フィクション:東京オリンピック2021

bryan-turner-mF9m6BRHCtg-unsplashPhoto by Bryan Turner on Unsplash

「どちらも陰性です」

そう言われた瞬間に俺の世界は終わった。「目の前が暗くなる」というのは「目玉が飛び出す」と同じようなただの比喩だと思っていたが本当に真っ暗になるんだな。テストをした看護師の「大丈夫ですか」という声が遠くから聞こえてきて我にかえったがきっと俺の顔はまさに血の気がひいた状態だったのだろう。1年以上外でしかトレーニングしてこなかった俺は日に焼けて人種不明な状態なのだがあの顔色から血の気が引くと何色になるのだろうかなどと無意味なことを考えつつなんとか「大丈夫です」と言って立ち上がり「感染・抗体検査所」と看板が出た小さなクリニックを出るとあてもなく歩き始めた。

国体の水泳選手だった親父の方針で物心がつく頃から水泳をしてきた俺がついにオリンピック強化チームに入ることができたのが2年前。ウィークデイも週末も夏休みも正月もゴールデンウイークもとにかく水泳に明け暮れてきた。それでも世界の壁は厚い。俺のレベルはせいぜい「順決勝に出られたらラッキー」というところだったが、出場することに意味がある、なんといってもオリンピックだ、そう思って辛いトレーニングを毎日続けてきた。

それが例のコロナウィルスで様相が一変した。まずゴールドメダルの一番の候補だったイタリアの選手がコロナで死んだ。若くて健康なだけでなく世界トップレベルのアスリートがあっけなく死んだことで世界に衝撃が走りそれまで他人事だと思っていた俺も動揺した。そしてその後まもなくオリンピックそのものが翌年の初秋に延期になってしまった。それまで2020年の夏を目指して調整を続けてきた俺は「この辛いトレーニングをさらに1年続けるのか」と呆然としたのだが、その後もうひとりの有力メダル候補だったアメリカ人選手がコロナで入院、回復して退院はしたものの肺に障害が残ってとても水泳ができるレベルではなくなったと聞いて俺は思ったね「これは健康でいられたものの勝ちだ」と。年功序列じゃなくて健康序列、1年コロナにかからずトレーニングを積めば俺にもメダルのチャンスがやってくるかもしれない。

それ以降俺は人と会うのをやめた。コーチとも親とも、もちろんガールフレンドのミツキともビデオ通話でしか話さないことにした。3つ年下のミツキはまだ大学生で遊びたい盛りだが、会えなくなることをビデオごしに謝ったら「でも来年のオリンピックまでだよね。メダル取れたらすごいよ。それまで待ってるから毎日ビデオで顔を見せてね」と最後は微笑んで理解してくれて、なんていいやつなんだと俺の中のミツキの存在は今までに増して大事なものになった。練習以外は家に篭り、食事は食材をドアの外にデリバリーしてもらったものを消毒してから家の中に入れて自炊し、大学も休学して修行僧のように一人で訓練を続けた。東京のコロナ患者数が増え始め突貫工事で準備された最初の仮設隔離施設がいっぱいになった時はそれでも危険を感じ、人口減でクローズされていた親父の出身地の公営温水プールに自腹(といっても親父の金だが)で水を入れて水質調整もして一人で練習することにした。これはかなりの出費になったがお前のためならと家を抵当に入れてまでサポートしてくれた両親には本当に感謝している。

しかし年が明けてもコロナの流行は終わらず俺は「もう一年延期か」と暗い気持ちになっていたのだが、6月にIOCが「感染検査をして未感染選手だけに出場許可を出す」という方針を出し、1年以上誰とも会わずに練習を重ねてきた努力がついに実る時がやってきたと俺はガッツポーズで真っ黒な肌に白い歯を剥き出しにして大声で笑った。念のためIOCは人口比に応じて各国の選手を抽出した感染調査を先行して行うことにし「今かかっているかどうか」を調べるPCR検査と「過去にかかったことがあるか」を調べる抗体検査の二つを総計300人分ほどから集めた。

その結果は、なんということだ、あろうことか300人の過半を越す168人が「いまはかかっていないが過去にかかったことがある」ということが判明したのである。56%という微妙な割合ではあったがIOCは方針を変更「すでにコロナにかかって免疫があることが出場資格」と先週発表したのだ。なんということだなんということだ、世界のアスリートたるもの健康管理も訓練の一部だったんじゃないのか、お前らいつのまにコロナに罹っていたんだ。俺は変な声を発しながら頭を掻き毟った。といってもここ1年自分でずっと剃っている俺の頭はツルツルで地肌をガリガリしただけなのだが。

俺にもPCR検査と抗体検査の二つをするようにと通達がきて、どう考えてもかかっているはずがない俺は慌てて近くの感染者病棟のボランティアを申し出てみたが、免疫がある人だけでボランティアは回っているからと断られてしまった。いつの間にみんなそんなにコロナにかかっていたんだ。仕方なく俺は指定された検査所がある東京までの道のりをできるだけ混んでいる駅や路線を選んでじりじりと進み、さらにだめもとで羽田空港と成田空港で抗体陽性バッジをつけた外国からの団体客の一団に紛れて一緒に歩くなどして半日ずつ過ごした上で、平均潜伏期間と言われる5日間を実家で過ごした後に期限ギリギリで検査所に出向いた。

そしてその結果が「どちらも陰性」だったのである。もちろんコロナにかからないように全てを犠牲にして生きてきたのだから当然といえば当然なのだが、出家僧のように努力を重ねた俺ではなくヘラヘラと人と会い続けてきた選手の方が勝ちとはどういうことだ。神は死んだ。俺はひたすら歩いて歩いて歩き続けた。しばらくすると目の前に小さな公園が見えてきて、とはいってもジャングルジムも滑り台も使えないようにカバーがかかりブランコの座面は取り外されて遊んでいる子供は誰もいなかったが、そのブランコの支柱に寄り掛かった俺はミツキに「陰性だった」とLINEした。そして「会いたい」と書いた。ミツキのことを考えたら急に涙が出てきた。

しかし、どちらもすぐ既読になったのに、なかなか返事がこない。

ジリジリして待っていると書き込み中の表示が出て「残念だったね」というメッセージが表示され、俺は「会いたい」の方への返事を待ったのだが5秒たっても10秒たっても何もこないので痺れを切らせて「いま会える?」と書くと数秒してから「ごめん今ちょっと忙しくて」という文字が表示されて、あの優しいミツキとは思えない素っ気ない反応に混乱しながら「いつなら会える?」と書いたら「うーんしばらく忙しいかも」と返ってきた。忙しいかも?かもってなんだよ、どういうことだ、昨日までビデオで仲良く話してたのに何があったんだ、俺はいてもたってもいられなくなりビデオ通話のアイコンをタップした。呼び出し音がしばらく鳴ってからミツキが出てきてちょっと悲しそうな顔で「ほんとに残念だったね」と言って「でもきっと努力はいつか報われるよ」とにっこりし、そのいつもと変わらない笑顔に俺はホッとして「ミツキに会いたいよ」と言ったが、その途端にミツキはまた困った顔になって「うーんそれはちょっと・・・」と黙り込んでしまった。それはちょっと、ちょっとってなんだよ。「なんで?」と俺が聞くとミツキは

「ごめんね、でもオリンピックに出られないの私もガッカリしちゃって・・・・それに・・・私もまだ未感染なんだよね・・・・・だから、いつコロナにかかるかわからない未感染の人と会うのってリスクあるじゃない?・・・・ほら、うちのおじいちゃん心臓が悪いし・・・」

といっそう困り顔になると「ほんとにごめんね、でもしばらく会えないと思う」と言って一方的に通話終了されてしまった。俺は焦って「しばらく会えないってどういう意味?もう俺と付き合う気はないってこと?」と書いたがミツキからの返事はない。俺が食い入るように画面をじっとみていると、長い沈黙のあとに送られてきたのは、ゴメンネ!という吹き出しがついた困り顔の緑のカエルがぴょこんとお辞儀をするスタンプだった。

カエルのスタンプ、カエルのスタンプで俺はふられるのか。こんなことがあっていいのか。

俺はいつまでも呆然とぴょこんぴょこんと首を振るカエルのスタンプを見つめていた。

フィクション:東京オリンピック2021」への1件のフィードバック

  1. 連載決定ですね。以下秀逸で奇想天外なくだり。

    “ 俺は変な声を発しながら頭を掻き毟った。といってもここ1年自分でずっと剃っている俺の頭はツルツルで地肌をガリガリしただけなのだが。”

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