
選挙遂行人は4機に分散して日本からやってきた。
7年前のコロンビアの選挙で、遂行人の飛行機にテロリストが対空砲を撃ち込んで全員が死亡した時は、再選挙のための遂行人チームを新たに作るまでの半年間、コロンビアは内戦状態になった。
それ以来、移動は必ず複数のグループに分散、さらに一つのチームが全滅しても選挙が実施できるよう余剰を持って組成されるようになった。
ほかの州にも同じように選挙遂行人チームが続々と到着していることだろう。
タラハシ空港に到着した3機目の遂行人チームをホテルまで送迎するのが私とジョンの役目だ。去年州政府で仕事を始めたばかりのジョンは、選挙の仕事は今回が初めてだろう。
私と同じく、Presidential Electionと大きく背中に書かれたグリーンのジャケットを着たジョンは、コーヒーを片手に、もう一方の手に持った携帯の画面を器用に親指でタップして、
「全員予定通りこの飛行機に乗ったようですね」
と言った。
グレーのスーツを着た同じような背格好のアジア人男性が、それだけは色とりどりのキャリーオンバッグを持って待合室に次々に出てきた。
しばらくすると遂行人のリーダーらしき人物が我々のところにやってきて
「全員揃った」
と言ったので、通路で控えている警備チームに手を上げて合図をする。警備にあたるのは屈強なパラミリタリー要員で、その厳重な警戒のもと、全員で空港の特別出口まで移動、5台のバスに別れて夕暮れの空港を後にした。
バスの中は恐ろしく静かだ。誰も一言も話さない。彼らは長年一緒に働いている同僚だと思うのだが。そういえば、交通機関やエレベータの中では私語厳禁、というのが遂行人の内部規定だと聞いたことがあるが、本当に守られているようだ。
私はバスの中でスケジュールを説明した。
「明日は休養日ですので部屋でゆっくりくつろいでください。明後日は朝4時半に投票所に向かうバスが来ますので、それまでにロビーに集まっていてください。」
遂行人たちは無表情に私の説明を聞いていた。
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投票日の朝4時にロビーに行くと、既に大勢の選挙遂行人が集まっていた。例のリーダーらしき人物がさっと寄ってきて
「全員揃った」
と言った。
集合時間まで30分あるのにさすがだ。
ホテルの前には何十台もの小型バンとパトカーが集まっている。140か所を超すフロリダの投票所のうち45か所がこのホテルにいる遂行人の担当だ。遂行人たちは5人ずつのチームに別れ、パトカーが先導するバンで次々にフロリダの朝の闇に消えていった。
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全員が出発したのを見届けたあとで、私とジョンはそれぞれ自分の車で近くの投票所に行くことにした。現地には担当者がすでに待機していて我々の仕事があるわけではないが、遂行人の働きぶりを見てみたい。
投票所になっている小学校の体育館に入ると、その両側に長机が置かれていた。机の上には投票権を持った市民のリストが印刷された分厚いファイルが何冊も並び、それぞれに遂行人が一人ずつ座っている。
投票は朝7時開始だ。まだ開始まで30分以上あるが、投票所の中から窓越しに外を見ると数名の市民が並び始めていた。
並んでいる市民の数は続々と増え、7時の開場時点では既に100人近くが並んでいた。さらに駐車場に次々に車が入ってくるのが見える。
これだけの人々を、たった2人でさばくことができるのだろうか。
しかし、長くなっていく市民の列を眺めている遂行人たちの表情には全く変化がない。
きっとうまくいく。私は自分にそう言い聞かせて深呼吸した。
会場の担当者が投票所のドアを開ける。
一人目の投票者が右側の遂行人の前に立ち身分証明書を取り出す。遂行人は、証明書をちらりと一瞥して市民の顔を見上げて確認すると、机の上に並んだファイルの一冊を手元に引き寄せ無造作に何ページかまとめてめくった。すると、驚いたことにその市民の名前が印刷されたページが一発で現れた。
投票者の名前の横のボックスにさっとペンでチェックマークを入れた遂行人は、
「ネクストプリーズ」
と言った。一連の作業はスムーズで全く無駄な動きがない。まるでカードのマジシャンのようだ。市民はあまりの早技に目をしばしばと瞬いていたが、我に帰ると投票ブースへと向かった。
100人を超す行列は5分もしないうちになくなり、会場内に10個ある投票ブースの方に行列ができはじめた。大統領選の投票には、大統領だけでなく、最低賃金、老人介護などさまざまな州の問題の直接投票も含まれているので結構時間がかかる。
仮設の壁で仕切られた投票ブースの裏を覗くと、3人の遂行人が、用意されていたコーヒーをすすりながらベーグルをモソモソと食べていた。
私はすみにある椅子に座って静かに見守った。
朝食を終えた3人の遂行人は持ってきた小さな本を読んでいたが、しばらくすると、誰がいうともなく本を閉じて手早く机の上を片付け、一人が部屋の隅の長机の上に積んであった予備の投票ボックスを持って投票ブースへと向かった。そしてブース内のボックスを予備のボックスと交換すると、投票用紙の入ったボックスを持って戻ってきた。
私は椅子を立って、遂行人の机の近くに立っているジョンの横に立った。
遂行人は、鍵を開けてボックスの中の投票用紙を机に無造作に広げる。
ジョンが、
「こんなにたくさんの紙を見るのは生まれて初めてかもしれない・・・」
と呟く。確かジョンは2000年代の生まれだ。事務作業に紙が使われていた時代を知らない。
「パンチホールじゃないだけましだ」
と私がいうと、ジョンが
「ハンギング・チャッド。小学校の社会の時間に習いました」
と言った。
2000年のブッシュ・アルゴア大統領選の混乱はひどかった。
最初は1784票の差で共和党のブッシュの勝利となったが、もう一度数え直したら327票差になり、ゴア陣営が手作業でのさらなる再カウントを請求して裁判になった。
もともと投票ではパンチホールという古めかしいオートメーションが利用されていたのだが、再カウントの途中で、パンチが完全に貫通していない投票用紙がたくさん発見された。そのなかでも、ホールの紙が本体のカードにぶら下がったままのものが「ハンギング・チャッド」である。それ以外にもパンチを押した窪みなどいろいろな投票用紙があり、それをどうカウントすべきかで喧々諤々の議論となった。
結局あの時は、選挙が終わって6週間近くたった12月半ばまで結果が公認されなかった。
だがそれも、2020年の大統領選で翌年の2月まで結果が出なかったことを考えればかわいいものではある。
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遂行人が囲む机の上には、候補者別に名前が書かれた箱が2つずつ置かれていた。待っていた2人の遂行人のうちの1人が、まず投票用紙を同じ向きにしながらそれぞれの箱に仕分けしていく。ある程度紙がたまったところで、もう1人の遂行人が、記入内容に間違いがないか再チェックしながらもう一つの箱に移していく。
全部の用紙の仕分けが終わると、遂行人の1人がふたつめの箱の中の投票用紙を取り出して束にし、そのすみを左手に持つと、無造作に手首を振って扇のように広げた。そして、その扇の端を右手の親指で撫でるように動かし、あるところで止めるとそこまでを束にして机の上に積んだ。どうも一つの束が100枚あるようだ。
「投票用紙は縦76ミリ、横160ミリ、1枚1グラム、全て誤差は3%以内。重さについては選挙地の湿度も考慮に入れて設計すること」
と予め遂行人から指定がきた時には、
「いったいそれにどんなメリットがあるのか」
と選挙管理組織は騒然となった。そして
「我々の予算ではそんな精度の投票用紙は作れない」
と抗議したところ、
「それでは日本で作ってあらかじめ送る」
ということで、送られてきていたものを利用している。あの厳しい指定は、遂行人が最も数えやすいように決められたものだったのか。
最初のうち遂行人が手にする「扇」は100枚より1、2枚多かったり少なかったりしたが、一回ぴったり100枚になると、それ以降は遂行人が無造作につかんだ用紙の束はことごとくぴったり100枚になった。
「機械のように正確だな」
と私が言うと、横で同じように遂行人の作業を見ていたジョンが
「遂行人は、選挙がない時でも毎日3時間、同じサイズと重さの紙でカウントの特訓をしているそうです」
と訳知り顔で言った。
「よく知っているな」
と言うと、
「大学で政治学を専攻したので。選挙遂行人の歴史が大学院の卒業論文でした。遂行人については興味深いことがたくさんあります」
とジョンが答えた。
ジョンはもっと聞いて欲しそうな顔をしていたが、一度話し始めたら終わらなそうな雰囲気を察した私は何も言わずにすみの椅子に戻った。
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遂行人が数え終わった投票用紙はきれいに100枚ずつ互い違いにつみ挙げられた。全て数え終わると遂行人は長机の横に置かれたホワイトボードに枚数を記入した。
そして投票用紙の山に戻ると、驚いたことに、せっかくきれいに積み上げられた用紙を箱の中に乱雑にざざっとあけてしまった。
(あれほど芸術的に数えたのに!)
私は目を見開いた。
そして投票用紙のカウントをしていた2人のうち1人が、それまで休憩していた1人と交替し、また投票用紙を同じ向きにしてまとめるところから全ての作業をやり始める。
我慢できなくなった私は、休憩に入ってコーヒーを飲みはじめた遂行人に、
「なぜやり直す?」
と聞いた。
「エブリタイム、ファーストタイム、フォーカス アンド コンセントレーション」
おそらく「一度数えたものを数えなおしているだけ、という慢心を防ぐ」ということが言いたいのだろう。さすがは世界の選挙遂行人である。
残った2人の遂行人は全く同じ作業をしなおして、ホワイトボードに同じ数字を書き入れた。結果は同じ数字になった。
その後、1人目の遂行人が投票用紙にひとたばずつ輪ゴムをして積み上げる。輪ゴムは投票用紙をまとめる強度を持ちながら用紙がたわむほどの強さはない。輪ゴムも遂行人等が持ち込んだものを利用しているのだが、きっと投票用紙同様、絶妙な強度設計になっているのだろう。
選挙遂行人システムは、人間とアナログツールが一体となって作業効率が最高になるように設計されている。これは、巨額の資金を払って委託する意味がある、と私は感心した。
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遂行人は、投票所が閉じる7時を30分も過ぎるころには二重カウントを全て終え、来た時と同じように警察が先導するバンでホテルに戻っていった。投票用紙はジェラルミンケースに入れられ、ものものしい装甲車でやってきた回収要員に引き取られて最終カウント地のコンベンションセンターへと向かった。
投票所での投票とは別に郵送されてくる投票用紙もある。昔からのなごりで「郵送投票用紙」と呼ばれているが、実際は郵便局ではなく日本からやってきた選挙専門の配送会社が回収を行なっており、24時間以内に全てが到着することになっている。
郵送投票も含めて全ての投票結果を合算するのはあさってだ。それまで投票用紙は全てコンベンションセンターに保管される。
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選挙のデジタル化、オンライン化が進められたのは2020年が最後だった。
2016年の選挙ではロシアによるソーシャルメディアを使った世論操作が大きな問題になったが、2020年の混乱はその比ではなかった。おりからのパンデミックで郵送投票が多くなることを見越したトランプ政権が、投票妨害のために郵便事業の予算を削除したり、郵送投票そのものの正当性を批判したりした。それに加えて、ロシア、中国、北朝鮮、イランなど、複数の敵対国家が、有権者確認のシステム、選挙結果の集計システムなど、ありとあらゆるところにサイバー攻撃をしかけてきたのである。
最終的には、選挙結果を操作するようなハッキングはなかったのだが、
「ハッキングされるているかもしれない」
という疑いを国民が持つだけで大きな打撃となった。トランプは敗戦を認めず、トランプ支持者たちは、全国各地で選挙のやり直しを求めて毎日激しいデモを繰り広げた。結局、大統領選の結果が公認されないという混乱が何ヶ月も続いてしまった。
選挙の結果が出たあとも、国民の政府への信頼は揺るぎ、その影響は長いこと続いた。
この痛い経験を経て、国家レベルで仕掛けられるサイバー攻撃を防ぐのは非常に難しく、さらには「決してハックされないと言い切ることは不可能」というのが総意となった。それ以降、民主主義の根幹をなす選挙については、全て手作業で人間が行うことになったのである。
しかし、2000年の結果のとおり、「投票用紙をきちんと数える」というのは至難の技だ。その後2回の大統領選が完全な手作業で行われたが、結果が出るまでに2ヶ月以上かかるのが当たり前になってしまった。
同じ問題が世界中で発生した。みな選挙への他国のサイバー攻撃を恐れてアナログな手作業に逆戻りしたが、カウント作業に膨大な労力がかかり、それでも間違いが多数発生した。
そんな中で登場したのが日本の「選挙遂行人派遣ビジネス」だった。
世界がオンライン・デジタルに移行してしまった中、「大勢で分担してたくさんの紙を数える」という仕事を正確に行えるのはもはや日本人だけだったのだ。
そして、まずイギリスが選挙のアウトソースを日本に依頼することに決定、その後世界中のさまざまな国がひとつ、またひとつと日本にアウトソースするようになった。選挙だけでなく、機密性の高いさまざまなデータを紙で保存するというビジネスも日本に委託されるようになった。
そうして日本は「紙を扱う力」で、世界のDMZ、中立国となったのである。
そしてついにアメリカも大統領選をアウトソースすると決断したのが今回の選挙なのだ。
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翌々日の11時過ぎにコンベンションセンターにつくと、早朝から行われていたであろう郵送投票のカウントはすでに終わっていた。
何百人かの遂行人たちが会場に集まっている。
そこで、郵送投票分を足した得票結果が発表された。
共和党候補に4,620,032票、民主党候補に4,598,829票。2万票ほどしか差がない。2000年ほどではないが僅差だ。
一旦スピーカーで発表された得票数が、もう一度日本語で言い直されると、遂行人たちはみな一様に顔をしかめ、彼らの吐息と舌打ちともつかない音が混じりあって会場に響いた。
いつも無表情な遂行人たちがささやかにでも感情を露出したのに驚いたが、すぐに理由がわかった。
フロリダ州では、得票差が0.25%以下だと再カウントすることが義務付けられているのである。そうなった場合のために遂行人たちは全員この会場に集合しているわけだが、やはりもう一度数え直すのは嫌なのだろう。
遂行人たちでも繰り返し作業にうんざりすることがあるのか。私は妙に感心した。
しかし彼らはすぐに元の無表情に戻ると、会場に広がった机の周りにチームごとに散って行った。そして、それぞれのチームから1人が投票用紙の入ったジェラルミンケースの山に向かい、複数のケースを台車に乗せて机に戻る。
遂行人たちは、ケースから投票用紙を乱雑に机の上に出すと、「記入された立候補者の名前の確認」と「枚数の確認」を二重に行う、という、投票日と全く同じ作業をやり始めた。
最終結果が出た時点で2回カウント済みだし、ルール上も「もう一回カウントしろ」というだけなので、ここでさらに二重に作業する必要はないのだが、プロの選挙遂行人としての誇りなのだろう。
それでも2時間もたつとカウントが終わったチームが出はじめた。それぞれのリーダーが集計用紙をもって中央のホワイトボードに行って結果を記入する。
最後のチームのカウントが終わったところで、ホワイトボードの数字を大きな電卓に打ち込んでいた遂行人の総代表らしき人物が、
「全く同じ結果である。共和党候補に4,620,032票、民主党候補に4,619,345票」
と宣言した。
1000万枚近い紙を数え直して同じ結果になるとは!
現場に詰めていた我々選挙管理組織のアメリカ人はみな大声で歓声を上げ拍手し始めた。
遂行人たちは無表情なままだったが、さすがにうれしかったのか我々の拍手に加わり、巨大なカンファレンスホールには、さながらコンサート会場のような拍手喝采が響き渡った。
今まで何ヶ月もかかっていた投票用紙のカウントを、たった1日で終わらせた偉業への礼讃である。
拍手がやむと、遂行人たちは静かに机の上を片付け、床に落ちたゴミまで拾い、バスに分乗してホテルに戻って行った。
人がまばらになった会場でジョンに、
「グッドジョブ」
と声をかけると、
「今日は遂行人の仕事を自分の目で見ることができた素晴らしい1日でした」
と満足げに言った。
私が、
「それにしてもどうやったらあれだけの数の人間が機械のように正確に動けるのか・・・」
と聞くともなく呟くと、
「彼らはギンコーマンなのです」
とジョンが言った。聞き慣れない言葉に私が
「ギンコーマン?」
とおうむ返しに言うと、
「ギンコーマンは日本の特殊な世襲制の職業グループです」
と訳知り顔のジョンが言い、さらに
「カーストのようなものと思ってください。製紙技術が中国から日本に伝来した7世紀に、紙を数えることに特化した神聖な職業として始まったのが起源と聞いています」
と教えてくれた。
「ギンコーマン・・・」
私はその言葉をかみしめるようにささやきながら、選挙が無事に終わった安堵が全身に広がっていくのを感じていた。
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