Misa Flamenca

paco.jpg昨日の夜、スタンフォード大学の教会でコンサートがあった。

フラメンコギターの大御所、Paco Penaによるフラメンコ風ミサMisa Flamenca。教会の設立100周年記念イベントである。

スタンフォードの教会はステンドガラスが散りばめられ天井は高く厳かな感じだ。コンサートはまず、教会内の全ての電気が消され、祭壇の蝋燭の明かりだけが灯る状態で始まる。スタンフォード大学の合唱団の男性コーラス4人が静かにアベマリアを祭壇上で歌う中、蝋燭を持ったコーラス隊が20人ほど後ろのドアから入場、静かに祭壇へと向かう。

その後いくつかの宗教的アカペラが続いた後はPenaによるギターソロ。そしてさらに2人のフラメンコ・ギタリストを加えたギター曲へと続く。一旦、休憩が入り、後半はフラメンコの歌い手の男性3名と女性1名、パーカッション、フラメンコダンサーが加わる。

後半の滑り出しは、まずフラメンコギター。そして一旦曲が途切れた瞬間に、男性のソロボーカルによるアカペラが始まった。

その瞬間、いきなり、心の中で眠っている原始的な感情を、素手でわしづかみにして荒々しく引き出されたようなショックがあった。例えばMozartを聞いて感じるような高揚感、U2を聞いて感じるような陶酔感とは全然違う。短調で、緊迫感のある不安定な音階が続き、音から音への移り変わりはこぶしがまわる。それは、ものがなしい日本の民謡のようでもあり、またアフリカの呪術音楽のようでもある。歌い手は、宙を両手で掴み、何かを抉り出そうとするかのように全身を震わせ、苦悩に満ちた表情で教会全体を震撼させる。

私はいつも、音楽を聴くとそこから何か物語的な情景を連想し、その連想の世界を楽しむのだが、彼の声は一切の物語を拒否するものだった。物語のようなやさしいものではなく、禍々しさと畏怖の念があわさったような、動物的な感情を激しく揺すぶってくる。

満員の観客も皆一様に何かを感じたらしく、彼の歌が始まった瞬間に、客席は雷に打たれたように全てが静止した。誰一人咳払いするものもなく、身動きするものすらない。

その後は、ギター、歌とパーカッションが、ソロと全員での協奏との間を行ったりきたりする。さらに、突然全ての音楽がやむと、男性のフラメンコダンサーが全くの沈黙の中で靴の音だけを響かせて激しく踊り始める。

最後は、ギターとパーカッションと歌による、地響きのような音の狂乱で締めくくられる。その音の向こう側には、長い歴史の中で凝縮されたスペイン人の情熱と懊悩が暗い海のように広がる。

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何年か前にプラハでMucha Museumに行ったことがある。チェコ出身のAlphonse Mucha(ムハ)は、その装飾的、耽美的画風で一世を風靡したアールヌーボーの画家だ。美術館には、Muchaの生涯に関する様々なエピソードも書かれているのだが、その中にこんな話もあった。

いわく、Muchaは経済的にも著しい成功を収めたため、その周囲には金を無心する友人が絶えなかった。それがわずらわしかったMuchaは、自分の邸宅のとある引き出しに常に現金を豊富に入れておき、家を訪ねてくる友人たちはそこから自由に金を持ち出すことができた、と。自分を利用しようとする人ばかりが自分の周りに集まってくる。なんとさびしい人生だろうかと胸を打たれる思いがした。

「彼の画風は、あまりに特異だった為、最初は”Le style Mucha”と呼ばれた。それがその後、アールヌーボーと名前を変えた」ともあって、Muchaはアールヌーボーという分野自体を作り出した偉大な画家でもある。Muchaはフランスやアメリカで成功を重ねた後、プラハに戻って、それまでの商業的なポスター風の画風ではなく、より芸術性の高いスラブ民族の歴史をテーマにした大作に取り掛かる。Mucha Museumでは、全体が50平方メートルもある超大作を含め、彼が芸術性を求めて苦悩した軌跡が展示されている。

彼は恐らく大変苦心を重ねて芸術の高みを求めたのだろう。しかし、そこには芸術を芸術足らしめる「何か」が感じられなかった。

Muchaの絵は、Klimtの絵に似ている。

以前のエントリーでも書いたことがあるが、KlimtのJudith and HolofernesⅠという絵は衝撃的だった。目が片方だけ光っているのだが、展覧会でそれを見た瞬間に、いきなり激しい疲労に襲われ、そのままうずくまって眠りたくなった。何とかしてベンチまでたどり着いて、騒然とする超満員の群集をものともせず、一瞬にしてぐっすり寝てしまった。

その展覧会は、KlimtとEgon Schieleの絵を集めたものだった。Schieleは、画家になりたかったヒットラーが入学を拒否されたウィーンの美術学校で「世紀の天才」と評価された人でもある。その後のヒットラーの狂気を形作ったとも称されるSchieleの絵を楽しみにしていたのだが、入り口にいきなりJudithⅠがあり、その後ふらふらしながら歩いて、やっとベンチがあったのは出口のところだった。その間は夢遊病状態だったため、どんな絵があったか全然覚えていない。残念だが。

「魂を奪われるような感じ」というのは、こういうことだろうか、と後で思った。

その、Klimtにある「何か」がMuchaには決定的にないのだ。Muchaは商業的には大成功し、経済的に何の不自由もない人生を送ったが、結局「何か」を手に入れることはできなかった。それとも、商業的成功が彼の「何か」を奪ってしまったのだろうか?

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今回のMisa Flamencaでも、歌い手は全員とても上手だった。しかし、最初にアカペラで歌いだした男性の歌にある「圧倒的な何か」が、他の歌い手にはなかった。

この「圧倒的な何か」はどこからくるのだろうか。

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生の声、生の音のすごさは、やはりデジタルでは決して伝えることができないということも痛感した。CDはどんなよいステレオで聴いても、というか、よいステレオで聴けば聞くほど音が粒だって聞こえるように感じる。その粒子の際立ち方が爽快でもあるのだが、今回のコンサートの音には粒がなく、全ては滑らかに連続してうねっていた。教会ならではの音響効果もあったとは思う。

とはいうものの、CDで聞いてみたい方はこちら。
Misa Flamenca:Paco Pena

Misa Flamenca」への5件のフィードバック

  1. Dear friends:
    I’m just looking for a professional art gallery where I can put on my pictures.
    I never been in Japan, for that I wolud like very muy have an opportunity for to do that.
    Please, visit me web page and contact me if you are interested to know me and my works.
    Kind regards from Lanzarote Island (España)
    Paco Chika

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  2. 心と体が揺れる時

    フラメンコ科の先生Paco Pena氏がロッテルダム音楽院20周年記念コンサートを開くということで、聴きに行って来ました。会場の熱気がもの凄かった!俺はひとりでコンサートを観にいったというのに「イェェェェィ!」って叫んでいました。何度も! 本来は「オレイ!」と……

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  3. 渡辺さんはじめまして、Paco Penaを検索していたら
    たどり着きました(事後報告で申し訳ありませんが、トラックバックさせていただきました)。オランダでジャズサックスを吹いてるShuと申します。ついさっき、今通ってる学校の先生Paco Pena氏のライヴから帰ってきました。素晴らしいステージでした。
    渡辺さんの文章を読んでとても共感でもてました
    はじめましてのご挨拶までにコメントさせていただきました
    失礼しました

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  4. shumusic-san,
    どーもです!!オランダでジャズサックスとは、素敵な人生ですね。Paco Penaさんが先生とはうらやましいです。
    がんばってください。

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