「小学生の漢字読み取り能力がものすごく向上しているということが、テストの結果明らかになった」という記事が1ヶ月前くらいに日本のニュースサイトに出ていた。で、そのことを絡めてBlogについて書こうと思ったけど、どんなにGoogleを回しても、読んだニュースもオリジナルのデータも見つからない。うーむ。
ということで、「見た瞬間に書く」っていうリアルタイムなBlogの重要性を再認識しました。
何を書きたかったかというと「インターネットで情報があふれ、今さらにBlogによって『世の知識人』といわれる人々の視点に基づいて収集された情報やその解析までが、なんとデイリーかつリアルタイムで入手できるようになった。こういう時代、重要なのは『早く正しく読む技術』。小学生の読み取り能力の向上は、既にそうした時代を先取りしているのではないか」ということなんですが、もとネタのリンクがないとインパクトにかけるなぁ。これからはちゃんとすぐ書くようにします。
しかし、子供の頃インターネットがあったとしたら、私は一体全体どんな風に育ったんだろう。私は活字中毒で、子供の頃は身の回りのものを読みつくしてしまい、図書館の貸し出しの限界も超して、仕方ないので薬の効能書きまで読んでたのであった。国語辞典を「あ」から読んだり。日本文学全集も家にあったという理由だけで読んだな。つまらなかった。(さすがに二葉亭四迷の「フロツクコオトを着た紳士が・・・」なんていう文章は小学生の私にはつらいものがありましたので。)
あの頃インターネットがあったら、もっと自分の興味のある情報にチューンして没入できただろう。といっても、最近あまりに自分にとって必要な情報だけを入手できてしまうというインターネットの「Tune-ability」が怖かったりもするんだけど。私と興味を同じくする人とだけの、孤立した世界ができていくような感じがして。
お知り合いのようですがMochio Umeda 氏がいいこと言っています。
blogは反射神経で書く
http://www.mochioumeda.com/blog/2002_12_22_archive.html#86535815
この反射神経という言葉に反応してしまいました。
『早く正しく読む技術』も大事ですね。
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「読む」と「書く」の両方が物凄く速くできる、というのが大事なんでしょうね、これからの時代・・。
ちなみに、日本の若い人たちの文章を見ていて、実は「携帯メールの影響」があるのかな、と最近思います。
短歌や俳句のような長さ、物言いが増えているような。キャッチコピー的凝縮というか・・・。
これは一長一短ありそうですが、実際に日本でやり取りされている皆さんはどう思っているんでしょうか。
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ポジティブに考えると
長い文章を書くより短い文章で中身をこめるほうが
難しいのではと思います。
私は携帯のメールは使っていませんのでわかりませんが
確かに短い文章を使うことが多いのかもしれません。
その組み合わせなのですけれどね。
別の問題としては携帯でのメールは
あまりにもその虜になっている人が多いのが
問題だと思いますが。
歩きながらも、自転車に乗りながらも
なんでそんなにメールを打つ必要があるのかが
理解できません。
危ないですよね。
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ポジティブに考えると本当にそうですね。
でも、「いったん長い文章が論理的書けるようになって、始めて短い文章に中身をこめることができる」のでは、と思います。
ただ、「文章(それも誰かに当てて発信する文章)を書く」、「それに対するフィードバックをコンスタントに受ける」というプロセスが一般化するのは、携帯メール文化の大きなメリットになるように思います。
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