東京の暮らしの最大のストレスは電車に乗ることだった。周りに人が一杯いて、耳の穴の中まで見える。で、世の中にはとてつもなく耳が汚い人というのがいることを知った。ぼーぼーと毛が生えていて、わさわさと耳垢がそれに絡まっていたり。あと、他人の首の後ろにある大きなほくろから、太い毛が一本びよーんと伸びているのが目の前3センチにあることも。
世の中には、知らずに済むのが幸せなことがある、としみじみ思ったものだ。耳が汚かろうが、ほくろから毛が生えていようが、本来ならば知ったことではない。見えてしまうから、ストレスなんである。
もちろん、これは比ゆ的、記号的なもの。他人との距離が近いと、外見以外でも「知りたくないこと、見たくないこと」にたくさん触れてしまう。で、疲れる。
一方、今私が住んでいるシリコンバレーというところは、かなり他人との距離感が遠いところである。なんといっても物理的に遠い。なぜなら田舎だからである。
例えば:
1)私の家の前の道はこんな感じである。

2)庭には、このようにリスがたくさん出没する。

黒いリスというのは珍しいらしい。まことしやかに
「スタンフォードの実験動物のリスが、遺伝子実験で突然変異を起こして黒くなり、それが逃げ出して周辺に広まった」
と語られたりする。
去年の冬、雨が降るたびに、電話は聞こえにくくなり、DSLは不通になる、という苦難に遭遇した。しかし、冬場はあちこちで嵐で木が倒れたりして、電線や電話線がぶちきれるため、「3日間、電話も電気も不通」みたいな正真正銘の危機があちこちで勃発する。電話会社はその対応に追われているので、「DSLが時々つながらなくなるんですけど」くらいのあまちょろい苦情では誰も直しに来てはくれない。
夏になってから、やっと電話会社の修理の人が来てくれていわく
「リスが電話線の被膜を食べてたのが原因」
とのこと。うーむ。
3)アライグマ・ガレージ侵入未遂事件が起こる。

ガレージに猫ドアを設置したのだが、肝心の我が家の猫はなぜか猫ドアを怖がって使わない。ところが昨日見てみたら、ドアの周りが泥だらけになっている。おや、と思ってしげしげと見ると、上の写真にあるとおり猫の4倍くらいの巨大な足跡が猫ドアの下にベッタリと二つついている。どうも、何かの動物が猫ドアを潜り抜けてガレージに入ろうとして格闘したが、体が通らなくて諦めた、という感じのようだ。家族会議の結果、これはアライグマであろう、という結論に。
昔ビジネススクールに通ってた頃、学校の中庭のゴミ箱にアライグマがごそごそと入っていった。アメリカ人とドイツ系スイス人の友達と一緒だったのだが、ドイツ系スイス人の方が
「おwash bearだ」
と言った。私はwash bear = 洗い・熊、とすぐに納得したのだが、アメリカ人は怪訝な顔をして
「wash bearってなんだ」
と。英語ではraccoonなんだな。ドイツ語では日本語同様「洗う・熊」と呼ぶとのことで、へー、とちょっと感動。ちなみに、日本語の「目にクマができる」はraccoon eyeと呼ぶ。もしかして、「目にクマ」の「クマ」は隈取のクマじゃなくて「熊」だったり?
もとい、日本ではかわいいシマシマの尻尾で人気者(のような気がする)アライグマだが、当地では下水やらゴミ箱やらをあさる、きたなーい動物。
朝起きたら、ガレージの猫ドアにデブのアライグマが挟まって身動き取れなくなっていたりしたら怖いなぁ。。。
ちなみに、我が家よりもうちょっと山のほうに行くと、うかつに飼い猫を表に出したらコヨーテに食われてしまうこともあるらしい。
シリコンバレーというのはこのようにド田舎なのである。海と湾に囲まれ、空気は澄み切っており、車で10分も行けば、豹サイズの山猫や鹿が闊歩する大自然。
日本人に限らず、初めてシリコンバレーに来た人が一様に驚くのがこの「シリコンバレー=田舎」ということ。以前、Palo Altoのダウンタウンをてくてく歩いていたら、車が止まって、運転手が窓を開けて顔を出し
「シリコンバレーはどこだ」
と聞いてきたことがあった。アクセントからどうも北欧の人のようである。
「ここだけど」
と答えると、相手は怪訝な顔をしつつ
「・・じゃぁ、会社が集まっているのはどこだ」
今度はこちらが答えに窮した。そんな場所はないからだ。(まぁSan Joseのほうに行けばある程度は集積しているが、Palo Altoからは少々遠い)。
仕方がないので
「だったら、Sand Hillに行ったら。VCがたくさん集まっている、あのSand Hill Roadはすぐ近くだ」と道順を教えた。
でも、彼はきっと後で「だまされた」とか思ったんじゃなかろうか。Sand Hill RoadのVCオフィスは、通常ちょっと横道に入った奥まったところにあり、Sand Hill自体は、野中の一本道、という感じ。しかもそのVC群もすぐに終わって、鹿が飛び交う山の中に突入してしまう。
ところが、その田舎町に世界最先端の技術産業が栄えている。人口密度が低くて、自然が一杯なのにエキサイティングな仕事ができる、というのは世界でも中々得がたいコンビネーションであろう。大自然という意味では例えばハワイなんかも結構いけてるが、観光と農業以外の産業がほとんどない。
しかも、かようにド田舎のシリコンバレーであるが、文化は果てる寸前でかろうじて踏みとどまっている。サンフランシスコまで出れば一応オペラホールもあるし、前衛芸術もある。シャガール回顧展、なんてなものも行われたりする。

(シャガール展で買った「シャガール牛」のミニぬいぐるみ(目がシャガール)と我が家の猫。)
さらに、スタンフォード大学であれこれ催し物がある。それも「大学演劇部の発表会」みたいなアマチュアなものではなく、世界からいろいろなグループを呼び寄せて、演劇、ダンス、音楽のステージを行っている。大学がLively Artsという組織を作って、運営しているもの。私もオーストラリアの前衛ダンスグループの「白鳥の湖」とか、日本の太鼓とか、いろいろ見に行った。来年はフラメンコ・ギターの公演が教会で行われるのに行く予定。
東京・ニューヨーク・香港が大好き、という都会好きの人たちには超がつく退屈な場所かも知れないが、田舎好きにはたまらない場所がシリコンバレーなのである。仕事はきちんとしたいけど田舎が好き、というみなさん、諦めることなかれ。「田舎」と「エキサイティングな仕事」が両立する、シリコンバレーのような場所も世の中にはあるのだ。