健康保険を民営化してはいけない

結論から言うと
「医療行為では、原因と結果の間に何年、何十年もの開きがあることがある。だから、医療保険を民営化してはいけない」
ということ。この結論の説明だけに興味がある人は、末尾に飛んでください。

さて、「民営化してみたらこんなんなっちゃいました」というのがアメリカの医療保険制度。(というか、一度も国営だったことがないのだが。)崩壊しております。「崩壊している制度」というと、日本だったら年金制度などが思い浮かぶかもしれない。しかし、その比ではない。

保険を民営化した結果、どんな風に滅茶苦茶化しているか、ということについては、アメリカに集約するヘルスケアのイノベーション でも書いた。

Economist1月26日号のAmerica’s health-care crisis
Desperate measures
 (有料)も

The world’s biggest and most expensive health-care system is beginning to fall apart.

と始まる。

America’s health system is a monster. It is by far the world’s most
expensive: the United States spent $1.9 trillion on health in 2004, or
16% of GDP, almost twice as much as the OECD average

ちなみに、対GDP比では、2位のスイスが12%以下。16%のアメリカがダントツだ。

The government
picks up the tab for 40m elderly and disabled Americans (through
Medicare) and about 38m poor (through the state-federal Medicaid
scheme). That leaves around 46m uninsured, though many of these,
whether students or workers, go without insurance by choice.

65歳以上は政府が提供するMedicare保険でカバーされ、貧困層には同じく政府提供のMedicaid保険がある。それ以外の人は勤め先の企業からの保険を使うのだが、零細企業だと保険がない。また、パート・バイトなども保険なし。ということで、「それなりの収入があるがMedicaidの対象にならない」という人が、一番悲惨な無保険状態となる。これが全国で4600万人もいるのである。

ちなみに、Starbucksで週20時間以上働くと保険が付く。(Business Week: How to get your health-Care参照)独立して事業をはじめたが、保険のカバーのためだけに、Starbucksでバイトしている、という笑えない話も聞いたことがある。

Although the pace of medical spending has slowed slightly recently (to
7.9% in 2004), spending has risen by 40% since 2000. Typical insurance
premiums have gone up by more than 60%.

2000年からだけで、国全体の医療費は40%増、保険料は60%増。

Add together Medicaid, Medicare and other publicly financed health
care, such as that for ex-servicemen, and the public sector already
pays for 45% of American health care. (The total is nearer 60% if you
include the tax subsidies.)

しかし、これだけの代償を払っている医療保険の民営化だが、結局Medicare、Medicaid、退役軍人向け医療を足すと、全体の医療費の45%、さらに保険料の税金控除分を足したら60%が政府負担なのである。ばかばかしいこと極まりない。

Since most bills are paid by a third party (the insurance company or
the government), neither patients nor doctors face real pressure to
control costs.

このポイントは、日本では誤解している人もいるのでは。「アメリカでは、医療にも資本主義的競争原理が導入されているので、患者は、費用対効果の高い医者や医療行為をを選ぶことができる」という美しき誤解。が、実際には、Economistの言うとおり全然そうなっていない。

そもそも、お医者さんに見てもらったら、料金も払わずにそのまま帰る、というのが普通。手術をしようが入院しようが一緒。これに慣れるまで随分かかった。今でも帰り際に受付の人につい「このまま帰っていいの?」と聞いてしまう。が、通常、料金請求は、数週間たってから郵送でやってくるのであります。(copayという自己負担分が決まっているタイプでは、その分だけ帰りがけに払うこともある)

The most interesting innovations, however, have come less from
think-tanks or politicians’ offices than from within the health-care
industry. One trend, called “Pay for Performance”, is to shift doctors’
and hospitals’ incentives towards providing more efficient and better
care, by measuring quality and adjusting payments accordingly.
According to Karen Davis, president of the Commonwealth Fund, a
health-care research foundation, there are now around 100 “Pay for
Performance” initiatives in place. Early evidence suggests that they
are having some effect.

実際、「パフォーマンスベースの支払い」という競争原理の導入は、「イノベーション」の最たるものとして扱われている。それくらい例がないわけ。100ケースしかないとのこと。

And some of the cost saved by employers can be put into special Health Savings Accounts (HSAs),
which workers can tap to pay routine health costs. Once the account is
empty, workers are responsible for paying for their health care until
their deductible is reached. This should make them think twice before
visiting a specialist when they get a sore throat.

最近では、新たな方法として、HSAという保険と貯蓄の合体が誕生している。年間の自己負担総額が高い保険。家族だったら年間2100ドルまでは全額自
己負担、とか。ただし、自己負担額分を貯蓄すると、その分税金控除となる、というもの。(ちなみに、アメリカは税金も高いので、効果大)

High-deductible insurance policies are attractive to the young and
healthy. But as these workers leave traditional insurance, the risk
pool in other insurance plans will worsen and premiums will rise even
faster. The real losers will be poorer workers with chronic illnesses.

が、しかし、HSAは若くて健康な人に好まれ、そうした人が脱退して年寄りで病気もちの加入者が増えた普通の保険は、今よりさらに保険料が高くなってしまう。実際それが起こっている、という記事もBusiness Weekに出ていた。

Mr Bush’s health-care philosophy has a certain political appeal. It
suggests incremental change rather than a comprehensive solution. It
reinforces existing industry trends. And it promises to be pain-free.
Unfortunately, it will not work. The Bush agenda may speed the reform
of American health care, but only by hastening the day the current
system falls apart.

他にもいろいろあって、Economistの結論は、「Bushがやろうとしている『現在の保険制度の改善』はうまくいかない。必要なのは本当の改革(=国民皆保険化)」ということ。

***

冒頭に述べたように、私も保険は政府による国民皆保険しかなりたたない、と思う。(そもそも、医療行為は軍隊に似たpublic goodではなかろうか。public goodについては、こちらのエントリーの「オマケ:P2Pとpublic goodについて」という末尾を参照ください。)

アメリカの保険は、どんどん違うものに乗り換えることができる。勤め先が提供する保険でも、毎年、いくつかの選択肢の中から別のものを選択できる権利がある。

しかし、医療行為では、原因と帰結の間に長い長い年月がかかることがある。予防医療や、長期的疾病(成人病とか)の管理をちゃんとすると、長い年月の後にその成果が出て、トータルでみた医療費が減ることにな
る。

しかし、現在のアメリカの状態では、年取ってから差が出るような医療行為を、民間保険で提供するインセンティブがない。65歳以上はどうせ国の保険だから。

また、健康な間は、長期でメリットが出るような医療行為はカバーされないが保険料が安い保険に入り、病気になったら、カバレッジがよい保険に入る、といった乗り換えも当然起こる。

例えば、糖尿病では、従来だったら生活習慣の改善だけでOKとされた軽い時期からインシュリンを定期的に取る方が長期的に見て健康が保たれる、とか、高価なインシュリンポンプで常に血糖値を一定に保った方が将来の健康悪化が少ない、といったことは医学的に知られているが、中々保険は降りない。何年、何十年もたってから、失明や足切断、といった状態に進行していくことがわかっていても、である。

とはいうものの、国民皆保険もそれほど上手に機能しているわけではない。カナダは崩壊、イギリスも苦しい。しかし、先進国で唯一の民営化策をとっているアメリカほど滅茶苦茶な例は他にない。

恐らく落としどころは

「国民皆保険に改善を加え、なるべく上手に運営する」

といった所なのだろう。その点、「最大多数の最大幸福」という目標から見ると、日本の医療保険制度は世界的に見ても相当いい線行ってると思う。超先端医療では、やはりアメリカですけどね。

健康保険を民営化してはいけない」への15件のフィードバック

  1. 国民皆保険のメリットには、購買カルテルなので購買力がめちゃくちゃ強いというところもありますね。ギリギリまで値切れる。
    日本の歯科医療は値切りすぎて質が極めて低いようですけど。こないだフィリピンの友達と歯医者の話をしてたら、レベルの低さに驚かれました。

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  2. 会社勤めの頃は会社におまかせだったので、独立した時、まず保険料の高さにびっくり、それから個人加入の場合のカバレージ(割合も、かかれる医者も)の低さにもびっくり。でした。スタバの話も納得できるものがあります。

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  3. へえー。そうなんですか。なんだか想像するものと全く違いますね。
    アメリカの航空業界がぶっ壊れているのは分かります。結局必要なものは、市場原理が成り立たないんですね。つけを税金で払う。
    改めて日本の「国民皆保険」は、素晴らしいものだと思いました。

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  4. ないかい-san,
    保険は皆保険、だけど医療は思い切り資本主義の原理を導入、というのがいいのかなぁ。難しいですけどね。しかし、こういう難しい制度を運用することにかけては日本は神業的ですから、なんとなかるのでは。
    あらい-san,
    デンタルは、予防医療と手術の普及に関して、日本はものすごーく遅れてますね。確かに。
    ただ、詰め物に関しては、超うまい!!80年代前半に私がオーストラリアに行ったときは、歯医者に行ったら、医者が「一体こんなすばらしい詰め物をどこで入れたんだ!」と驚いて、看護婦を呼んで見せるやら、大変でした。アメリカに来てから何本かクラウンにしたけど、結構ヘタ。やり直してもらったこともあったくらい。20年以上前に日本でやったのが一番上手。日本では、予防医療をやっちゃうと虫歯が減って歯医者の収入が減るから、あまり広めていないのでは、と疑ったり。
    shiro-san,
    配偶者が独立したら、スタバで20時間働く。これが、アメリカ版内助の功?
    Takenori-san,
    アメリカは、航空業界より医療の方が大幅に壊れています。イヤー、すごい国です。もっと激しく暴動とか政治不安になってもおかしくないと思うんですが・・・。

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  5. 日本のデンタルの技術も捨てたもんじゃないですよ。
    うちのカミサンは、歯の移植手術を受けました。
    移植といっても、他人の歯ではなく自分の歯ですが。
    ぼろぼろになった虫歯を抜いた跡に、親知らずを抜いてきて移植したらしいです。
    しかも、保険範囲内!(ちょっと小細工したらしい)
    日本の健保、ブラボー!

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  6. 我が祖父母は、歯が駄目になったからと言って、インプラントをしたりしている。
    で、値段を聞いて驚いた。祖父の場合はカローラ1台分、祖母にいたってはクラウン1台分というではないか。
    ぼったくりではないか!という気持ちがするのだが、こんなものなんでしょうか?技術革新で安くならないんですかねー。
    また、歯にそこまで金をかける祖父母にもびっくりした。『歯が命』は芸能人だけじゃないのね。そう実感しました。

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  7. 専門外ですが、日本の歯科治療は世界一のはずですよ。
    日本の医療もコストパフォーマンス的には世界一でしょう。

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  8. asakura-t-san,
    頂いたリンク先文章にあるように、管理コストは膨大です・・・。
    Go-san,
    保険で移植ーーーオーマイゴッドでございます。ブラボーデスね・・・
    ぶらぶら-san,
    クラウンで一本7-8万というのが、日本もアメリカも相場みたい。なので、インプラントで、しかも歯を根こそぎやったらそれくらいかかるのでは。歯が悪くなると、健康全体が害されるらしいので、大事大事。
    ないかい-san,
    日本の治療技術はすごいですよね。器用だし。歯槽膿漏とかの外科処置も、イマイチ普及してない気がするんですが、多分やろうと思えば上手いんでしょうね。

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  9. 【米国】医療保険加入、米で初の義務付け マサチューセッツ州[06/04/07]
    ■医療保険加入、米で初の義務付け マサチューセッツ州 【ワシントン=気仙英郎】 米マサチューセッツ州の上下両院議会が、州内の全住民に医療保険への 加入を義務付ける法案を可決し、全米の注目を集めている。 米国には、国民皆保険制度はなく、貧困層や高齢者層以外は、民間の 保険を利用しなければならない。法案には、ロムニー州知事も署名する 意向を示しており、米国初の試みが始まることになる。 nbsp; 法案は、四日に可決され、二〇〇七年七月までに医療保険に加入しなければ、 罰金の対象になる。さらに、従業員に医療保険を提供していない企業に対しても 罰金が課される。 nbsp; 州内に五十五万人程度いると推定されている保険加入が難しい低所得層に 対しては、州が補助金を出す方針だ。 nbsp;米国の医療保険は、メディケア(高齢 者向け医療保険)、メディケイド(低所得者向け医療保険)以外は、民間の保険 しかなく、国民それぞれが受ける医療サービスの内容に応じて保険料を支払う仕組みだ。 クリントン大統領が一期目で、全米レベルの国民皆保険制度の実現をめざしたものの、 医療機関や製薬会社などの反対で実現しなかった。 nbsp; ブッシュ政権は、二期目の課題として、医療保険制度改革を唱え、今後五年間で 三百六十億ドルのメディケア費用を削減する一方、医療費支出に備えて貯蓄すれ ば税制上の減税措置を受けられる医療貯蓄口座の拡充策などを掲げている。 しかし、財政赤字を抱えて全米で約四千五百万人に上る無保険者の対応をめぐる 抜本策の実現は難しいのが現状だ。 (更新日時-2006年4月7日7時5分) 引用元:FujiSankei nbsp;Business nbsp;i. http://www.business-i.jp/ http://www.business-i.jp/news/world-page/news/200604070002a

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  10. 書評「ビッグ・ファルマ;製薬業界の真実」
    http://yaplog.jp/anonyme_04/archive/798
    かなり詳しいです。アメリカの健康保険は、メニュー選択型で、免責額(Deductibles)と自己負担額(Co-payment)を決める必要がある様ですね。強制加入型の日本とは、政治、官僚、業界が全く異なり、背景知識が無いと、コメントが難しいのでは。

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  11. 雇用保険三事業

    雇用保険において、失業等給付を行うほかに、雇用安定事業、能力開発事業及び雇用福祉事業の雇用三事業を行うことになっています。
    雇用保険三事業に要する費用は、事業主が負担する保険料のみによって賄われています。そのため国庫負担は行われません。
    助成金は事業主が支払ったこの雇用三事業を財源としています。

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