週末に日本の母親からメールが来た。
うちの実家の家族がとても仲良くしていた近所の犬が死んだ、という知らせであった。
犬の名前はハッピー。ハッピーの飼い主のおじさんは「ハッピーパパ」と我が家では呼ばれており、ハッピーパパはハッピーを連れて毎日散歩。その途中で、必ず私の実家による。実家には、ハッピー専用ローカロリーおやつがあって、それをあげる、という決まりになっていた。実家の隣には私の妹の家族(子供たくさん)もいて、子供たちは毎日ハッピーに会うのを楽しみにしていた。
母からのメールはこんな感じでした。
ハッピーが今朝死にました
毎日煎餅等を食べにきていたのですが
8日ころから何も食べませんが来てはいたのよ
11日には水も吐いてしまいました
もう、11月に入ってから歩くこともヨタヨタしていましたがところが、12日の夕方4時30分ごろハッピー一人で、我が家まで来たそうで、
その時も何も食べないで
みんなに頭をなでられて、真白(注:私の姪です)が送って行ったそうです
お爺さん(私の祖父)はお別れに来た・・と思ったそうです
13日訪ねた時は、耳をなでたり頭をなでて上げると
もっとなでて・・とおねだりする。でも、耳の中は冷たかったよ
14日の夜中3時30分ごろ、かおりさん(飼い主の人)の腕の中で死んだとのこと
今朝みんなでお別れに行ってきました。
哀しいけれど「大往生」です。
ふと思ったのは、「人間がこういう死に方をするのってあんまり聞かないなぁ」ということ。「死ぬ」というと、病院でいろんな機械につながれている姿を想像してしまう。ホスピスとか、いろいろあるが、
「ああ、もうこれまで。会いたい人に最後の挨拶をしてこよう」
というような死に方はあまり聞かない。
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GenentechがAvastinという薬を開発、今年FDAの認可が下りて販売が開始された。転移した大腸がんの薬だが、認可当初から好調な売り上げで、今後さらに伸びが期待されており、Genentechの株価は今年になって164%もあがった。WR Hambrechtのアナリストは初年度売り上げだけでも2億9千万ドルに達するのでは、としている。
ビジネスウィークのAvastinに関する記事もこんな華やかな始まり方だ。
When Earl Woodard was diagnosed with advanced colon cancer in November, 2000, he didn’t have much hope. Surgeons were able to remove some of his tumor, but the cancer had spread to his lymph nodes, making it unlikely he would survive more than a few months. Then Woodard went to Duke University and enrolled in a trial of an experimental cancer drug, Avastin, which was developed by Genentech (DNA ) Today, he’s cancer-free. "It’s a miracle," says Woodard.
しかし、このAvastinは実は効用が低い薬なのである。
「10ヶ月服用すると、平均して5ヶ月延命できる」
というのが、臨床実験の成果(A)。しかも、薬代がひと月に4000ドルかかる。ということは、4万ドルかけて5ヶ月延命か・・・・。アメリカは医療費負担で国が崩壊するとまで言われているのに、こんな薬を開発すべきなのだろうか?
「末期がんで5ヶ月余計に過ごすくらいだったら、少々命は縮んでも、痛みも無く日常的生活が送れ、最後は眠るように死ぬ」
というような薬が欲しい、と思ったり。そうすれば、ハッピーのように、最後は世話になった人、もう一回会いたい人に挨拶に回って大往生、なんてこともできる。
ちなみに知人の猫は、やっぱり大往生したが、最後はほとんどウトウトと寝たきりだったのが、突然起き上がって表に出て行き、あちこちの「お気に入りスポット」でじっと景色を眺め、一巡すると満足したように家に帰ってきて、程なく亡くなったとのこと。
最後に人に会いに行く犬、最後に自分のいた場所を見に行く猫、というところによく犬・猫の違いが出ている。
かくいう人間の私も、そういう尊厳のある死に方がしたいものです。
(A) 出典:In Vivo; May 2004. "The phase 3 trial leading to its approval demonstrated a 30% increase in median overall survival of patients, from 15.6 months to 20.3 months."
高度な医療は人の死を日常から遠ざけてしまいました。と言っても今の医療を否定する事はできませんが、もう少し死というものを日常に取り戻す考えがあっても良いと思います。
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ハッピーの話。
悲しいけれど、優しくて、美しい旅立ち。
とてもよい話で、心に染みました。
人間もかくありたいものです。
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小さい時から同居していた祖父が、数年前に亡くなりました。ある日の朝起きてこなかったので、祖母が昼過ぎに様子を見に行ったら、夜のうちに息をひきとっていた、という穏やかな旅立ちでした。
当時の私は都心に部屋を借りていて、仕事も忙しく月~金は地方にいるような生活でした。ところが、たまたまその直前の日曜日は突然寒くなり、秋冬物の服を取りに、予定もなかったのに急遽実家に帰っていたのです。後になってみれば、まるで呼ばれたように。その時に、「じゃあまたねー」といって別れたのが最後になりました。
祖父が死んで急遽出張先から実家に帰った夜、いつも隣で寝ていた祖母が寂しいといけない、ということで、私が祖父のベッドで寝ることになりました。朝起きると、頭の上の窓から光が差し込み、鳥が鳴いていました。隣のリビングからは壁越しに、やはり泊まりにきていた姉の子供が朝から事情もわからずはしゃいでいる声が筒抜けに聞こえてきます。祖父は体が弱っていて、あまりベッドから出てこない日が多くなったと聞いていましたが、家族や遊びに来る孫・ひ孫の様子は手に取るようにわかっていたのですね。穏やかで幸せな最期の日々だったのだ、という確信のようなものが湧いてきて、ベッドの上で泣いてしまいました。
お葬式にいらした祖父と同世代の友人方は、口をそろえてその最後をうらやましがっておられたのが印象的でした。なんだかハッピーの話で祖父を思い出して、センチメンタルになっちゃった。
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はじめまして。
ちょくちょく拝見してます。ちょっと古い話題ですが、「英語」勉強法に触発されて、ラジオ英会話を聞き始めました。
さて、今回のお話、深いものがあり感銘しました。
私自身の経験ですが、二度ほど不思議なことがあったのを覚えています。
ひとつめは、おじいちゃん。小学校に入るころ、父方の祖父が亡くなりました。夏休みに私たち孫が田舎に来るのを待ちわび、梅かなにかの実を食べさせようと木に登り、誤って落ちてしまったのです。
庭で遊んでいると、「はやくおいでね」と笑った顔で空から私に呼びかけてきたのが、その知らせを聞く前でした。
もうひとつは、山岳部の仲間。大学2年のとき、私は山行が苦しくて早々と退部したのですが、久しぶりにキャンパスでばったり会いました。「南(アルプス)に行くんだ」「そうか」なんて短い会話で終わりました。その翌週、朝刊に「遭難」の記事を見つけ、わなわな震えながら、部室に駆けつけました。
いずれも、「あとから考えてみると・・・」という、こじつけかもしれません。
でも泣きました。しんみりです。
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皆さんの話を読んで、私もしんみりしてしまいました。。。。
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私の父方の祖父は80数歳で亡くなったのですが、亡くなる当日まで元気でした。ある朝、何を思ったかふらっと散歩に出かけ、家の周りをしばらく散策したあと満足そうに帰宅しました。その後しばらくして急に頭痛を訴え、あっという間に亡くなりました。脳溢血でした。きっと最期にもう一度、自分の生きてきた場所を眺め、思い出を振り返って、満ち足りた気持ちの中で逝けたんじゃないか、とても幸せな亡くなり方だねと家族で話しておりました。
その祖父の法事で父の兄弟が久しぶりに集まり、そんな思い出話で盛り上がりました。その席に父の叔母(祖父の妹)も出席されていましたが、かなりのお年なので痴呆が進行されていたようです。帰りの車の中で父は、ああなって家族に負担をかける前にポックリ逝きたいな、と兄弟に語っていたそうです。そしてその夜、父は本当にポックリ逝ってしまいました。脳溢血でした。まだ65歳でしたので、家族としては寝たきりでもいいのでもう少し長生きしてくれたらとも思います。でも、家族思いの父でしたのでそうなることは潔しとしなかったでしょう。
祖父や父のケースは、ある意味うらやましい亡くなり方ではないかと思います。私も、子供達が独立して、できれば祖父くらいの年齢でしみじみ人生を振り返るようになった頃、ポックリ逝けたらなあと願ってます。
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いかに死ぬか、死期は感じるのか、死後はどうなるのか、についてはエリザベス キューブラー・ロス氏の本が面白いですよ。
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Go-san,
ぽっくり死ぬ、って理想ですよね・・・・。もしかしてこれ、日本人的発想なのでしょうか・・・。どうしても私にはAvastinのメリットがしっくり来ないのですが。
Aki-san,
Elizabethさんは「死」の専門家みたいですね。周りを驚かせないよう、こっそり読んでみます。
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偶然サイトを見ました。私は通算30年ベイエリアに住みましたので、貴女の話があの乾燥した少し乱暴なランドスケープを懐かしく思い出させます。パロアルトやサンマテオは生活の舞台でした。最後の10年ほどは日本とサンフランシスコに家があってpacific commuter
でしたが。私は早稲田の建築で都市計画の修士です。いまはある著名な東京のデヴェロパーの参与をしています。若い世代が海外で活躍してくれるのは私の夢でしたから、体に気をつけてがんばってください。
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Otto-san,
コメントありがとうございます。私は都市計画関係の仕事はほとんどしなかったのですが、回りには結構そういう人がいますので、多分共通の知り合いがたくさんいそうですね。
今後とも時々覗きに来てください。
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11月16日ごろの、動物の死についての話、人も動物も生き物は皆同じなんだと思います。私がサンマテオで飼っていた最初の犬はhumane society からもらってきたものですが、ジュゲムと名付け、可愛がりました。ハスキーとハウンドのミックスで意志の強い子でした。がんで亡くなりましたが最後の週は早朝に裏庭の崖の上に上がって、東を向き昇ってくる太陽をじっと見つめていました。オレンジ色に輝いて厳かな姿でした。二匹目はラブラドールで、これも気だての優しい犬でした。三匹目は東京の家で飼ったゴールデンレトリーバーですが、13年生きて静かに他界しました。死ぬ2、3日前散歩でいつもは行かないような路地の奥などに入り込んだりして、死に場所を探していたのでしょう。病院ではなく私たちの膝で最後の時間を過ごしたのがよかったようで、おだやかな顔でした。この子の名前がotto
です。私たちはottoにいまでもとても感謝しています。恨まず、根に持たず、嘘をつかず、いつもハッピーで明るいことがどんなに幸せなことかを教えてくれました。
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Otto-san,
貴重なお話ありがとうございました。日の出を見る犬の姿が目に浮かぶようです。
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Otto-san,
貴重なお話ありがとうございました。日の出を見る犬の姿が目に浮かぶようです。
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ふらふらと犬の死について色んなトコを見て回ってました。
私の飼っていた犬「雑種」14歳(人間で言うと75歳くらいかな)が12月24日に亡くなりました。銀行勤めをしていた14年前、業務後ナゼかロビーで蹲っていた犬を拾って持って帰りました。同居してた祖母が亡くなって49日の法要が終わった日でした。家族は小さく丸っこい犬が来た事で少し明るくなりました。それから自営業に転職し実家を離れていた私ですが、老齢の両親を番犬として守ってくれた「クマ」(アライグマに似てたから「クマ」と名付けました)それから、ラブラドール、トイプードルと色々事情もあり飼っていったのですが、両親は長男「クマ」を溺愛し少しえこひいきし、そして新入りの二匹も納得してるように「クマ」には遠慮気味でした。それが面白くもあり、ある意味、動物のルールなのかなぁ?と不思議に思ったものです。とにかく3匹と両親は上手く生活してました。私も数年前から実家に戻りましたが何ぶんにも多忙で犬とゆっくり遊ぶ時間まではなかったのが正直なところ。
去年、母親が癌を患い、今年夏には父が脳出血の為、半身不随になりました。自宅介護が無理になりエンドレスの闘病生活が始まりました。それまで3匹を散歩に連れて行ってた父。脳の術後、意識がしっかりしてきた父本人が一番辛いとは思っていましたが、病院から施設に移すまでは犬との面会も出来ず半年が経過しました、、、そして、私自身も一年の内で一番忙しい秋が終わり、それと同時期に父も転院が決まりました、、が、それと時期を同じく「クマ」の命の火も掻き消えそうだったのです。今月に入り快晴が続いていました。本当に思い立った様に友人に頼み、ほとんど動けなくなった「クマ」を大きな箱に入れ、車で父の施設に連れて行きました。父を庭まで車椅子で下ろし愛しの「クマ」と半年振りの対面を果たせました。父はおいおい泣いていました。7月までは自分が散歩をさせていたのですから。そして、自分はもう二度と一緒に歩くことは出来ない体だとも分かっています。5分ほどの対面でしたでしょうか、、、父も「クマ」も満足したと思います。その翌日「クマ」の容態が急変し、、、一日苦しんだだけで彼は逝ったのです。苦しむ「クマ」を目の前にどうすることも出来ず夜中に急患で動物病院に連れて行きましたが、、、心ない処置をされ怒りに震えながら帰宅しました。私は最近引越しをしたばかりの新居に「クマ」を連れて入りました、、その瞬間に息を引き取りました。誰の手をも煩わす事もなく、、、あっけなく。
でも、本当に心が通じ合っている父と「クマ」を目の当たりにし感動しました。そして私の新居で亡くなった事も、、、仕事で忙殺されている私を心配してくれたのかなぁ、、、と。一緒に暮らし始めた彼と私の腕の中で一瞬で逝った「クマ」、、、良い人と巡り会えたのを見届けてくれた気がします。年末は通常多忙な私も今年はナゼか12月中旬から休みがありました。ゆっくり葬儀を出来る時間、自分自身を立て直す時間、、、「クマ」が与えてくれたのだと思います。人は「人間は一つ一つの物事に理由をつけたがる」と言うケド、、、私はそうは思わない。今でも不思議でならない感覚があるのです。そして、まだ一週間も経ってないから当然かもですが、、近くに「クマ」が居る気がしてなりません。いつも傍に感じるのです。魂って、そんなものなのかもしれませんね。私は信心深くも宗教家でもないけど数年前から般若心経をいつも心に生きています。肉体と魂の関係に思いを馳せる年末を送れる余裕と機会を与えてくれた今回の死に感謝しています、、、
長い書き込みに最後まで付き合ってくれた皆様、有難うございます。
最後に、、、「クマ、短かったけど一緒に過ごせて幸せでした。私に色々な楽しい☆嬉しいを運んできてくれて有難う。ホントに感謝しています。また、会う日まで、、、天国で駆け回っててね」
PS・・・同じ日に亡くなったニュージーランドの親友の飼い犬「ブルー」ご冥福を祈ります、、、ブルー、「クマ」と仲良くしてね。
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てる-san,
私は犬を飼ったことが無いのですが、息苦しくなるくらい飼い主に忠誠を誓っている犬を見ると、すごいなぁと素直に思います。そんな犬が死んでしまったら哀しいでしょうね・・・。
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