いつも心に101 – 絶対的地理把握と相対的地理把握

先週、友達のマルちゃんにすごく笑われて、少々意外だったので一筆啓上。

「自分の場所をどう把握しているか」という問題です。

ベイエリアに住んでいる現在、私の地理認識は主要高速道路の101号線と280号線が基準になっている。

ベイエリアは約80キロほどの縦に細長い半島で、北にサンフランシスコ、南にサンノゼがある。そしてその2つの街の間に101という高速と、280という高速がある。東側が101、西側が280。

で、私は何かの場所を、101と280から見てどこにあるか、という風に考えるのであった。

それで一度ダンナと喧嘩になったことがある。

サンノゼ空港までダンナに迎えにきてもらったときのこと。私は空港を出たところの長い直線上の道路で待っていた。

しかし、ダンナの車が目の前を通り過ぎてしまった。「ああああ」と思いながらダンナの携帯に電話。(バックは出来ず、もう一周大回りしないと戻って来られない。大回りには5分くらいかかる。)

 

「空港の280側のはじにいるよ」

と言ったところ、私が見つけられずイライラしているらしきダンナは

「280側なんてどっちだかわからん!」

なんでわからないんだろうと、頭の中が?マークで一杯になりつつ

「101じゃない側だよ!」

と告げたところ

「101側も280側も知らん!どこにいるんだっ!!」

とイライラが頂点に達するダンナ。

でも、101とサンノゼ空港は数百メートルしか離れていない。つか滑走路が101と接している。どうしてわからないのかがわからない。

 

・・・という話をしたところ、マルちゃんが

「そんなの絶対わかる訳ない!」

と言うではないか。

えええっ、そうなの?

 

ちなみに、この話をしたとき、マルちゃんと私はグーグルにほど近いMountain ViewのダウンタウンであるところのCastroという通りにいた。

Castroと101、280との位置関係はこうなっている。

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で、そのとき我々は図上の赤い人間マークのところにいた。

「じゃあ、今私たちがいるところはCastroの101側、って言っても通じないわけ?」

と聞いたところ

「全然無理」

もちろん、反対側が280側だなんて論外だそう。

そして

「101と280を基準にしているなんて、そんな変なの聞いたことない!」

と死ぬほど笑われた。あまりに笑われたので、もしかして101 – 280基準って、痛みの基準を鼻毛一本抜いた痛さに設定するくらい変なのかもと思い始め、つられ笑いして私も涙を流してしまいました。

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ちなみに、私は、自分の居る場所をいつも地図上の点として考えている。その中で自分がどちらを向いているかも常に考えている、と思う。

考える、というのはちょっと大げさで、全て無意識。

無意識なのになぜわかるかというと、話している相手が、どこかのお店や街など地図上の一点について話す時に

「あのお店が」

などと言いながら、指でそちらをさすことがある。この時に、この指が90度以上ずれたところをさすと、ものすごい違和感があるのです。180度違う方向を指されたりすると、あまりの違和感に、何について話されているのか一瞬わからなくなってしまう。つまり、いつでも「どちら方向に何があるか」を考えているということではないかと。

ベイエリアにいる時は、常に101と280がどこにあるか考えていることになる。

そうです、私は「いつも心に101」があるのです。

太陽より役に立つ。

ちなみに、「地図上の点として認識」が原因かどうかわからないのだが、目の前にある地図をくるっと回すと余計わからなくなってしまうことが多い。よく「自分にとっての前後左右と地図の向きが一致するように地図を回して見る」人がいるが、私の場合、それなりに土地勘がある場所でこれをやられると「90度以上ずれた指差し」と同じ違和感があって、何がなんだかわからなくなってしまう。(ただし、知らない場所で、どちらに何があるかの感覚がないところでは、くるっと回した方がわかることもある。)

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大学のとき研究室(都市工学科交通研究室、というものであった)の助手の人が「方向感覚の研究」をした話をしていたのだが、いわく、方向感覚がいい人はいつも自分の向かっている方向がどちらかを無意識にでも考えていて、方向感覚が悪い人は曲がり角に来てはじめて「さてどちら」と考えるのが違いだそうだ。うろ覚えだけど。

その点では、私は明らかに「方向感覚が良い人」である。確かに、そんなに悪くない。

・・・悪くないのではあるが、じゃぁ迷わないか、というとそんなこともない。

理由は多分2つあって、一つ目は、そもそもの「地図」の把握が間違っていることが往々にしてあること。

ベイエリアの例で言うと、私の脳内地図はこうなっている。(左の縦棒が280、右が101)

しかし、実際はこういう風になっているのでありました。

全然違う。

101と280が東西に走っているところでは、私の東西南北の感覚はぐちゃぐちゃであります。そしてたぶんそのぐちゃぐちゃ具合がわかっているからこそ、東西南北ではなく「101と280」を起点に考えているのだと思う。

私の方向感覚が狂う2つ目の理由が、つい道路は直行しているような気がしてしまうところ。碁盤目状に作られた京都のようなところだったらよいのだが、通常中々そうはいかない。なので、たくさん角を曲がるうちに、だんだんと脳内地図が実際の地図からずれていってしまいます。

で、ずれた方向感覚の中で暮らせば暮らすほど、間違った脳内地図が定着してしまう。起きている間中「何となく自分はこっち向き」と感じながら生きているので、その固定ぶりはかなりすごい。その固着した脳内地図が間違っていた場合、正しい脳内マップを再構築するには、常にGPSのマップを見ながら移動するなどの努力が必要。

こうした不毛な努力をせずに済むためには、新しい場所に行ったら、なるべく早く正しい地図を覚えるのが吉である。

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ちなみに、世界の言語には、モノの位置を絶対指標で話す言語というのがあるらしい。「前後左右」ではなく「東西南北」で語るのです。たとえば、

「そこにいる猫の前にある猫じゃらしを取って」

というかわりに

「そこにいる猫の南東にある猫じゃらしを取って」

と言うのです。

オーストラリアのアボリジニやマヤ民族にいるそうだが、彼らはもちろん常に自分が東西南北のどちらを向いているか完璧に把握しているそうです。そうでないと日常生活に支障を来す。

物語が書いてある絵を順番に並べる、というタスクでも、通常は左から右かその逆に並べるが、絶対指標のアボリジニは、自分の向いている向きに関係なく、東から西に並べるそうです。(Remembrances of times Eastを参照。失われた時を求めて、ならぬ、東に行った時を求めて。)

wikipediaによれば、言語学的には位置関係を表現する方法に3つあるらしい。

intrinsicはそのものが本質的に持つ前後左右が基準で、例えばメインエントランスがあるビルだったらその側が前で、その反対側が後ろ、というのがこれ。

absoluteは物体の向きとは関係ない東西南北や川上・川下、海側・山側などの表現。

relativeは、話している人から見た相対関係で、「家の右にいる猫」と言ったら、見ている人の位置(もしくは何らかの視点)から見た家の右側に猫がいることになる。

ちょっと余談だが、英語には日本語の「向かい」に相当する表現が無い。「向かいの家」と言いたいときは、「the house across the street」と長くなる。

この「向かい」という表現は、「そのものがintrinsicに持つ本来の『前側』のrelativeな『正面』」という意味だと思うのですがどうでしょう。

つまり、家には「前側」がある。そしてその前側の正面にあるのが「向かい」。裏の家を「向かい」とは言わない。斜め前の家を「はす向かい」ということはあっても「裏向かい」はない。ということは、まず「本来前ってどっち?」というのが物体固有にあり、そこから見た相対的な正面、と思うんですが。

閑話休題、常に北東から南西に風が吹くハワイでは、風上側をwindward、風下側をleewardと呼ぶが、これはabsoluteの一種でしょうか。

101−280もabsoluteの一環だと思うのだが、そんなに大笑いされるほどこの「101-280スタンダード」は変なの?

大いに疑問に思うのでアンケートしたいと思います。

もしかして在住期間が長くなって地理認識が深まるとともに変わるかも、とか男女差も関係するか、とも思うので属性もお伺いします。

ベイエリアに住んでいる方、是非教えて下さい。後日ブログで結果をご報告します。

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迷った時に英語で道を聞けるように

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いつも心に101 – 絶対的地理把握と相対的地理把握」への5件のフィードバック

  1. いわゆる「地図が読めない女」ですね。わたなべ家の場合は男女が逆のようですが。わたしも男脳なので、101側ではわからない、という意味がわからない(笑) 101側でも、サンフランシスコ湾の方でも、シアトルの方でも、カナダの方でも、北極の方でも、わかりやすさは皆同じですけどね~。じゃー逆に、それがわからない人には、なんと言えばわかってもらえるのでしょう。何々色のビルがある方、とか?太陽に向かって背中の方、とか?

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  2. オアフの都市部 (空港〜ホノルル〜ワイキキくらいまで?) では「Ewa側/Diamond Head側」及び「Mauka(山側)/Makai(海側)」で方角を指示することが多いですね。

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  3. 母は阪神間出身なので、脳内地図の基準は「北に六甲山、南に海、その間にJRと阪急が平行に走っている」だそうです。その影響で、関東に来ても、東西南北で考えようとする傾向にあります。
    私は幼稚園の時に、右と左を教わりましたが、それ以前に、母親に東西南北を教わっており、幼稚園では「あなたの右は、向かいにいる私から見たら左です。」と教わったとき、「それって反対を向いても変わらない東西南北の概念のほうがえらいじゃないか!」と思って、右・左は重視しないと心に決めました。その結果、左右がとっさにわからない大人に育ちましたが、自動車学校では「右に曲がって!」「左に曲がって!」という指示がとっさにわからず苦労しました(笑)。アボリジニの世界に行ったら私も違和感なく生きていけるかもしれません!面白い記事をありがとうございました。

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  4.  私は関西出身ですが、両親は部屋の中でも方角で位置を表現していました。「扇風機の風をもっと西に向けろ」という風に。
     お話の地域で101と280を基準にしたことはありませんが、たぶん方向感覚をなくすと思います。

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  5. 私は東京出身ですが、「部屋の中でも方角」というのは少しありました。
    なんといっても「北枕」は避けないといけないので、常に「どちらが北か」を考えていました。旅行先で北枕だと子供心にかなり微妙な気がしたものです。
    あと、そのシーズンの初物を食べたら、東を向いて「わっはっは」と笑う、というのも大事な習慣でした。カツオとか、サンマとか、その手の「大事な初物」に限られましたが。

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