シリコンバレーの住民の40%近くは海外生まれだ。もはやどんな人種がメインストリームなのか、よくわからない。
先週金曜日は、ダンナの会社のCTOがMITのtenureになった記念パーティーに呼ばれていった。
(Tenureは終身教授と訳すのだろうか?tenureになると、首になる心配はないらしく、教授稼業においては大変めでたい昇進らしい。しかし、彼はカリフォルニアに家族も引っ越させて暮らしているのに、なぜかまだMITの教授なのである。)
CTO氏はスリランカ生まれ。スリランカで最初のISPを作ったのも彼なのだそうだ。当日は、CTO氏のスタンフォード時代の同僚が「カメラ係」として写真を撮っていたが、その人は英語に著しく不自由する中国人研究者であった。ダンナの会社のCEOはインド人だし、マーケティング担当のうちのダンナは中国人だし。移民だらけなのは、こういう技術系専門職の人たちだけではない。クリーニング屋は韓国人、マニキュア屋はベトナム人が多い。しかし、さらにバルクで流入して、最低時給の仕事を支えるのがメキシコ系移民である。
というわけで、そうした当地において私が遭遇したメキシコ移民的できごとをいくつか。
1)パン屋的観察
2)アミーゴに追いかけられて涙
3)Palo Altoのブラックホール
1)パン屋的観察
メキシコ人が住んでいる地域のパン屋はめちゃめちゃ安い、という話。Los Altos Bakeryというパン屋で、クロワッサンは1ドル60セントほどするのだが、そこからホンの車で10分ほどのLa Original Bakeryでは65セントである。Originalの方は、メキシコ人移民がたくさん住むアパートが密集したところにあるからだ。
ほぼ同じ金額を出しても、買えるパンの量はこんなに違います。
クリックすると拡大。StartがOriginal Bakery、EndがLos Altos Bakery。
2)アミーゴに追いかけられて涙
La Originalからもうちょっと北に行ったあたりに、San Antonio Shopping Centerというところがあるのだが、このあたりに朝行くと、メキシコ系移民の男性が大勢たむろしている。まだスタンフォードに留学する前、出張で日本から来た頃、早朝に車で通りかかった。道を間違えたので、一旦方向転換しようと、そういう人たちがたくさんうろうろしている駐車場に車を突っ込んだところ、突然大勢が、何かを口々に叫んだり、手をブンブン振りながら私の車に向かって走ってきた。
「助けてー」
とばかり、蒼白になって車を加速して逃げ出した。
いったいなんだったのかというと、彼らは日雇いの仕事を探してたのだ。日本でも山谷なんかでそういうことがあると思うのだが、当地では普通の人も、庭仕事やら家の修理やらでそういう人たちを直接雇用することがあるので、彼らは私が見込み雇用主だと思い
「俺を雇ってくれー」
と、駆け寄ってきていただけだったのだった。でも、そんな事情は全く知らなかったのであせった。
3)Palo Altoのブラックホール
Stanfordに隣接するPalo Altoという街の、そのまた隣にEast Palo Altoという街がある。ここは、かつては黒人が多く住み、今はメキシコ系移民が大勢住む地である。貧しい街だ(しかし、それでも家を買うには6-7000万円はかかるのがベイエリアの恐ろしいところ)
以前、Palo Altoの中でも、そのEast Palo Altoに程近いアパートに住んでいた。このアパートの玄関の前は、粗大ゴミを置くと、一瞬でなくなる、というブラックホールのような便利なところであった。
East Palo AltoとPalo Altoの間は高速道路で隔てられており、この二つの市を繋ぐ道路は非常に限られている。私が住んでいたのはその一つに面していたので、多くの人がPalo Altoで働いて、East Palo Altoで戻るためにそこを通る。そして、ちょっと使えそうなものがあるとさっさと持って行ってくれる。
使い古した家具は、救世軍などに寄付することもできる。電話するとピックアップしてくれるので便利なのだが、木製のもの以外はだめ、といったルールもあるし、そもそも電話して時間を設定するのも面倒ということもある。そんなときは、アパートの前の道路際に置くと、あっという間になくなる。超便利だった。一度など、ソファーを出して
「そうだ、Freeと書いた紙を貼っておかなきゃ」
と部屋に一旦戻って書いて、テープとその紙を持って出たら、もうソファーはなかった。驚いた。
***
と、こう書くと、メキシコ移民はただただ貧乏なだけなように聞こえるが、彼らだって、社会の階層を登るべくいろいろトライしているし、ちゃんとした教育さえ受ければ十分あがれる可能性はある。既に大人の人でも、英語の授業を無料で受けられたり、またその授業を受けている間のベビーシッターを無料で提供してくれる福祉もある。勉強するのは大変だけど、がんばれヒスパニック!
渡辺さんがここにお書きになっていることと、「資本主義は気持ち悪い」の内容は、同じコインの両面のようなものではないでしょうか。
私は自由競争のアメリカの社会が昔から好きでした。日本の社会では女性には絶対に与えられないような機会を得る事ができましたし、ホワイト・カラーの仕事に就くプロフェッショナルに与えられるそれなりの報酬も手にする事ができました。そして、小学校が日本の公立校だった影響か、「人間はもともと平等で、努力をした人が前に進むことができる」と信じていたし、自分が希望する大学へ進学してキャリアを築く事ができたのは「一生懸命努力した結果だ」と思っていました。
でも最近は、私の境遇がたまたま恵まれていて、お金持ちの日本に生まれて健康に育つことができ、親がちゃんと大学へ進学させてくれたから、という事の方がもしかしたら決定的だったのではないかと思うようになっています。(自分が何も努力しないでやってこられたと思っているわけではないのですが。)
アメリカの社会でいろいろな人と接していると、ここにあるアミーゴやEast Palo Altoの住人のような人にたくさん出会います。私の今の境遇はそういう人たちよりは絶対に恵まれているわけなのですが、それは自分がその人たちより努力した結果によるものでは必ずしもありません。アメリカは能力や努力しだいではどんどん上昇できる社会かもしれませんが、生まれた境遇によって人生のスタート位置も極端に違ってしまうところです。だから、「自由競争」の恩恵をたまたま受けることができた自分が「アメリカのシステムは良い」と考えるのは自己満足に過ぎないのかもしれないな、と思うようになってしまいました。
こういう今の考え方に結構影響があったのは、Barbara Ehrenreich という人が書いたNickel and Dimedという本です。日本の社会も変質して自由競争へ向かいつつあるのかもしれませんが、この本にあるような境遇の人が増えてしまうのだったら、それが本当に幸せなことなのかどうかは解からないと思います。
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感謝の日々
ハワイではほとんどパソコンを開かず、こっちに戻ってからすぐにインターンシップが始まったので、結局Blogの更新(反則技含む)ができなかった。とりあえず今日は前から読もう読も��…
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コメントいただいてからだいぶ時間がたってしまいました。
「私の境遇がたまたま恵まれていて、お金持ちの日本に生まれて健康に育つことができ、親がちゃんと大学へ進学させてくれたから」
国による差異というのは本当にあると思います。私がそれを深甚に感じたのはインドでした。インドで低カーストに生まれることを思えば、日本人に生まれた幸せに感謝しました。
ただ、一方で、日本やアメリカに生まれたら、よほど深刻にabusiveな親がいるのでない限り、どんなに大変な境遇でも本人しだいで何とかなる範囲が広いとは思います。とはいうものの、運もありますので、「うまくいかないのは全て本人のせい」というのは危険ではあるのですが。
「「自由競争」の恩恵をたまたま受けることができた自分が「アメリカのシステムは良い」と考えるのは自己満足に過ぎない」
おっしゃるとおりな面があるのは否定しませんし、私個人に関して言えば、アメリカに比べたら自由競争度が低い日本という国の圧迫感・閉塞感に対する失望から、その逆方向(=自由競争)をoverrateしてるだけかもしれません。
ただ、やはり「自由競争は過酷だが、それゆえに社会の繁栄をもたらす」という基本だけは忘れてはならないと思います。
恵まれた境遇への感謝は必要だしセーフティネットも必要です。しかし、社会全体が縮小均衡になるよりやはり前進するほうが、その中の住人は健康的だと私は実感します。
「アメリカ的不幸」(=自分だけが恵まれていない・競争に負けた)が増えることが本当に幸せか?については、その分、「日本的不幸」(=全員横並び的閉塞感)がどれだけ減るかによるのでは?(閉塞したまま一部だけ激烈な自由競争を持ち込んで両方増えたら最悪・・・)
とはいうものの、The devil is in the detail。
どこの国でも、物事というのは全て相対的なもので、絶対にいいこと(自由競争が絶対にいい、とか計画経済が絶対にいい、など)ということはありませんので、常に謙虚にバランスをとるべく努力し続ける必要があるのだと思います。
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