身近な戦争

戦争である。ローカルテレビの天気予報まで、San FranciscoからNapaにかけて明日は雨、と言った直後にイラクの天気が出て、一瞬「Bay AreaにBaghdadという地名があっただろうか」と戸惑ってしまったくらい。

この戦争について語れるほど、私はイスラムとユダヤ問題も、石油事情も、Al-Kaedaとイラクの関係も深く知らない。かといって、戦争を見ない振りして他の事を語る気にもなれない。なので、「私の身近な戦争」について。

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私にとって戦争はいつも「歴史上のできごと」だった。その帰結が全て明解になった何十年後かに分析されて語られる「戦争」。善悪の評価が付いた後で語られる戦争。全ての人が第3者として、評論家として語る戦争。

私の身の回りで一番戦争に近かったのは、軍人だった父方の祖父だろう。第二次世界大戦で太平洋の島々に戦いに行ったらしく、軍服の写真が田舎の家には飾ってあった。白黒でピンボケでほこりをかぶっていた。しかし、祖父からは一度も戦争の話を聞いたことはなく、私にとっての戦争は古ぼけたフレームに収まった白黒の写真そのままに、抽象度が高いままだった。

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アメリカに越してきてから、ダンナと友達夫婦と4人で食事をしたときのこと。ダンナの両親は中国の国民軍で、共産党革命で本土から逃げて台湾に渡った、という話になった。彼の父親は、まだ小さいうちに、他人の家の豚小屋なんかを転々としながら命からがら逃げて海岸線に辿り着き、やっとの思いで船に乗って台湾に着いたらしい。母親の方は、もう少し裕福だったので、そこまで悲惨な逃避行ではなかったようだが。

友達のほうは奥さんが中国系、ダンナさんがベトナム人である。奥さんの両親はうちの義理の両親同様、共産党革命で本土から台湾に渡ったくちだ。しかしダンナさんの方は、自分自身がベトナム戦争を逃れてきたのだ、という話になった。当時7歳くらいだった彼は、父親が軍人だったので、サイゴン陥落時の米軍の最後の船に乗って、アメリカに亡命してきたのだそうだ。最後は、それはあわただしく、父親が突然血相を変えて家に走りこんできて、着の身着のままの家族を取りまとめて港まで走ったのだという。父親が家に来てから陥落まで30分もないという、生死をかけた一瞬だったらしい。「でも、僕は子供だったから、大勢子供も乗っている船旅は結構楽しかったよ」と笑っていたが。

ベトナム戦争は、一応私は記憶にないでもない。2歳くらいの頃にベトナム戦争に反対して焼身自殺した女性を主題にした「フランシーヌの場合」という歌がはやったが、そのサビは今でも歌える。でも、やっぱりベトナム戦争は「歴史上の出来事」という認識しかなかった。もしくは「テレビの中の出来事」と言ってもいいだろう。

サイゴン陥落の日に走って逃げた彼は私とほぼ同じ年だ。アメリカでは大学院まで出て、今はシリコンバレーのハイテク企業で普通にプロダクトマーケティングなどしている。そんな「普通の人」が、映画かテレビの一場面のように生きるか死ぬかの瀬戸際を走って逃げてきた、という違和感。

食卓を囲む4人のうち3人までが自分か両親が戦争(か内乱)を脱出してきて、私だけが「戦争は歴史上の出来事」と思えるような平々凡々たる恵まれた人生を送ってきていたのだった。

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それ以外でも、当地では、「父親が暗殺された」フィリピンの女性、内戦下のニカラグアでアントレプレナーとして事業を成功させた男性、などなど、「緊迫した情勢をかいくぐってきた人」に時々出会う。

そうした「自らが戦争の近くにいた人たち」を間近に見た後での、今回の戦争で思うのは「私だったらどうするだろう?」ということだ。「歴史上のできごと」ではなく「自分にも起こりえること」として考えるとき、その判断はとても難しいものになる。

私がブッシュだったらどんな決断をするか?次の巨大テロを起こさないためには、いったい何をしなければならないのか?UNのバックアップを取り付けることは可能なのか?可能でないということはいつ判断すればいいのか?

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日本の母親が「アメリカ人は80%も今回の戦争に賛成だと聞いた。けしからん。」といって怒っていた。どこから取った数字かわからないけれど、多分本心から賛成している人はそんなに多くないはず。ただ、いったん戦争が始まった以上賛成する、という人は多いのは確か。20歳前後の若者が多数戦場で戦っている。「国のために命を懸けて戦う人がいる以上、簡単に戦争反対なんていえない」という人たちがたくさんいるので。

当事者として、実際に起こっている渦中で、ものごとを判断していくことは、複雑でとても難しいことなんだなぁ、というため息が結句です。

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