
先週、ギタリストOttmar Liebertのコンサートに行ってきた。写真は、Ottmar Liebert本人のblogから。いわく
What a wonderful evening at the Mountain Winery yesterday! The weather was perfect and we had a great time.
今ベイエリアは夜9時ぐらいまで明るく、夕暮れの屋外コンサートはとても気持ちよい。今回は、うちから、ほんの15分ほど車で行ったところにある、SaratogaのMountain Wineryというところが会場。Ottmar Liebertは裸足でありました。ちなみに、Ottmar LiebertはCreative CommonsのSampling+ライセンスで作品を公開している。彼がこれを説明すると、基本的にみんなシリコンバレーの人である会場は大変喜んでいた。
さて。
間の休憩時間にボーっと木の根元に座っていたら、微笑みながらスタスタと歩み寄ってくる男性一名。私の目の前で立ち止まると
「You are Tanya, right?」
・・・・ち、ちがーう。
Noと私が言っても
「え??いや、僕はSavvionで働いているんだけど、去年ブラジルからインターンが来て、それがTanyaで・・・」
と説明が続く。そういう風に説明すれば私が
「あ、そうそう、去年は私はTanyaで、Savvionにインターンしにいったよ」
とか言うと思ったのかね。
私が、「その人、Japanese Brazilian?」
と聞いたら、そうそう、というので、
「I am Japanese Japanese, and not Tanya」
と言うと、ついにあきらめて「Enjoy the rest of the concert」と言って去っていった。
よっぽど私がTanyaに似てたらしく、最後まで納得のいかない顔をしてた。実は私には、ブラジルに移民した遠縁の親戚がいる。一度も会ったことはないのだが。もしかしてその血縁だったりして。
なお、今回はJapnaese Brazilianということで、少なくとも日本民族であった。タイ人とかフィリピン人に間違えられることもあるので、同民族であるだけ近い。10年以上前の話だが、マニラのショッピングセンターを一人で歩いていたら、
「Citibankの窓口の人でしょ?」
と声をかけられたこともある。「僕、よく行くんだよ」と。ほんまか。
世界に同じ顔の人は3人いるというが、私と同じ顔の人は、フィリピン人と日系ブラジル人なのか。
***
さて、翻って私はというと、他人を別人と取り違えたことが何度もある。一番思い出深い間違いは、高校生のとき。
当時、井の頭線で吉祥寺から通っていた。吉祥寺が始発なので、朝は電車に乗り込みしばらく発車を待つことになる。
その日も、いつもどおりホームにとまっている電車に乗り込むと、そこには叔父のミツオが立っていた。叔父さんではあるのだが、私が生まれたときまだミツオは高校生で、一緒の家に住んでいた。(我が家はサザエさんのような家族構成だったのだ。私がタラちゃん。ミツオは私の母の弟なので、カツオ。)家族がみんな「ミツオ」と呼び捨てにしていたので、私も「ミツオ」と呼んでいた。
ちなみに、ミツオは、内装工事屋サンで、いつも割と作業着チックな服装で、車で移動していた。それがその日は、アイロンのきいたコットンパンツにポロシャツなど着て、背筋まっすぐ電車の中に立ち、銀縁めがねをかけて文庫本を読んでいる。ミツオは本なんか読むタイプではないのに。しかし、その特徴的なギョロ目、特徴的な大きい鼻、その他全てがミツオである。
私は何の疑いも持たず、ミツオの腕を人差し指でツンツンと突付き、
「ミ・ツ・オ、おはよう!」
と声をかけた。
ミツオは私のほうを向き、無表情に銀縁眼鏡越しに私の顔をじっと見ている。
「どうしたの?朝っぱらからこんなとこで本なんて読んじゃって。」
と私はニヤニヤしながらさらに畳み掛けた。
すると、その人は
「わたしは、ミヤシタ ミツオさんじゃありませんよ」
と言った。(そう、私は「ミツオ」としか呼びかけてないのに、彼は「ミヤシタミツオ」と私の叔父の名前を正しくフルネームで言ったのである。)
私はとっさに事態が把握できずに、一瞬呆然としたあと、
(どこからどう見てもそっくりだが、確かにミツオがこんなカッコウでこんなところにいるはずがない!)
という事実を認識、赤の他人をツンツンしてしまった恥ずかしさに、われを忘れ、「すみません・・・」と一言だけつぶやき、まだホームに止まっていた電車から降りてしまった。
いやー、しかし、なんであの人は叔父の名前を知っていたんだろうか。
私の勝手な推測は、彼はそれ以前にも何度かミツオに間違えられ、時には、彼がミツオではないことを信じられない人から、しつこくしつこく、
「お前、ミヤシタだろ?ミツオだろ?」
などと言われたのではないか、ということ。今だったら、電車に残って、「え、どうしてミツオの苗字を知っているんですか?」と聞けると思うが、当時はまだ15歳くらいだったので、赤面して去ってしまったのであります。
***
ツンツン間違いでは、もう一つ、幼稚園くらいのときに、銭湯で知らないオジサンのお尻をツンツンしてしまったことがある。その日はお父さんと二人で男湯に行ったのだが、パンツをはこうとしたとき、どっちが前かわからず、お父さんと思われるオシリをツンツン指で突付き
「パンツ、どっちが前?」
と聞いたのだ。しかし、振り返ったオジサンは他人だった。
***
二度あることは三度ある。私は次は誰のどこをツンツンしてしまうのだろうか。
「わたしはミヤシタ。
ミツオさんじゃありませんよ」
たまたま苗字が同じだったというわけでは?
遠縁だったりして。
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それは思いもよらなかった新しい解釈です。ナルホド
「句読点を変えるだけで文章は全く違う意味になる」というEats, shoots, and leavesという本がありましたが。そういう感じですなぁ。
http://www.chikawatanabe.com/blog/2004/05/eats_shoots_lea.html
に書きました。
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後日談デス。
このblogを読んだ私の母がミツオに確認したところ
「俺と似たのに遭遇したという話、友達からも聞いた」
とのこと。
友達1は、
「『おーい、宮下ー』と声をかけたが、無視して歩み去ってしまった」
と不平。
友達2は「『宮下!』と声をかけながら腕をつかんだら『僕は宮下じゃありません』と言われた」
と報告。
やっぱり「ミヤシタミツオもどき」は存在するのだ。しかし、逆にミツオがその人に間違われたことはないそうな。なんででしょうね。
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おー、このエントリー、Ottmar Liebert本人のブログで取り上げられ、リンクまで張られていることが判明しました。なんか、感動・・・・。Ottmar Liebert大ファンのダンナに自慢してしまったよ。
http://www.ottmarliebert.com/blog/2005/07/on-off-and-beyond.html
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