休暇に持っていったもう一冊の本はIn the Blink of an Eye. Oxford大学のZoologist、Andrew Parkerによるもの。
カンブリア紀が始まる5億4千4百万年前には、動物のPhyla(分類学上「門」と訳される種類)はたった3つしかなかったのに、たった5-600万年のカンブリア紀の間に一気に38にまで増え、その後は増えることなく現在に至る、という「カンブリア・ビッグバンの謎」を追ったものである。
筆者が提唱する謎の答えは、「カンブリア初期に視力を持った動物が初めて誕生、これがその視力を武器にpredatorとして他の動物をがんがん食べ始め、それと対抗するために、他の動物も保護色の獲得など様々な変貌を遂げたために、一気に爆発的進化が起こった」というもの。
本としては、著者の方には申し訳ないのだがちょっと退屈。Natureかなにかで数ページの論文で発表してくれればそれでOKという感じだ。結論を最後まで引き延ばして「進化ってなんだろう」「視力ってなんだろう」「光ってなんだろう」と、延々と冗長な説明が続く。そこまでカンブリア紀に興味のないシロウトにとってはかなりつらいものが。
が、アナロジーとしてはとても面白い。「小さな、でも決定的な変化が一つ起きたために、その周囲の全てが圧倒的に変貌してしまう」という「特異点」が、何事にも存在するんじゃないかと思うからだ。
例えばシリコンバレーという場所は常に技術の「特異点」を探している場所だ。「半導体」がそうだったし、「インターネット」もそうだっただろう。社会全体のあり方にインパクトを与えるような「一つの小さな変化」を常に追い求めている。そして、その変化の起こり方もtry and errorとsurvival of the fittestという生物の進化に似た動きをする。
そしてまたその「小さな変化」は、それが起きた当初は、小さいがゆえに本当に決定的かどうかわからないという、これまた生物の進化と似たところがあるのが、面白くも難しいところ。カンブリア紀の最初に視力を手に入れたtrilobiteという動物も、trilobiteに見つかって食べられてしまった他の視力のない動物たちも、よもや「ふふふ、これで世界が圧倒的に変わるぞ」とは思わなかったことでありましょう。
今日この瞬間も、どこかで将来の劇的な進化をもたらす「小さな変化」が生まれているのかもしれない、と思うと結構うきうきしませんか。
うきうきしてきました(^^
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ワンダフル・ライフ―バージェス頁岩と生物進化の物語
渡辺千賀さんが休暇中に読んだというIn the Blink of an Eye(カンブリア紀の謎)のブログを読んで、私も昔読んだワンダフル・ライフという本を思い出しました。 非常に地味な表現ながら、�…
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今日,初めてここに来ました.
カンブリア紀ネタという事で,私も「ワンダフルライフ」や「カンブリア紀の怪物たち」を思い出しました.
そして,小さな変化という点については,木村資生「生物進化を考える」かなんかで読んだかな,偶発的なそして小さな変化が蓄積して進化につながる・・・というような説.この小さな変化ってその時には気づかないけど後に遡って考えると凄いというのではなくて,小さな変化がある程度蓄積したら,顕著化(羽が生えて空が飛べるとか?)すると私は理解してます(自身ないけど).
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進化って、実は全然わかってないことが一杯あるようで、楽しいこと、しきりです。(実は恐竜が極彩色の水玉模様だったーかもーという説も以前ありましたね。ダイビングで色とりどりの魚を見ると結構納得)
In the blink of an eyeについては、著者が「カンブリア期に劇的変化があった」という論を展開した本となっています。
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うっ,いきなりフォローされてしまうとは(恐るべし).
「恐竜の色なんて,ハッキリしたことは誰もわかってないんだよ,だからカラフルだった可能性だってある!」という話をよく聞きますね.
反論も多いとは思いますが,昆虫などでは派手な色=(毒をもっているよという)警戒色だったりします.
もちろん,それを利用して毒をもつ者に擬態している毒をもたいない派手なヤツもいたりしますが,私には恐竜はカラフルだったという説は説得力がないと思えます.
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恐竜の体表は鱗状の皮膚で覆われていたと考えられています。また鱗と羽には密接な関係があります。
たとえばニワトリの足元を考えてみて下さい。上のほうは羽毛で覆われていますが、下へ下がると羽毛でないところは鱗状皮膚が見えてきます。くるぶし近くなると、もう鱗状皮膚しかありません。つまり、鱗状皮膚と羽毛は、本質的には同じものと思われます。
恐竜の体表が鱗状皮膚で覆われていたのであれば、ある条件(捕食恐竜から生き残るため、外気温が長期的に低下した為)下では羽毛にかわる事が十分に考えられます。
そしてもし、体表が羽毛となった場合、そこに多様な色がある事は、現代の熱帯雨林の鳥を見れば明らかではないでしょうか。
ちなみに、息子が持っている何冊かの恐竜図鑑でも、巨大な龍脚類でさえ体表に模様があります。つまり、色や模様があっただろうという説が有力になりつつあるという事と理解しています。
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恐竜の体表は鱗状の皮膚で覆われていたと考えられています。また鱗と羽には密接な関係があります。
たとえばニワトリの足元を考えてみて下さい。上のほうは羽毛で覆われていますが、下へ下がると羽毛でないところは鱗状皮膚が見えてきます。くるぶし近くなると、もう鱗状皮膚しかありません。つまり、鱗状皮膚と羽毛は、本質的には同じものと思われます。
恐竜の体表が鱗状皮膚で覆われていたのであれば、ある条件(捕食恐竜から生き残るため、外気温が長期的に低下した為)下では羽毛にかわる事が十分に考えられます。
そしてもし、体表が羽毛となった場合、そこに多様な色がある事は、現代の熱帯雨林の鳥を見れば明らかではないでしょうか。
ちなみに、息子が持っている何冊かの恐竜図鑑でも、巨大な龍脚類でさえ体表に模様があります。つまり、色や模様があっただろうという説が有力になりつつあるという事と理解しています。
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睡魔san, bobby-san
うーむ、いずれも説得力ありますなぁ。
なお、ダイビングで見る海のお魚さんたちは、あんまり擬態っぽくないものでもカラフル。親と子でまったく違う柄だったり。(親=しましま、子=水玉、とか)。「違う種別間で交配しないよう目印」「子供魚が同じテリトリーにいても親がアタックしないための目印」とかいう説を読んだことありますが、ほんまか?
もしかしたら
「そもそもランダムに柄があるのがオリジナルで、だんだん意味のない柄が淘汰されてなくなって現在に至る」
ということもあるのでしょうか?本文で触れた本には、
最初のカラフル生物は玉虫色だった、ということで、玉虫色から各種の色にばらばらと分化したとか?
ちなみに、先日庭の手入れをしていたら、黒字に黄色の水玉で、体表面がヌルヌルのとかげのような、ミニチュア山椒魚のようなものが登場。「サラマンダー」でした。彼の黄色の水玉にはどんな意味が隠されているのか・・・・???
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chika-san
庭にサラマンダーって、羨ましいですね。うちの子供が聞いたら羨ましがるでしょう。子供が愛読している有毒生き物図鑑にも載ってます。黄色や赤というのは、やはり毒(たべたら死ぬよ!)っていう無言の脅迫なのでしょうか。南米の矢毒ガエルも毒々しい赤色だったような(って、リンクしたページには黄色や水色もあるじゃんか)。
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上記コメントで、矢毒ガエルのところに埋めたリンクが生きてないみたいなので、HTMLを下記にのせます。
http://biol1.bio.nagoya-u.ac.jp:8001/~ssugiya/herp.html
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矢毒蛙(なんと読むのでしょうか?やどくがえる??)すごいですね。まぁ一時期の渋谷のコギャルほどじゃないかな?
サラマンダー、今度見つけたら写真に撮ってみます。結構のろのろしてるからいけるかも。
うーん、毒がないのにカラフルなものってやっぱりいないんでしょうか?(あ、毒があるものへの擬態も除いて・・・)そういえば、マガモを含め、鳥のオスってカラフルですが、あれはメスにもてるためだけですよね??「カラフルだと異性にもてる」っていうインセンティブもあるのでは??
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生殖に関して優位性を確保するためというのは,”あり”ですよね.
でも,生き延びる>子孫を増やす という優先順位はあると思います.
ヤドクガエルは有名ですよね,信憑性は謎ですが,相当昔,ツボクラリンだかツボクラーレだかを使う学生実験をした際に,毒矢の毒として使うヤドクガエルの毒が元ネタだと聞きました(かなり怪しい記憶ではありますが).
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鱗(の皮膚と)と羽毛(の皮膚)が本質的には同じであるという事がだれでも実感できる証拠写真を激写しました。
先日、台湾旅行の時に市場で撮った鶏のももの写真をリンクしましたので、ぜひご覧下さい。「台湾へ物見遊山」の一番下の写真です。肌色の(羽を毟られた)羽毛の皮膚と、黒色の鱗の皮膚がシースレスにすながっているところが良く分かりますよ。
この鶏の皮膚を全体的に鱗状皮膚にしたら、それこそ小型恐竜に見えるのではないでしょうか?(両手が手羽先になっているのはご愛嬌)
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中高生2児の母として、渡辺さんの生い立ちを読んで、幼児教育(七田真)よりも本人のモチベーション(ある意味では、「軽度の知恵遅れ」という診断が、意図せざる形での幼児教育になった?)が以下に大切かが分かり、手抜きママだったことに少し、慰めを感じています。今は、まさに世界をまたにかけてのご活躍、羨ましい限りです。小中高校は、どちらだったのでしょう? 町田市在住48才、2人の男児の母・通訳(今度アンドリュー・パーカーさんの通訳をやることになってます。)
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こんにちは。
小学校:三鷹市立井口小学校→練馬区立関町北小学校(後者では超いじめられました。ちっ、という感じ)
中学校:光塩女子学院(小学校のいじめから逃れるべく、親に泣きついて私立へ。しかし、めちゃめちゃ厳しいカトリック系女子校の環境にあわず、2年生になるや否や担任に「渡辺さん、高校はどちらに行かれるの?」と聞かれる始末。(全員持ち上がりで行ける高校があったのに・・・))
高校:都立西高
です。では
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始めまして、いつもこのブログを楽しく読ませて頂いています(^_^)
カンブリア期の生物が視覚を得てから進化のビッグバンが起きたというのは、初めて聞きましたが、実は食物チェーン以外の側面から考えると結構納得できます。それは、全体が混沌とつながる自他の区別がつかない太古の生態系から、いかに進化によって「個」を確立させるという論点からです。
最近の幼児心理学の研究によると、生物としての「視覚」つまり「目」は、何も見えない状態から物事を見えるようにするため生まれたものではなく、むしろ視覚がまだない「すべてが観える(つながる)」という自他一体の状態から脱出するためうまれたものだと考えられています。
「目」の誕生によって見える範囲をある程度の視界に限定し、それ以外のものをすべて「見ない」とすることができるようになります。
結果的に、見えるものと見えないものの間に区別ができ、その差が確立した生物の「個」もしくは「自己」を育む空間になります。
このような論点から考えると、視覚の誕生は生物の自己確立という意識レベルの進化において、とてつもない大きい変革につながるではないでしょうか?それを機に、進化のビッグバンが起きたことも想像できるのではないでしょうか?
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Junさん、
とても興味深いお話で、前に禅寺の和尚さんから聞いた法話を思い出しました。(うろ覚えなんですが)人が自分を周りの世界とは個別のものとして考えるのは錯覚で、本当は自他一体なのだそうです。そして、そういう錯覚が煩悩の原因になる、というようなお話だったような気がします。
「最近の幼児心理学の研究によると、生物としての「視覚」つまり「目」は、、、、自他一体の状態から脱出するためうまれたものだと考えられています。」
視覚ができる前の生物は自他一体という意識はあったのでしょうか(意識があるところまで進化していたのでしょうか。)
生き物の煩悩というのは視覚によってもたらされたのでしょうか。
ところで、例えば目が見えないで生まれる子供は自己確立のプロセスが他の子と違うのでしょうか。
いろいろ考えさせられます。
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Chika さん
こんにちは、確かに「禅」に通ずる話かと思いますので、その和尚さんの仰ることと近いイメージです。
「生き物の煩悩というのは視覚によってもたらされたのでしょうか。」
禅や宗教に疎いので自信はありませんが、確かに仏教では「煩悩」と「生」は紙一重の関係だったと思います。
なので畏れずに敢えて発想を広げるとすれば、視覚だけではなく、臭覚・聴覚、さらに「脳」(もしくは脳に値する思考を司る器官)の役割も変わってくる気がします。もしかして脳は「考える」ためのものではなく、そもそも「考えないものを限定する」もしくは「何かを忘れる」ためにあるものかもしれません。
「視覚ができる前の生物は自他一体という意識はあったのでしょうか」
生き物の「自己意識」はいつどのように確立されたのか、視覚を含むほかの感覚と比べ、前後関係について調べて見たいと思います。
「目が見えないで生まれる子供は自己確立のプロセスが他の子と違うのでしょうか。」
面白いテーマですね、さすが「視覚がないから盲目の赤ちゃんは自己確立ができない」という仮説は立てられないと思います。でも多少の違いはあるのではないでしょうか?今度友人に聞いて見ます。
おかげさまで脳みそのマッサージになっています(^_^)
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すみません、Yukiさんからレスのコメントを頂いたのに、Chikaさんへと書いてしまいました。。。失礼しました。
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Yuki-san, Jun-san,
いやー、私が書こうかなと思っていたことをYuki-sanが書いてくださっていたのでした。それは
「目が見えないで生まれる子供は自己確立のプロセスが他の子と違うのでしょうか。」
ということ。
見る=理解する、というのは日本語でも英語でも使われますね。「話が見えないんですけど」の見える、I see, のsee。自他を区別する、つまり世界観を醸成することと、見る、ということは密接に関わっていることなのでしょうか。
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進化論は正しいのか
すべての動植物は進化して現在の姿になったことにされている。植物に関しては偶然の突然変異によると、習った記憶があるが、偶然にしては出来過ぎている。
植物の種が、湿度��…
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On Off and Beyond: In the Blink of an Eye(カンブリア紀の謎)
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