トンデモない米国医療システムからイノベーションが生まれるのか

新日本監査法人の季刊誌、「株式公開センサー」2007年新春号に掲載いただいた文章です。

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「米国医療の悪条件はイノベーションを生み出すだろうか」というのが最近私が興味深く眺めていることの一つ。

米国の医療は崩壊寸前である。日本の年金より危機的状況。医療費用は2004年の1年間だけで総額1400億ドル増加した。実に15兆円超だ。一体全体どうしたら、1年間で15兆円も余計に使うことができるのかと頭をひねるばかり。

この根本的問題は「アメリカの医療保険の中途半端な半官半民体制」にある。

アメリカには公的保険と民間保険が混在する。「貧困層」「65歳以上」は公的保険の対象。それ以外の人は民間の健康保険を購入する。民間の保険の選択肢は
全国に1000以上もある上、個々の病院や医師は、10を超す保険会社と契約していることもあり、保険求償処理のための事務コストは非常に高い。「救急外
来で1時間診療したら、1時間の事務処理作業が発生する」と試算されている。日本と違って事務手続きにとんでもない間違いが起こるアメリカゆえ、「間違い
訂正コスト」もバカにならない。

しかし、「貧困層」「65歳以上」に公的保険から支払われる医療費用に加え、企業が払う保険料の税金控除分などを足すと、実は医療費用の60%が結局公的負担だ。1991年に、ミルトン・フリードマンはウォールストリートジャーナル紙で「医療保険は全て民営化すべき。税金控除もなし。」という「神の見えざる手」を信じる提案をしたが、この実現は政治的に難しいだろう。対極にある「公営による国民皆保険化」も、国家財政の大問題なのでなかなか実現しそうもない。結果として、抑制不可能な医療費増が毎年起こり続ける。

医療費負担は企業の競争力にも影響が出ている。週に20時間以上働いた人に医療保険を提供するスターバックスでは、2005年には医療保険費用がコーヒー豆代を凌駕した。退職した社員の医療保険も負担しているGMでは、車1台作るコストに、医療保険費用が1500ドル分が上乗せされる。

「なんて絶望的医療システムだろう」と常々思ってきたのだが、そんなアメリカで最近誕生しているのが、異業種の医療サービス参入による「ミニクリニック」だ。ウォルマート、ターゲットといった大手小売チェーンや、ウォルグリーンなどのドラッグストアチェーンが、次々に店内に簡易クリニックを設置するトライアルを始めているのである。従来型の病院では一回あたり110ドルかかった診療を、40-60ドル程度とほぼ半額で提供。行うのはちょっとした怪我や風邪、予防接種といった簡単な医療行為のみで、少しでも問題がある患者は一般病院に行くように指示する。予約は必要なく、待ち時間があっても、併設店舗内の買い物で時間をつぶすこともできる。保険をもっていればその適用も可能だし、なければキャッシュで支払うこともできる。

実際の運営は、小売業者から「ミニクリニック運営ベンチャー」に委託されているのが普通。ウォルマートは、フロリダではSolantic社と提携、10数箇所のクリニックをトライアルでオープン、これ以外にも、MinuteClinic、Take Care、Quick Quality Careといったベンチャーがある。MinuteClinicはこれまでに3000万ドル以上のベンチャー投資を受け、Take Careは2006年3月に7700万ドルを一挙に増資した。

こうしたクリニックでは、医師ではなく、簡易な医療行為をする資格をもった看護士を配したり、電子カルテによる患者データ管理や診断支援プログラムを活用、IT化による効率化を図っているのも特徴だ。ミニクリニックが広まれば「安い・簡単・速い」という診断テスト機のニーズも高まり、新たな医療の革新にもつながっていくことも期待できる。

とはいうものの難航しているミニクリニック事業も多い。せっかくオープンしたのに一日数名の患者しか来ず、数ヶ月で閉鎖となるケースもあちこちにあり、既に会社をたたんだベンチャーもある。そもそもこうしたクリニック自体が新しい試みで、消費者への認知が難しいのが大きな理由だ。

クリニック運営に携わる会社であるInterfit社の社是は「正確で安価な診断テスト等個人健康管理サービスを皆様に提供する」というもの。「安い製品を開発してたくさん売って社会貢献」という松下幸之助のポリシーに通じるものがある。アメリカに住むものとしてアメリカの医療費がひたすら高騰し続けるのは困った事態。個人的にも、是非ミニクリニックには成功してもらい、トータル医療コスト削減に役立ってもらいたい。

というわけで、「とんでもないアメリカの医療システム」の中から、新しい医療事業が誕生するのかどうか。興味深く見守る昨今である。

トンデモない米国医療システムからイノベーションが生まれるのか」への19件のフィードバック

  1. 米国の医療システム-簡単な医療サービスを半額で提供するなら-

    医療システムについて興味があるかたは是非ご一読を。 http://www.chikawatanabe.com/blog/2007/02/post_1.html#more [渡辺千賀]テクノロジー・ベンチャー・シリコンバレーの暮らし On Off and Beyond 異業種による医療サービス参入により誕生したミニクリニックの紹介と…

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  2. MVC定例会

    MVCとはMedical Venture Campus (http://blog.goo.ne.jp/med-venture) の略で京都大学の武蔵先生が作ったSNSだが、その定例会が東京であったので本日初参加してみました。
    30名ぐらいの医療関係者が参加していてみなさんパワフル。
    特に武蔵先生は、そのSNSの中で私にビジネスのコミュニティーを作ることをその場で命令(笑)、というかきっかけを作ってくれたので早速作ります。私の場合結構腰が重いので(ここはかなり反省が必要なところ)武蔵先生の後押しは…

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  3. MVC定例会

    MVCとはMedical Venture Campus (http://blog.goo.ne.jp/med-venture) の略で京都大学の武蔵先生が作ったSNSだが、その定例会が東京であったので本日初参加してみました。
    30名ぐらいの医療関係者が参加していてみなさんパワフル。
    特に武蔵先生は、そのSNSの中で私にビジネスのコミュニティーを作ることをその場で命令(笑)、というかきっかけを作ってくれたので早速作ります。私の場合結構腰が重いので(ここはかなり反省が必要なところ)武蔵先生の後押しは…

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  4. はじめまして。
    日本でも医療崩壊が叫ばれるようになっており、医療は先進国共通の問題となっているようですね。日本では産科・小児科・救急のようなハイリスクの医療から崩壊が起きており、内科・外科などの一般診療科にも及びはじめているようです。医師不足で医療そのものが提供できないところがアメリカと異なりますが。
    アメリカでは、医療費を押し上げているのは、医療事故訴訟と伝え聞きますが、どうなのでしょうか。ハイリスクの医療が全体の医療費を高騰させている構造だとすると、「ちょっとした怪我や風邪、予防接種といった簡単な医療行為のみで、少しでも問題がある患者は一般病院に行くように指示する」ということでは、あまり効果が見込めないかもしれませんね。
    ネガティブな話ですみません。

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  5. chikaです。こんにちは。今後とも宜しく~
    さてさて、医療訴訟のコストですが、2003年の政府レポートに寄れば、全医療費の6-10%とのこと。
    内訳は
    – 医療訴訟保険費用が1%($14B)
    – 訴訟を避けるために必要ない医療行為を行うコストが5-9%($70-126B)
    (出典のレポートはこちら
    http://aspe.hhs.gov/daltcp/reports/medliab.htm
    ということで、医療訴訟がなくても10%しか減らないんです。一人当たり医療費で見ると、アメリカは世界でもダントツ一位。2-4位の日本、ドイツ、フランスがほぼ横並びなのですが、アメリカは、その「二番手グループ」の約2倍。(2002年:World Development Indicators)
    もちろん、だから医療訴訟問題を解決しなくて良いということではありませんが、もっと根本的に間違っているのが、医療保険会社の乱立&半官半民体制だと思います。Porterの5 forces的に言うと、医療費用を出す「買い手」であるところの保険会社がたくさんあって力が弱いため、「売り手」の製薬会社や医療機器会社の収益力が増すわけです。
    以前書いた、「
    アメリカに集約するヘルスケアのイノベーション」というエントリーもご参考下さい・・・。
    http://www.chikawatanabe.com/blog/2005/09/post_2.html

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  6. 日本で働く医師です。ronさんの言われるように、訴訟の多い外科系診療科から「立ち去り型サポタージュ」の医療崩壊が始まっており、日本もアメリカ型の民間保険導入による格差医療社会に移行するといわれています。政府の意向のようです(性格には、民間保険会社や経団連の、政府への入れ知恵でしょう)
    特に、分娩に関しては崩壊が急スピードで進んでいます。政府が助産院を推奨している(これも医療費削減の国策)ため、周産期死亡率は昭和初期レベルまで上昇する可能性があります。個人的には、緊急体制の整った分娩を求める場合は、海外分娩も近い未来考えねばならなくなるのではと思っています。

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  7. chikaさん、丁寧なお返事ありがとうございます。
    こちらこそよろしくお願いします。
    なるほど、医療費高騰の最大の要因が医療技術の進歩にあるとする、ハーバード大学ニューハウス(Newhouse)教授の仮説も、ご紹介くださったエントリのあたりを根拠にしているのですかね。何かイメージが沸いてきました。
    しかし、皆保険で医療費を抑制すれば病院経営が成り立たなくなり(日本、イギリス)、民間保険にすれば医療費が高騰する(アメリカ)。日本でもあまりの経営の苦しさに保険医返上・自由診療への移行を望む声が医療関係者からあがり始めているようです。
    あちらを立てればこちらが立たず、ですね。難しいです。

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  8. 日本の医療崩壊というのは主に医師の逃散による現場の崩壊を指してる訳で・・・
    Chikaさんのご指摘の部分とはちと違うかな,と
    ちなみに日本とはコメディカルの数が半端なく違うのでココでもアメリカ医療費は高騰するハズです
    日本は全て医者の仕事ですもの(グスン)
    一部では『奴隷』と呼ばれてますから

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  9. 一言付け加えさせて頂きますと・・・
    アメリカ並みに医師の待遇を改善することが出来れば
    医師逃散による日本の医療崩壊は防げる可能性あり!です
    医療財政に大きな負担がかかりますが,それとてまだまだしれてます 
    何といっても社会保障費が公共事業費の半分位しかないという
    国民の健康なんか二の次!の国家ですからorz
    こんなに医療費が安い先進国(日本)ってないと思うんだけどなー 
    医師の奴隷労働の上に成り立ってるシステムってのが一般人には
    なかなかご理解頂けないようで悲しい・・・

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  10. はじめまして。
    フラット化の例に習って、インドに外注しちゃうってビジネス・モデルは無いんですかね?インドでは、医師として教育を受けたのにタクシーを運転している人も相当いるみたいですし。
    当然、法的に難しい問題でしょうけど、むしろそれが一端クリアすれば参入障壁として機能しそうです。リスクがあっても、それでも安い医療を受けたい人もいると思います。
    アメリカの医師免許を持ったインド人医師がアメリカからインドに帰国して、あっちで助手(インドの医師免許を持った医師)を使ってオンライン・クリニックを開設し、ホームドクター的に専門医にかかる前段階のプロセス、日本でいうところの内科を担当しちゃえば、インドらしく24/7でしょうし、コストが下がるだけでなく、少なからぬアメリカ人もハッピーになるような気もします。
    当然、こういうプロセスは破壊的イノベーションの前段階でもあるわけで、長期的には内科のみならず、アメリカの医者の仕事を奪うほどの規模になって行くのでしょうけど・・・。

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  11. QUOTEFujiSankei Business i. 2007/2/5  TrackBack( 0 )
     米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は4日、ブッシュ大統領が5日発表する予算教書で、2008年度(07年10月~09年9月)から12年度までの5年間に公的医療保険に関する財政負担を1015億ドル(約12兆2800億円)削減する方針を表明すると報じた。
     同紙が入手した予算資料によると、削減の対象となるのは、メディケア(高齢者・障害者向け)とメディケイド(低所得者向け)の公的医療保険。高額所得者を対象にメディケア保険料の自己負担分を引き上げ、財政負担を軽減する案などが含まれ、「前例のないメディケアとメディケイドの大幅抑制になる」という。UNQUOTE医療費の赤字は制御不能になる?産業界とのズブズブの癒着もあり、極めて「政治的」な問題ですか?

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  12. 初めて投稿させて頂きます。
    予防接種といった、その場限りの医療行為のみであれば、
    確かにビジネスとして成り立つかもしれませんが、
    例えばインフルエンザのように季節的なものの場合、
    年間を通して安定した収益が見込まれるかは
    疑問のような気がします。
    少なくとも、ベイエリアのウォルマートのように、
    行ってもすぐに薬切れで、実際には中々予防接種が
    受けられないとなると、ビジネスとして成功するためには、
    システムの再考が必要でしょう。
    少しでも問題がある患者は一般病院に行くように指示する、
    という、半ばスクリーニング的な意味合いを持つものは、
    結局疾患を増やすことにつながる可能性があるため、
    国全体で見た医療費の抑制につながるかどうかは
    甚だ疑問であると思われます。

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  13. chikaです。
    >NED-WLT-san
    インドへアウトソース、まだまだ微々たる規模ですが、着々と進んではいます。患者がインドに行って手術してもらう、とか、放射線技師の仕事はインドへアウトソース、とか。
    http://www.chikawatanabe.com/blog/2006/10/post_9.html
    ↑こんなのもあります。
    Dr. GIANNNI-san
    >こんなに医療費が安い先進国(日本)ってないと思う
    うん、うん、費用対効果は最高ですよね。普通の病気だったらすぐ見てもらえるし。
    元医師san
    アメリカは実は薬が高いので、ウォルマートとしては、クリニックで出た処方箋の薬をウォルマートで買ってもらえると、それが収益になる、ということはあるかもしれませんね。
    あと、普通の診療時間ではなかなか見てもらえない無保険の人やMedicare/medicaidの人が、大したことない症状なのに救急診療窓口に行く、というのが問題になっています。(元医師さんはご存知でしょうが、他の方のために説明すると、救急診療は、普通の診療の数倍コストがかかります。)で、その後支払わずバックれて、結局政府負担になったり、と。この辺の人たちを吸収する、というのもclinic型に期待されていること。
    もちろん、本文で書いたとおり、「医療訴訟を回避するための無駄な診療行為」のコストが大きいアメリカでは、
    「結局何でもかんでも病院にreferして終わりなんじゃないの?」
    という疑問はもっとものこと。こちらはこちらで、医療訴訟問題改善対策が進むことを望むばかりなり、です。(医師の賠償責任にcapをつけるとか、いろいろ)
    ちなみに、「予防医療は結局医療費増につながる」という分析結果もあり、元医師sanのおっしゃることももっともです。(検査を増やしたばっかりに、結局よりたくさん病気が発見されてしまい、治療しなければならなくなってしまう、という)
    ということで、本文に書いたように、
    「半官半民をやめ、限られた数の保険提供者による国民皆保険化を実現、医療費負担者(=医療保険)の力を強化して、全体の医療費を抑制する」
    というのが最もインパクトはあると思います。
    来年の大統領選では、国民皆保険化を謳うヒラリーとバラック・オバマが有力候補。どうなるか見ものです。
    しかしなぁ、とはいうものの、自らのライフスタイルのせいで不健康になってる人が多いアメリカ人全体の医療費用を負担させらるのはなんか不公平って気も、一方でします。太っててタバコを吸ってる人を見ると、「運動して禁煙して食事を節制しろよ」と怒りを感じる、ケチで心が狭い私でした。

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  14. 失礼しました。
    「薬」ではなくて、「ワクチン」のことです。
    アメリカの医療費が高いのは、保険制度の問題もさることながら、
    私個人の意見としては、薬価が高すぎる、
    の一言に尽きると思います。
    一つの新薬に対して、パテントが20年間。
    その間膨大な利益を製薬会社が貪る訳です。
    医療機器会社もまた然り。
    これは、1980に制定、施行されたバイドール法による影響が大で、
    お陰で、今日のような問題を抱えるようになりました。
    もっとも、これは医療分野に限った問題ではありませんが。
    更に言うと、ちょっとした法の網目をくぐってパテントの有効期間を延ばすことも可能で、
    そういう阿漕なことをするために、製薬会社は大枚をはたいて弁護士を数多く雇っています。
    ま、とどのつまりは製薬会社や医療機器会社の一人勝ち、という構図ですが、これは日本にも当てはまります。
    つまり皆保険にしても、この構図を変えるような抜本的な政策転換が行われない限り、大同小異でしょう。
    > 自らのライフスタイルのせいで不健康になってる人が多いアメリカ人全体の医療費用を負担させらるのはなんか不公平って気も、一方でします。太っててタバコを吸ってる人を見ると、「運動して禁煙して食事を節制しろよ」と怒りを感じる、ケチで心が狭い私でした。
    同感です。このようなライフスタイルの患者がERに来ると、
    自業自得でしょ?
    と問いたくなります。

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