Webサービスによる未来の社会

江島健太郎さんという人の書いたWebサービスのリアリティWebサービスとSOAに関する議論という文章を読んだ。最初、何か英語の技術コラムを訳したものかと思ってしまった(特に前者)。

英語が日本語に訳されると、ものすごく難しくなることが多い。例えて言うと、元の英語が
「♪咲いた、咲いた、チューリップの花が・・・」
という童謡くらい平易に書いてあるのに、それが日本語に訳されたとたん、
「チューリップの開花時における花弁の色調は、赤色、白色、黄色の3色に分類され、各々の個体は見るものの美的感覚上、高位に属するものである。」
という感じ。「Webサービスのリアリティ」は最初から日本語で書かれたにも関わらず「開花時色調系」。つまりこの江島さんという方は「ネイティブモードで翻訳調」という中々得がたい個性を持っているようだ。そのオリジナリティに敬意を表して「Webサービス(と、その将来の進化系)が変える社会の形」を中心に、思うところを書きますね。

webサービスとは、平たく言うと「どこかにあるコンピュータプログラムを、その中身を知らないまま、ウェブ経由で簡単に使える仕組み」(もっと正確に言うと、その仕組みを実現するための技術」)だ。

江島さんの元の文章の「開花時色調系」文章を一生懸命読解した結果、どうも
1)Webサービスなんておもちゃみたいなものだ
2)企業の業務はものすごく深遠だ
3)おもちゃには深遠な業務はできない
4)IBMなどの大企業がワーワー大騒ぎしているが、そもそも今まで大金をかけて構築していたシステムが簡単に安くできる、という「大企業の出番がなくなる」類の技術であるため、チャンチャラおかしい
5)しかも、Webサービスでは、世の中のデータを根こそぎ系統化し分類する必要があるが、そんなことできっこない

ということが語られているような気がする。で、それぞれについて私の思うことは次の通り。

1)簡単だからこそ、大勢が使えるようになるので、意味がある。

2)3)この項はちょっと長くなるので要点を先に言うと、
a) 企業システムにも、それほど重要じゃないものがたくさんある
b) たとえ企業が使わなくてもweb サービスは広く個人(やそれに近い零細企業)で使われることで大きな意味を持つ 
——-
a) 企業システムにも、それほど重要じゃないものがたくさんあることについて:

一分でも止まったら本当に困るシステムまで全てwebサービスで置き換えられることはない。が、銀行の勘定系など以外、企業のシステムには
「1日くらい止まっても致命的ではない。もちろん困るけど」
程度のものも結構あるのではないか。

昔働いていた商社で、社内システムをどう運用するかの会議が行われたことがあった。システム部門以外の普通の営業部門からも多くの重役が出席。そこでシステム部門側からは
「重要な取引データが遅延なく確実に処理されるためには、さらに莫大な投資が必要で・・・」
といった発表があったのだが、営業部側のトップから
「うーん、うちの業務ってそんなにミッションクリティカルじゃないよ。ちょっとデータが止まったりしたら、客に謝れば済むから、そんな莫大な投資いらない。」
という類のコメントが出て、さらに他の営業部側出席者たちもみな
「そうだそうだ、それほどミッションクリティカルじゃないぞ」
ということになってしまい、システム部門は呆然、ということがあった。(私が出席したわけではないので、内容はまた聞きですが)。商社の取引を扱うとなれば、かなり戦略的にも大事なシステムだと思うが、それでもこの程度。

b) たとえ企業が使わなくてもweb サービスは広く個人(やそれに近い零細企業)で使われることで大きな意味を持つことについて:

百歩譲って現状の企業システムが本当に重要なものばかりで、ウェブサービスはそれを担うだけの信頼性がなかったとしても、それ以外の場でウェブサービスは広がれば、それはそれで革命的だ。「深遠な企業の業務はウェブサービスでできないから、ウェブサービスはおもちゃだ」というのは、「PCで基幹業務はできないから、PCはおもちゃだ」という80年代の議論同様に的が外れている。

PC同様、企業の「基幹業務」以外で広く使われるだけでも大市場になる。

さらには、今後大企業から、個人や、個人に近い零細企業へと仕事が移っていくのではないか。その動きは少しずつ始まっている。

私自身企業向け事業に長く携わっていたこともあり、ついつい「企業向けはえらい」「特に中小企業より大企業がえらい」「個人向けはどうってことない」と思ってしまいがち。しかし、ヨーク考えてみると、結局全てのものの最終購買者は個人なのである。全ての産業は最終的に個人が生きていくための何かを提供するためにある。とはいっても、大規模に作った方が効率がいいものがたくさんあり、かつ、直接消費者に売る以外に、中間製造物を専門に作って他の会社に売る方がいいこともあるので、「企業に物を売る」というビジネスが成立しており、しかもそれが大きい。

が、世の中の最後に行き着くところは「消費者である個人」で、その個人や、個人に近い小企業が誰でも簡単にいろいろなシステムを使えるようになることを軽く考えるべきではない。以前もMozartとMichael Jacksonを比較して「大金を少人数から集める」より、「小額ずつ、広く大勢から集める」方が、巨額の富を生める可能性が高いことを書いたが、音楽以外でも一般的にこの法則は当てはまる。これまでITシステムでは「効率的に小額を大勢から集める仕組み」がなかったから、大企業向けITが重要だったが、ウェブサービスでそれが変わりつつある。

私はウェブサービス(とかユーティリティコンピューティングとか、SOAとかいろいろな概念をひっくるたもの)の中で一番注目すべきなのは「従来のCRMをASPにしました」というsalesforce.comではなく、「サーチや決済などの単機能を、誰でも使えるようにしました」というGoogle APIや、Amazon Web Services(AWS)だと思っている。例えばAWSで、Amazonのオンライン小売店舗としてのインフラを外部からも利用できるようになった。Land’s EndやToysarusといった大企業も利用しているが、ただの個人でも使える仕組みがある。もちろん、webサービスが簡単だ、と言っても本当に誰でもプログラムをかけるほどではないが、そこは世の開発者が誰でも自由に役に立つモジュールを開発できるようにして補っている。

例えばとある人がAWSを使ってScoutPalというアプリケーションを作った。ScoutPalを使えば、本のISBN番号を入れるだけで、その古本がAmazonでいくらで売られているかリアルタイムでわかる。そこで、「古本を自分で買って、アマゾンで売る」という商売を細々としていた人がScoutPal使いはじめ、古本屋めぐりなどしつつワイヤレスに時価をチェック、「儲かる本」を効率的に見つけられるようになった。おかげで、2003年には10万ドルだった売上げが、2004年には25万ドルになりそうなので、彼は「フルタイム古本屋さん」に転向した・・・・という例がBusiness WeekのReprogramming Amazonという記事に載っていた。中には8ドルで買った本が275ドルで売れたこともあったそうだ。25万ドルの売上げで、利益率はどれくらいだろう。高付加価値の本ばかり買い、しかも経費が殆どかからないことを思えば20%とか30%も夢ではないかも知れない。とすれば年間手元に日本円にして500万から7-800万円が残ることになる。

世の中には組織の中で働くのが性に合わない人、というのがたくさんいると思う。webサービスで高度なITシステムを広く誰でも使えるようになれば、そういう人が細々と個人で働きながら5-600万円の収入を得られる機会が多くなるはずだ。中世の家内工業社会みたいな時代がもう一回やってくるという感じか。私のコンサルティングという仕事も、ほんの10年前まで、大手のコンサルティング企業でしか入手できない情報が圧倒的に多かった。が、今ではインターネットで大抵のことは調べられるようになったため、雨後のタケノコのように家内工業的コンサルタントが誕生した。同様に、Amazonのインフラをインターネット経由で広く使えるようになったことで、「古本売り」のような実際に物が動く仕事も、誰でもできるようになった。

この「フルタイム古本屋さん」は、一体全体Amazonのシステムがどう動いているかなど、全く知らないだろうし、興味もないだろう。それでも、彼のビジネスはAmazonのITシステムを活用して順調に回る。これって革命的ではないだろうか?こうした人が何万人も登場すれば、古本屋などなくなってしまうかもしれない。そうしたら、古本屋チェーン(といっても、大企業ではないかもしれないが、少なくとも中規模企業)の基幹システムを作るより、何万人もの個人古本屋がみんな使えるwebサービスの方が重要になる。

4)かように、個人に仕事の選択権を移すのがwebサービスの一つの影響ではあるのだが、誰でも簡単にできてしまうなら、これまで大規模ITシステム構築で食ってきた大企業の仕事はなくなってしまう。そうした企業は指を加えて見ているだけなのか?

そうではない好例がIBMのweb fountainだ。2週間ほど前にもweb fountainに関するエントリーを書いたが、これはIBMが100億円以上の予算と120の研究者を投入して構築した、「全インターネット巡回意味付けシステム」である。前述したように、webサービスがより本格的に稼動するには、はいろいろな標準化が必要なのだが、はっきり言ってみんなワーワー言っているだけで標準化はあまり進んでいない。しかしIBMは
「だからwebサービスってだめだよね」
などと評論家になったりせず、
「標準化されないなら、自分たちで力技で全インターネットを整理しよう」
とweb fountainを作った。近いうちに本当に「インターネット全部」を巡回する予定のシステムには莫大なコンピューティングが必要なため、サーバールームは空調が追いつかず、新しい機材を購入するたび、トラック何台分にもなる、というとんでもない化け物である。(IBMらしい!)

web fountainは、インターネット上のぐちゃぐちゃなデータの形式を整て、さらに適当な単語の属性(XMLタグ)を付加して、より意味のあるサーチや分析ができるようにする、というもの。例えば、”Mount Fuji”という単語が出てきたら、「地理的言及」、「緯度XX」「経度XX」といったタグを足したりする。IEEE Spectrumの1月号で「コンピューティングの勝者」という称号も受けた力技だが、IBMはこれをwebサービスで他のサービスプロバイダ経由大企業に売る計画だ。

(web fountainは壮大すぎて、その説明だけ聞くと、「本当にそんなことできるのか」と疑念がわくが、今後の稼動ぶりに期待。)

ということで、大企業だってちゃんと手を打っている。

5)最後に「世の中のデータを全て系統化するなんてできっこない」について。

まず最初に全てのデータを系統化する必要はない。世のデータは膨大である。その一部が系統化できただけでも十分意味がある。

そして、「意味がある程度に系統化するくらいのことは可能だ」と私は信じている。

「インターネット上のデータ」に勝るとも劣らず複雑なのは、人間の言語だろう。世界中に異なる言葉があり、互換性は殆どない。ところが、「世界の言語の文法は全てメタレベルでは一緒」というとてつもない発見をしたのが言語学者のChomsky。もちろん、メタ文法を理解したからといって、世界中の言葉が話せるようになるわけではないが、一見全くバラバラに見える言語ですら、メタレベルでは同じ。だったら、インターネット上のデータだって、非常に大きな網をかけたら系統化できるのではないか。

とはいっても「あんまり網の目が大きかったら、系統として意味がない」という反論も聞こえてきそうだが、もう少し網の目が詰まったレベルでも、無秩序から秩序を生み出そうとする世界の頭脳は侮れない。

1997年ごろ、当時働いていた会社で、「XML処理エンジンを開発するシリコンバレーのとあるスタートアップに投資をしよう」とあれこれ画策した。同じ部署に、深く鋭くコンピューティングを理解している「ヌシ」みたいな人がいたのだが、彼は「XML」と、それが実現しようとする「みんなつながるITの未来像」について
「どっちも絶対できないね」
と断言した。が、しかし、「みんなつながる」のほうは、まだまだ当面実現しないものの、前者のXMLの方はそれなりに着々と使われ始めている。(このサイトもそうだが)

ITはえらく複雑だ。よくわかっている人であればあるほど、「そんなことできっこない」と思うことが多いと思う。しかし、大勢が、あるものは虎視眈々と一攫千金を狙い、あるものは技術オタクとして夜も徹して働き続け、あるものは天才的なひらめきで障害を一つ一つ乗り越え、しかも延々と手を変え品を変えトライし続けていると、結構とんでもないことが実現する。

シリコンバレーというのは、世の目に触れる華やかなものの奥に、そうした「クソ体力を必要とするグログロな開発」が続く場所でもあるのです。

Webサービスによる未来の社会」への8件のフィードバック

  1. TrackBackありがとうございました。
    まず「ネイティブモードで翻訳調」の指摘に(苦笑)。そのとおりでございますね。まだonlineでのキャラ作りは揺れてます。それは置いといて。。。
    全体的に理解の方向が逆のような気がします。最初にもっかい結論を言いますと、私は「Webサービスはオモチャであることを再認識した上で、オモチャであるがゆえの市場を見つけることが将来の上位市場攻略のカギである」と言ってます。あ、また翻訳調ですね。(笑)
    > 1)Webサービスなんておもちゃみたいなものだ→1)簡単だからこそ、大勢が使えるようになるので、意味がある。
    そのとおりです。だから、どうにかしてハイエンドの方向に持っていってやろうとしている大手ベンダーの標準化作業の動きが「間違っているよ」というのが主旨でした。
    > 2)3)この項はちょっと長くなるので要点を先に言うと、
    > a) 企業システムにも、それほど重要じゃないものがたくさんある
    > b) たとえ企業が使わなくてもweb サービスは広く個人(やそれに近い零細企業)で使われることで大きな意味を持つ
    a)のストーリーは、そのとおりです。技術屋は放っておくととりあえず100点を取ろうとします。結果、オーバースペックなもの、品質過剰でガチガチなものを生み出します。まさにWebサービス近郊に住むネジ屋さんたちは「ネジ屋がネジの強度について深く研究するのは結構なことだが、それは車を作るメーカーから見れば枝葉末節でしかない。」なことをやっています。ニッパチの法則ないし、「足るを知れ」ってことですね。
    b)は、まず私のメッセージのトーンとして「オモチャ市場を軽視しないできちんと見つめよう」というノリであったことを理解してほしいです。オモチャであるがゆえに破壊的なのです。よって、Webサービスに期待するところは似たような感じかなと。ただ、3)のAWSのくだりは、言いたいことはたぶん全てよくわかってるつもりですが、ちょっと現実のビジネス面の認識、とくに肌感覚が浅いかなという感じです。(こういうこというと堅物のオヤジみたいなのでヤなのですが、ずーっと何年もこのへんやってるので、time scaleがうっすら見えてきたというか。BezosのDay Oneに賛成。)
    4)のweb fountainあたりは、話の流れがつかめなかったのですが、WebサービスというよりセマンティックWebの話でしょうか?「全インターネット巡回意味付けシステム」なるものが意味を持つ投資になるには、100億円とかの小銭では全然ダメではないですか。IBMの人々がどのぐらい真面目にフィージビリティを考えてるのかよく知らないですが、例えば、DoDあたりがたかがUNSPSCによる取引用分類コードを標準化するだけで数年がかりで4000億円からの予算を必要としてますから(しかもこっちは作業ベースでは研究者などの知的労働者層を要しない)、焼け石に水的バベルの塔、デスマーチプロジェクトの可能性が高いことは予想に難くありません。
    5)のチョムスキーの話は、人類の抽象化能力は普遍、つまりメタレベルではどの言語も(いわゆる自然言語のみならず、人間理性が生み出すあらゆる形式論理で)一緒であることを言ってはいますが、かつ同時に慎重にそれ以上でもそれ以下でもないことを明らかにしています。たとえば現にEsperantoのような中立言語のアイデアはいかなる地域・分野でも市民権を得ていません。それができそうに勘違いしてしまうのは、文法や論理といった表面的・メタレベルの普遍性を信じるあまり、言語のエンティティレベルに内在する文化的な親しみ、味わい、ニュアンスなどのQualiaの偉大さに気付いていないからです。(って、また翻訳調になってる)
    ビジネスだって同じです。オトナ語なんてのもありますが、
    http://www.ringolab.com/note/kkato/archives/000737.html
    捨てがたい味わいがありますね。そういう、まことに人間クサいものへの執着心が、言語を生き物たらしめているのです。
    なんて、反論しまくってるようで実は
    > ITはえらく複雑だ。よくわかっている人であればあるほど、「そんなことできっこない」と思うことが多いと思う。しかし、大勢が、あるものは虎視眈々と一攫千金を狙い、あるものは技術オタクとして夜も徹して働き続け、あるものは天才的なひらめきで障害を一つ一つ乗り越え、しかも延々と手を変え品を変えトライし続けていると、結構とんでもないことが実現する。
    > シリコンバレーというのは、世の目に触れる華やかなものの奥に、そうした「クソ体力を必要とするグログロな開発」が続く場所でもあるのです。
    あたりには、いたく同意している次第。
    お後がよろしいようで。。。

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  2. 「オモチャ市場を軽視しないできちんと見つめよう」という点について少しコメントします (オモチャであるがゆえに破壊的であるというのが何を意図されているのかは理解できていませんが)。
    Amazonやsalesforce.com、RSSの共通点は、’今あるいいもの’にWebサービスの口を付けたので自由に使ってくださいね、というスタンスにある。Webサービスにしただけでそれがいいものになったりはしない。いいものがもっとよくなるにすぎない。
    つまり、Webサービスの技術はあるけど、いいおもちゃを持ち合わせていない大手ベンダ(というよりSIer)はおもちゃ市場では何もできない。 (IBMやMicrosoftはいいおもちゃを持っていると思いますよ。その上で彼らはもっと先のところでの主導権争いをしているのでしょう)
    今あるいいものというのは、上記の3つのようなASPではなくパッケージでもいいように思うが、ASPが目立つのは売り手側がどれだけ使われているのかを把握することができるからではないかと思われる。

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  3. –インターフェース技術であるWeb Services
    –web servicesで使えるアプリケーションであるところのService
    –アーキテクチャーとしてのSOA
    –・・とはまた別(だけど近い)semantic web
    –それらもろもろによって今後必要になるビジネスモデル
    という違う話が全部ごっちゃになってるのが、問題なんですね、きっと。
    いやー、でも、江島さんの元文章、そういう意味だったのかー。読解ムズカシー、って感じです。
    ちなみに、私昔メインフレームをバコバコと格納した「ホストセンター」とか、「トークンリング専用ルーター」(何じゃそれ、という感じですよね)の営業企画をしてたこともありまして、「肌感覚浅いぜ」と言われても、でも、やっぱり負ける陣営は負けるのよね、というのが私の肌感覚なんですなぁ。

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  4. ついつい悪ノリで礼に欠くコメントをしてしまいました。すみません。いや、スタイル分析があまりにズバリ当たってて自分でもおかしかったので、勢いで。。。(独りで爆笑しそうになりながらPostしてしまった)
    平易さを大事にしようとか心がけてるつもりだったのですが、全然修行が足りませんね、自分。特に専門領域になると。。。
    Anyway, お会いできるのがとっても楽しみになりました。
    今後ともよろしくおねがいします。

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  5. いえいえ、超おちょくったスタイル分析を私も書いてしまいまして(でも本当だけど)、、怒られるんじゃないかなと思っていたので(だって本当だから)、笑っていただけて幸甚です。ではでは。

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  6. はじめまして.Psychsといいます.
    少し時機を逸した感じですが,コメントさせていただきます.
    最後のくだり,
    彼は「XML」と、それが実現しようとする「みんなつながるITの未来像」について「どっちも絶対できないね」と断言した。
    が面白かったです.
    既存の体制に組み込まれている人は,外部で何が起こっているか,案外知らないのかも知れないなと感じました.

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  7. Psychsサマ
    こんにちは。
    体制側ですね、確かに:-)
    とはいうものの、「ヌシ」の人の弁護のために言えば、97年って、まだCORBAがいいかXMLがいいか、とか謎の比較がされていた時代です・・・。大昔ですね:-) コボル開発の思い出話などする人に会うと「この人年寄りだな」と思ったものですが、自分がそうなってきたのか、トホホ。。。。
    当時説明資料に「subscribe-publishモデル」(当時は超新しかったような気が・・・)などの表現をせっせと書いたことをハタと思い出したりします。。

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