腕を切り落として生き延びたロッククライマーのその後

以前体力と知力というエントリーで岩にはさまれてしまった腕を切り落として生き延びたロッククライマーの話を書きましたが、本人がその顛末を書いた本が出ました。その名もBetween a Rock and a Hard Place(ちなみにこれは慣用表現で「いずれもつらい二つの選択肢に直面する」ということ。「にっちもさっちもいかなくなる」みたいな意味)オリジナルのエントリーに書いた事件の経過はこんな感じ。

1)Tシャツと短パンで狭い峡谷を登っている最中に、右手のひじから先が数百キロの岩の下敷きに
2)そのまま5日間救出を待つ(ちなみに、夜なんか結構冷え込むんじゃないか。Tシャツに短パンだったら、それだけでもう死にそうである。その上に、右手はぐっしゃり、しかも3日目には持参した水もなくなる)
3)5日目についに決断し、ポケットナイフで右手を切断、その後、20数メートル絶壁を降りて10キロ強歩いたところで救出隊に見つけられる

結論から言いますと
「どうしても生き延びる、という強い意志があるから生き残ったわけではなく、あまりに体が頑強なので、心が萎えてしまっても死なない。よって生き延びた」
ということのようなのです。

岩に腕が挟まれて(というかつぶされて)にっちもさっちも行かなくなるのが土曜。この時点で「よくもって火曜まで」と冷静に判断。ビデオカメラを持参しているのだが、何度もそこに「遺言」を残す。

日曜:”I ‘m sorry….Mom, Dad, I love you. Sonja(妹), I love you.”
火曜(もはやこれまで、と覚悟し):”Mom, Dad, I really love you guys…….I’ll always be with you. (結婚する予定の妹に)I wish I could be there (結婚式) to see it start off…..Do great things with your life-that will honor me the best.”

腕を切り落とすことも考えるが、「そんなことはできない」と。時々、小さなナイフでちょっと皮膚をなぞってみたりするが、切れない。しかも、こんなナイフでは骨を切ることは絶対できない、とあきらめる。

岩壁に自分の名前を墓標のごとく彫ったりもする。(白骨化するまで誰にも発見されないかもしれないので。)

しかし、死なないのですよ。毎晩「もはや朝を迎えることはあるまい」と思っても、やっぱり朝が来る。そしてついに木曜を迎える。この時点でも、”my Schwab IRA account can go to Sonja”「年金口座は妹にあげる」なんていう遺言もビデオに撮っている。

で、その後、岩につぶされた腕の先の自分の手の指をナイフでつついてみたら、既に腐っていて、皮膚が破れて腐敗ガスが出てくる。ここで突然
「腐った腕はいやだ!」
という唐突な怒りにかられて、その腕から逃れようと体を振り回す。そこで
「これで骨が折れる」
ということに気づき、何度も体を振り回して、腕の骨を折り、それから腕を切り落とし始める。

しかし、ナイフは、皮膚をこすったくらいでは切れないようなナマクラ。ほとんど紙やすりで腕を切り落とすようなもの。それでも彼は冷静に、皮膚が切れたところで、反対の手を傷口の中に入れて、
「これが動脈、これが筋肉で、腱はここ、神経はこれ」
と探り、動脈は最後に切ろう、と判断。それから1時間かけてガリガリと切り落とすが、腱はどうしても切れず、ペンチ状のツールでひねりきる。

ここで、一旦切り落とした腕の「記念撮影」。(本には写真がついてます。ぎえー、ですが)

その後、ロープを使って絶壁(オーバーハングあり)を下り、そこにある水溜りから水を飲む。(ここでもさらに記念撮影。)

そこから10キロ歩いたところで、ハイキング中のオランダ人の家族に出会う。彼は冷静に事情を説明し、自分の出血量からして、一緒に歩いていたのでは命が持たないと自ら判断、家族のうち奥さんのほうに
「走ってヘリコプターを呼んでくれ」
と要請、ダンナと二人でせっせとヘリがつける地点まで歩いていく。ヘリの中では、どこでどう遭難したかを説明、自転車が置き去りなので取ってきてくれ、と指示。また、ビデオカメラが入った自分のバックパックがなくならないよう気をつけたり。

たどり着いた病院では、モルヒネを注射しようとする看護婦に、
「注射されるとショック症状になることがあるんだけど」
と注意して、「あなたは既にショック状態だ」と諭されたり。

つまりですね、とにかく「頑丈」なのですよ。剛健。頑強。強靭。心が「もはやこれまで」と思っても、体が死んでくれないわけです。だからこそ、生き残って、さらに、歩きとおして、しかも冷静さを失わない。

ちなみに、この本、読む価値があるか、というと・・・・ちょっと冗長で退屈です。残念ながら。Outsideというアウトドアスポーツ雑誌の9月号に、遭難のところだけを抜き出した「How I Survived」という文章が掲載されていますが、こちらの方が簡潔で興味深く読めます。

***
なお、本の中には、自分で思った命の限界を過ぎてもまだ死ねない時、凍えるような砂漠の夜中にうつらうつらとしながら、突然
「生き残った自分が、将来生まれるであろう自分の子供と遊んでいる夢」
を見て、はっと目を覚まし「生きるぞ」と思うシーンがあります。

これを読んで思い出したのが、Herd on the Streetのゴキブリの話。Herd on the StreetはWall Street Journalに掲載された、変わった動物・昆虫の話を集めた本。その中に「史上最強のゴキブリ殺虫剤開発研究所」の話が出てきます。それによれば、ゴキブリは頭を切り落とされても30時間生き延びるんだそう。メスはその間に安全な場所を見つけて卵を産み付けるとのこと。

いや、別に、腕を切り落とした彼がゴキブリなみだ、と言っているわけではないのですが、ふと思い出したので。

腕を切り落として生き延びたロッククライマーのその後」への7件のフィードバック

  1. いやー、すごい人ですね。
    この人が特別なんだとは思いますが、最近アメリカの病院で手術した経験から「アメリカ人の体力おそるべし」と思ってしまいます。
    胆嚢の腹腔鏡手術なので軽いものだったのは確かですが、
    朝6時に病院着、7時半から全身麻酔で手術、9時45分に回復室で目覚めると10時すぎに病室へ、その後は「排尿せよ」「(スープとゼリーですが)ランチを食え」「歩け」、でふらふらの状態でそれをこなすと、午後1時には「では帰れ」
    ですから、、もう少しいさせてくれと言って午後1時半に帰りましたが。

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  2. たとえば出産して48時間で退院とか、日本の感覚からいうと野蛮というかとても信じられないわけですが、実は、アメリカ人は体力があるからというのがその蛮行の理由ではありません。単純に合理的な理由からなのです。
    その理由とは、1)さっさと退院した方が安い、2)無理ない範囲で通常通りに体を使った方がより回復が早い、3)様態が安定していてただ寝てるだけなら自宅の方が気楽、などです。

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  3. いつもこっそり見てる者です。情けない話卒倒しそうになりましたw「心が折れても体は元気」なんて、逆ならよく聞く話ですが・・・人間ってスゴイ!私も甘っちょろい事言ってられんわー。

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  4. 人間ってすごいですね…。心が死んでも体が死なない、ってことがあるんですね。いやーすごい。今日は、一日中このことで頭がいっぱいになりそうです。

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  5. いやー、うちのダンナがスタンフォードの大学病院で手術をしたときも、一泊で退院させられましたが、迎えにいったら死にそうな顔で、自分では動けないので車椅子に座っていてびびりました。こんなんで退院させないで、しばらく預かっててよ、と思ったものです。確かに医学的根拠はあるのかもしれませんが、やっぱり基本的に体が強いからこういう暴挙に出られるんじゃないかねーという気も・・・・。
    (とかいって・・・実は、私は3歳のとき、鉄棒から落ちて額を3針縫ったのですが、お医者さんが軍医上がりの外科医で、麻酔無しで縫われました。日本でもそういうことはあるんですね。)
    ちなみに、遭難の肝をかいたOutside誌の記事がウェブに載っているのを発見したので、本文にリンクを張っておきました。念のためこちらです。
    http://outside.away.com/outside/features/200409/aron_ralston_1.html

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  6. 昨年、僕も手術しまして直後はICUに入りました。「水を飲むように」いわれたのですが、別に乾きもなかったので飲まずにいました。別に気分も悪くなかったのですが、血圧を測ったら上が70!看護士が「大変!」なんて先生を呼びにいったりしたのを見てたら段々と具合が悪くなってきました。最も測らなかったらそのまま死んでたかも。知らぬが仏とはこのことです。
    というわけでこの手の話はつきませんね。
    ※最近は、縫うのもホチキスです。抜糸じゃなくて抜ホチ♪

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  7. ホチキスも使わずにアロンアルファで瞬間接着、というのもありますが...当然、麻酔も使いませんでした。

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