Red Herring (&Tiqit) goes bust

Red Herringが廃刊に。今出ている3月号で終わり。

前回のエントリーで、「Fuckedcompanyでは、Red Herringの購読者リストと名前が$2mで売りに出ていると噂になっている」と書いた矢先のできごと。

それ以外にも、ちょうど2日ほど前に「Red Herringの1月号の表紙になっているベンチャーのTiqitが2月に倒産」という噂を聞いたところ。「サバイブするベンチャー」として大きく取り上げてられていただけに、その号がでて数週間でつぶれちゃうとはRed Herringも大変だよね、と話していたのだが。そのRed Herringまでなくなってしまったのである。

***

Red Herringは面白いし、私の仕事に役立つ情報が多い雑誌だった。なくなってしまって残念。エッジーなベンチャーの話が豊富なRed Herringがなくなってしまうと、アーリーステージのリスキーなテクノロジーを扱うベンチャー情報ソースとして残るのはMITの出すTechnology Reviewくらいになってしまう。Wiredはビジネス的視点よりはサブカルチャー的雰囲気が濃厚だし、Business2.0はベンチャーでも、もっとestablishした会社の話が多い。Fast Companyはもっとメインストリームっぽい話の方が最近は主流。シリコンバレーのローカルなものでは、biz.inkというマイナーなニュースレターはあるが情報の掘り方が浅い。

とはいうものの、Red Herringがなくなるのは、広告主の奪い合いが減るので他のテック系雑誌にとっては僥倖。例えばSan Francisco Chronicleの記事によれば、Business2.0では人を増やす計画中とのこと。

***

Red Herringはバブルの絶頂の頃「札束が渦巻く中でビキニの女性が笑っている」というイラストが表紙の号が出たときがあった。その表紙を見たときの印象はなんともいえないものがあった。拝金主義に対する反射的嫌悪感と共に「ああ、もうバブルも極まった、後はいつ弾けるかの問題だな」という焦燥感というか恐怖感みたいなものも感じた。(なんと言っても日本のバブル崩壊をたっぷり見た後だったので。)

San Jose Mercuryの記事によれば、その頃Red Herringが2億ドルでの買収オファーを蹴ったという噂もあったとのことだが、今では200万ドルでもRed Herringの名前とsubscriberリストを買う人が現われない。

札束の表紙といい、2億ドルオファーを蹴ったことといい、New Economyのhypeを広げたことといい、後になって冷静に見れば恥ずかしいことばかりだが、果たしてRed Herringは間違っていたのか?

私はそうは思わない。

何事もそうだと思うのだが「時流に乗る」というのが成功の秘訣だ。どんなすばらしいビジネスでも時期を逸したら決して上手くいかない。なんでこんなのが、と思われるビジネスであっても上手く時流に乗れば思いがけなく大成功する。

同様に、インターネットバブルという数十年に一度の大波がやってきた時には、たとえそれがバブルだと思っても乗らないと損だ。しかし、波が来ている渦中では全てが怒涛の勢いで起こるから、何が正しい判断(波の乗っている)で何が間違った判断(波の飲まれている)なのかはわからない。結局「運」が支配する。

とすると、運の前では個人は無力なのだろうか?

私はそれも違うと思う。

「運を引き寄せる行動様式」というものが存在すると思うのだ。「運がやってきたときは大きく張る。運気が下がってきたら小さく張る。でも決してやめない」というのがその行動様式だ。

以前日本で社会人になったばかりの頃、公認会計士の人による財務諸表の研修を受けたことがあった。その時の財務諸表の話は全て忘れてしまったのだが、異様に面白くて印象に残った話があった。それはその公認会計士の「ラスベガスでの勝負の話」である。

彼は毎日深夜まで働きほとんど休みのない生活だが、時々土日に1日半だけ休みを足して、ラスベガスに行くのだという。ラスベガスでは、ぶっ続けでギャンブルをするのだ。

ゲームはスキルより運が重要なものを選ぶ。(確かブラックジャックだった。)そして、まず小額の掛け金のテーブルでひたすらチマチマとかけ続ける。しばらくすると「ツキがやってきた」と感じる瞬間が来る。そうしたら、すかさずより大きな掛け金のテーブルに移る。で、何百ドルとか何千ドルとかバンバン賭ける。不思議なものでツキが来ている間は面白いように勝つ。

しかし、しばらくすると、ツキが去っていくのを感じる。(つまり負け始める。)そうしたら、サッと小額のテーブルに戻って、また5ドルとか10ドルとかをチマチマと賭けて、再度ツキがやってくるのを待つ。睡眠不足で気を失いそうになったら、ホテルの部屋で1-2時間だけ仮眠を取って、またカジノに戻る。

これを繰り返すと、約2日間で必ずかなり儲かって日本に帰ってくるのだそうだ。

本当かどうかはわからないが、人生も似たようなものじゃないか、と思った。それから10年以上たつけれど、その思いは強くなる一方である。

ツキが来た、と思ったときにその波に乗らなければ、決して大勝ちすることはない。というより、ツキが良い時には、ツキが悪くなったときの損をカバーするくらい勝っておかないとならないから、ツキが来たときに勝負しないのはかえって危険でもある。

Red Herringを運営する人たちは、ツキが来た、と思ったときにバーンと張ったわけだ。20億ドルのオファーは逃したかもしれないけれど、1999年に210万ドルだった広告収入が、2000年には870万ドルまで跳ね上がった。しかも上手くいきそうなベンチャーの情報にいち早く触れることができる立場を生かした、広告収入外の経済的メリットだっていろいろあっただろう。

「バブルに踊らずに、地道に経営する」というのは聞こえはいいけれど、そうしていたって、バブル崩壊の広告収入減からは逃れられなかったわけで、結果は同じだっんじゃないだろうか。そういう意味では、「避けられない運命の中では、『少なくともバブル期には大儲けする』という最も幸運なパスを選んだ」と言える。

Red Herringという雑誌はなくなるが、それを動かしてきた人たちには、これからも小さく張り続けて、ラッキーを待って欲しい、と思う。

成功も失敗も紙一重で、アップダウンの激しい不確実な世界では、地道に張り続けるdiligentなギャンブラーであることが大切なのだから。

Red Herring (&Tiqit) goes bust」への2件のフィードバック

  1. ラスベガスでのゲームは全て運に左右される。ブラックジャックがギャンブラーに好まれる理由は、統計的にプレイヤーが勝つことが可能であるからだ。私も時々、自分でプレーしたり、人のプレーを観察するが、不思議なことにこの波は確実に存在する。一方、スロットマシンなどの機械相手の時には、あまりそのような波を感じることができない。どちらも運と確率に左右されるゲームであるにも関わらず。
    一つだけ考えられる理由は、勝ち負けの事象分布である。勝ち負けの確率が50%ずつだとしても、勝ち負けを順番に繰り返すという可能性は非常に低い。そうならない場合には、固まって勝ちが続いたり、そのバランスを取るために負けが続いたりするのである。それが人間には勝ち負けの波と感じられるのではないだろうか。一方、機械を使った場合には勝ち負けの事象の偏りがかなり抑制されるように設定されているように見える。機械的な制御はやはり不自然な事象分布を発生するのだろうか。個人的には、プロのギャンブラーが波が来た時に大きく掛けるという戦略を取っているのを見たこともある。上の考えが正しければ、数字的は波が来ている時に大きく掛けることには意味がありそうだ。
    一方、景気の波と自分のビジネスの波が必ずしも一致するとは限らない。景気が悪くなると儲かるビジネスというのは必ずあるものだからだ。景気が悪いというのは過半数の人が景気が悪いということではあるが、全ての人が景気が悪いと言うわけではない。そういうマーケットではそういうマーケットで勝てるビジネスをするということが重要なのだろう。その上で、波を感じたら、大きく勝負に出ようということか。

    いいね

  2. 「自分の運の波」を知るのは、実は最も重要。セクハラっぽいですが、日本の昔の言葉では男時・女時という風にも表現するようです。男時が満ち潮、女時が引き潮。引き潮に逆らって岸に向かって泳ぐのが大変なのは、海水浴でおなじみの通り。
    でも、実は「運がいいときに賭ける」のと同じくらい大切なのが、「運が悪いときも小さく賭け続ける」ということなのだと思っています。でないと、運もやってきません。

    いいね

コメントする

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中