica。Season2もずいぶん見進んだ。(Galacticaについては、24をしのぐ傑作「Battlestar Galactica」 Battlestar Galactica 続きを読んでください。)

違和感を感じるのが、人間そっくりに作られたサイボーグたちを
「機械だから愛せるわけがない、心を割って付き合えるわけがない」
と決め付ける点。もちろん、「そうは言ってもやはり人間そっくりな見た目、行動パターンの相手を、機械として切り捨てることはできない」といった心の揺れを持つ登場人物も出てくる。しかし、「機械だから信用ならない」というのが大前提。

で、思い出したのが、EconomistのJapan’s humanoid robots:
Better than people

Few Japanese have the fear of robots that seems to haunt westerners
in seminars and Hollywood films. In western popular culture, robots are
often a threat, either because they are manipulated by sinister forces
or because something goes horribly wrong with them. By contrast, most
Japanese view robots as friendly and benign. Robots like people, and
can do good.

西洋人はロボットは怖いものだと捕らえているが、日本人はロボットを「友好的で害がなく、人間のことが好きで、よいことをしてくれるもの」と考えている、と。

日本人がロボット好きな理由のひとつとして宗教が挙げられている。

Most Japanese take an eclectic approach to religious beliefs, and
the native religion, Shintoism, is infused with animism: it does not
make clear distinctions between inanimate things and organic beings. A
popular Japanese theory about robots, therefore, is that there is no
need to explain why Japanese are fond of them: what needs explaining,
rather, is why westerners allow their Christian hang-ups to get in the
way of a good technology.

日本人の宗教観では、無生物と生物の間にクリアな境界線がないから、と。(確かに、便所の神様とかもいるし。そういえば、バリでも、「すべてのものに神様が宿る」と考えると言っていた。電話やらパソコンやらといった、電化製品の神様もいるそうである。で、すべての神様にお祭りの日があるので、毎日どこかでお祭りなんだそうだ。)

もうひとつの日本人のロボット好きの理由として挙げられているのがポップカルチャー(=漫画・アニメ)。

Japanese popular culture has also consistently portrayed robots in a
positive light, ever since Japan created its first famous cartoon
robot, Tetsuwan Atomu, in 1951.

「鉄腕アトム」に始まるキャラクタがロボットのイメージを向上している、と。

前者の宗教観、は常々そうだなぁ、と思う点。Galacticaでも
「サイボーグに魂(Soul)があるか」
がやたらと議論されるのだが、
「そんなのどうでもいいじゃん」
と私は思う。魂があるから人間はほかの動物よりえらい、みたいな価値観は、アメリカ的には非常に普通なようだが、どうも私の感性には合わない。私に魂があるなら、うちの猫にも魂があると思うし、猫にないなら私にもないと思う。

Angel Heartという映画を見た。ミッキーローク主演の恐怖映画なのだが、最後の最後は(おっと、ネタバレだが)、

「実は主人公は悪魔に魂を売っていたのでした、あなオソロシや~」

というのがオチであった。どうも、それが本当に恐ろしいことのようなのだが、そもそも私は魂などどうでもよいと思っているので、そのどうでもよいものが売られようが、まったく恐ろしくない。
「これだけストーリーを引っ張っておいて、これかい」
とがっくりしたのを覚えている。非常にまじめに作られた映画なのであるが、ま、私的には「犯人は実は身内のヤスでした」という、大昔のファミコンのゲーム「ポートピア殺人事件」みたいな印象であった。

***
ちなみに、Economistの記事、冒頭がおかしいです。

HER name is MARIE, and her impressive set of skills comes in handy in a nursing home. MARIE
can walk around under her own power. She can distinguish among
similar-looking objects, such as different bottles of medicine, and has
a delicate enough touch to work with frail patients. MARIE can
interpret a range of facial expressions and gestures, and respond in
ways that suggest compassion. Although her language skills are not
ideal, she can recognise speech and respond clearly. Above all, she is
inexpensive. Unfortunately for MARIE,
however, she has one glaring trait that makes it hard for Japanese
patients to accept her: she is a flesh-and-blood human being from the
Philippines. If only she were a robot instead.

「安くて、高性能で、介護機能も豊富なマリーには一つだけ欠点がありました。マリーは人間だったのです・・・・」というもの。介護ロボット作るより、フィリピンから看護婦さんに働きに来てもらえばずっと安上がりなのに、と。でも、やっぱり日本は「もち肌ロボット」の方が向いてるんでしょうね。

ロボットは敵か味方か」への3件のフィードバック

  1. Economist記事の冒頭、確かにおもしろいです。
    超えようのない文化の違いを感じました。
    最後の一文で、
     ・日本人のアジア一般に対する拒絶感と差別
     ・Robot Price > Cheap Laborの現実と空想の乖離
     ・アメリカ人の経済的弱者の利用(or 搾取)に対する「なんでダメなの?いいじゃん」的なニュアンス
    が、ぷんぷん漂っています。

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  2. 根源はキリスト教の「人間は特別感」なんでしょうか。
    たしかに、アメリカの物語で出てくる高性能ロボットはほとんど全てが「人間になりたい」「人間の心を持ちたい」という自己否定的願望に苛まれてますね。
    日本ではそういう願望を持つのは妖怪人間ぐらいですが。

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  3. ジョージ-san,
    >日本人のアジア一般に対する拒絶感と差別
    は、その裏側に「日本人の西欧人一般に対する劣等感」があって、厄介ですよねぇ。。なんですぐ人を階級化したがるのかなぁ。
    >アメリカ人の経済的弱者の利用(or 搾取)に対する「なんでダメなの?いいじゃん」的
    その通りですね。私も「何でダメなの?いいじゃん」と思っちゃう方なんですが。
    がりゅう-san,
    ベムとベラですね。「人間になりたい・・・。」;-)

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