日本

ご無沙汰しました。日本出張中なのであります。明日帰りますが。短期間、かつ東京以外で1日半ということで、あまり人にも会わず。

1年以上ぶりの日本である。久しぶりに来ての感想は、「人間を健康にする日本というシステム」。

いやー。歩いた歩いた。。。PCの入った重いかばんで、ヒールのある靴で駅の階段やら地下街やらを歩くと5分10分でもよい運動だ。当たり前だが。歩く&電車コンビネーションの方がタクシーよりも早い。これも当たり前だが。超健康的である。

しかも、羽田から国内線に乗ったのだが、チェックインの際にちょっとした変更をしようとしたところ、担当の人が「確認してまいります」と消滅。10分たっても20分たっても帰ってこない。やがて離陸10分前を切り、掲示板から私の出る便の表示が消える。それからさらに2-3分して担当の方が戻ってきた。が、そこで「走りましょう!」といわれ、ゲートまで走ることに。しかも全速力です、全速力。重いカバンとヒールでこちらはハンディキャップ36という感じだ。ゲートにつくころには吐き気がして、心臓が痛いという情けないことに。

体が鍛わってしまう日本、であった。

一方、せっかく久しぶりの日本なので当地で最近はやっているらしき本を読もうと霧の桐野夏生の「グロテスク」という本を読んだ。本当にグロテスクであった。家柄、容姿、金持ちかどうかで如実にランキングが決まる私立高校(Q高校、と書いてあるが、モデルは明らかに慶応だ)に通った4人の女の子が、社会から足を踏み外していく様が書いてある。一人は総合職として大企業に入り、その中で挫折、娼婦になる。(これは街娼をして殺された東電OLがモデル)ほかの3人の人生も大差なく悲惨。うち2人は娼婦。

ちょっと前には、田口ランディの「コンセント」という本もあったが、こちらの主人公も女性で、最後に孤独に苦しむ現代人を癒すシャーマンのような存在になる。というのは比ゆで、実業のほうはこちらも娼婦。

「神のいない国の孤独」ということなのか。人間は何かと繋がっていると信じられることが、生きていくために必要なのだろう。宗教は、人を神と繋がっていると信じさせる究極のシステムであるが、日本人のほとんどが無宗教である。

一方で、娼婦とは、究極的に人と繋がることであり、タブーを自分の中に飲み込むことで、現世的問題を突き抜けた聖域に達するという暗示もある。カーマスートラの国インドでは、女装で共同生活をするヒジュラというアウト・カーストがあるが、その多くは男娼でもあり、しかもアウトカーストとして蔑まれつつ、宗教儀式にかかわることもあって畏敬されていると聞く。タブーと宗教は表裏一体なんである。

日本は人口密度が高い。いつでも人と袖振り合わせて生活している。しかも、多くの価値観を共有している。(いやいや、最近は日本も、、、と言う人も多かろうが、たとえばアメリカとの比較で言えば、まだまだ言わなくても通じること暗黙の共有概念がたくさんあるはずだ)それだけ多くの人と物理的にも心理的にも近しくあるのに孤独、という救いのなさが現代の日本の不幸なのではないか。そういう不幸が、グロテスクとコンセントというベストセラーが生まれる背景にとぐろを巻いている気がする。

ちなみに、日本に住んでいて、そういう不幸に押しつぶされそう、という人はカリフォルニアで暮らしてみるとよいかも。人口密度が低いから楽。「周囲の人々が、物理的にも心理的にも遠くにあるから孤独」っていうのは、論理にねじれがなくて健康的なのである。

ということで日本版、体の健康と心の健康でした。

日本」への5件のフィードバック

  1. こんばんは、おつかれさまです(<オトナ語?)。
    「グロテスク」の感想や書評を読むと、東京の女性は“ひどく共感”して“わかり過ぎるくらいわかった”そうでしたが、chica さんのコメントはそれはそれで新鮮。しかし、ピンポイントで選ぶべきものを選らばられたのは、あらゆる意味での目利きとしてふさわしかったかも、なんて。
    ただし、モデルの女子高は慶応女子かというと桜蔭とか女子学院とか諸説紛々なのが周辺事情です。KO女子から東大理Ⅲは極少では?というのがその根拠らしいです。
    地方公立高卒男子の自分はよくわからんです、その世界。:p

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  2. うーん、多分桜蔭とか女子学院じゃない、って気がします・・・・。そういう学校の人たちはかなり真剣に受験勉強してるから、あの本に出てくるような、余裕のある遊び方をしてる人たちの層が薄そうなので・・・・。確かに慶応だったらわざわざ東大受ける必要ないですから、わかりませんが。
    ちなみに、日本でとある雑誌の編集者の方とお話したのですが、その方も「グロテスクには多くの女性が共感している」と言っていました。驚きました。病んでますねー。あの本に出てくるほど嫌なこと、つらいことがあったら、やめちゃえばいいのに。「いちやーめた」と宣言してどこかに行ってしまえばそれで終わりではないですか。
    「自分が破壊されそうだったら、そうなる前に、その環境から立ち去る。」これ、鉄則だと思うんですけどねぇ・・・。中途半端に願いが叶いそうな気にさせられるので、ついつい限界を超えるまでがんばっちゃうというのが日本の社会なのでしょうか・・・。
    あの本に共感している人たちは、そういうことも全部ひっくるめて「今の場から逃げられない」と諦念しているのではないか、という気がするのですが。あ”-

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  3. レス、どうもです。そうですね、“Q大学付属女子校”だから慶応女子の線が濃いですが、桐野さんもそこだけ取材したわけじゃないでしょうから、あちこち混ざってるのでは?というのが近くの女子の意見でした(近くの男子はわからないというかそもそも興味薄でしたが)。
    桐野さんと言えばしばらく前の『OUT』ではカン詰め工場で働く女性を取上げられ、社会の底辺に近いところの悲惨さを描き、それから日本の階級格差について『週刊エコノミスト』に強い記事を書かれてました。
     -深夜の弁当工場で見た「奴隷労働」の女たち(さわりのみ)
      http://www.mainichi.co.jp/life/family/syuppan/economist/030218/2.html
    今度の『グロテスク』は頂点に近いところの悲惨さを描いたわけで、(大分単純化してしまいましたが)何とも説得力があるというか。
     ちなみに共感する女性たちの記事は『AERA』の後ろの方の書評のようなもので読んだような気がします。定かじゃなくてごめんなさい。
    その『AERA』の少し前の号には『踊る大捜査線2』の女性捜査本部長に共感する女性たちの記事がありました。でも、共感だけでなく反感もあったかも知れません。

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  4. はじめまして。京都から、諸事情でBerkeleyに1ヶ月間だけ来ています。
    たまたま飛行機での読書用に「グロテスク」を持参してきたのでカリフォルニアで日本のグロテスク体験をするという羽目に。「日本に住んでいて、そういう不幸に押しつぶされそう、という人はカリフォルニアで暮らしてみるとよいかも。人口密度が低いから楽。」というのはよくわかる感じです。どこへ行っても、「何でこんなにスカスカで商売成り立つんだ?」というのが不思議でしたが。U.C.Berkeleyの建築の先生方と話をしても、皆、実践のお仕事は少なそうだし。
    小説では狭い世界の中でなお、あらゆる差異を求めて作り出してしまう凄さに圧倒されますが、そんな「均質」な密度を抱えているのは日本くらいかもしれません。密度が高くてもカーストのようなものの中に入ってしまえば水が流れるようなものだからそれはそれで楽なのだ、というのを聞いたことがあります。

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  5. 桐野夏生

    Counter: 3056, today: 46, yesterday: 49 桐野夏生 † 名前:桐野夏生(きりのなつお) 【blogmap、ウィキペディア、はてなキーワード、bk1、Google】 英語圏での名前表記:Natsuo Kirino 生年月日:1951年10月7日 出身地:石川県金沢市 受賞歴:『顔に降りかか…

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