大統領選挙とインターネット

昨日は、大統領選予備選の第一歩、Iowa caucusが行われ、人気一番と思われたHoward Deanは18%の得票で3位、もはや過去の人と言われていたJohn Kerryが38%で1位という意外な結果となった。「インターネットを最大限に活用した選挙活動で人気を集めたDeanが、テレビでの討論や広告など実体の方で不人気なことが判明」というのがアナリストたちの見解のようだ。

ちなみに、caucusといっても、なんのこっちゃ、という人が殆どであろう。私もそうだ。そもそも予備選ってなんだという感じなのに、さらにcaucus。
「民族衣装を着て銃を持ったロシア人が輪になって踊っている」
という謎のイメージが頭の中には浮かぶのだが、それはコサック兵とマイムマイムがごっちゃになっているのであろう。
(連想の流れ:コーカス→コーカサス地方→ロシア→コサック兵)

もとい、コーカス。一応アメリカで教育を受けたダンナですら
「Caucusはイマイチ変なシステムだからよくわからないんだよねー」
ということで、アメリカの選挙はえらく複雑である。

ごく簡単に概略だけ言うと、
1)大統領選では、まず党ごとに自分たちの推す候補者を選ぶ
2)選ぶために、州ごとに、個々の党が「どうやって選ぶか」というルールを決める
3)ルールには党員がみなで投票するprimaryと、党員がグループを作ってそれぞれのグループごとに決めるcaucusがある。予備選出だしのIowa州はcaucusルールを採用。(caucusはとても複雑。詳しくはNew York Timesの記事をご覧下さい)
4)いろいろな州で順繰りに候補者を決めていく。今回共和党は、現大統領のブッシュが候補者として決定済みなので決めるのは民主党のみ。民主党は、最後に大パーティーをして、
「XX州はYYさんを選んだー」
「おおおお(拍手拍手)」
みたいにワーワーと発表する、というパフォーマンスをして、党の候補者を発表
5)そして、異なる党の候補者同士に対する直接投票の本選が行われる
(上記、1月21日に少々訂正しました)

ということのようだ。かように、半年以上かけたお祭りが繰り広げられるのである。

さて、話題を呼んだDeanのインターネットを使った選挙活動だが、ウェブ上の募金活動で、4千万ドル、実に40億円超を調達した。

サイトはよくできていて、ビデオもあるし、非常に頻繁にアップデートされている。選挙スタッフが作るblogまである。
募金ページはVerisignのsecure siteマークも入っているし、クレジットカード(Visa、 Master、 American Express)も利用可能。ニュースはRSSフィードもできるようになっている。

募金ページはConvioという会社が作っている。Convioは、オンライン募金活動を専門にサポートということで、いろいろな会社があるものである。

通常大統領選の募金活動といえば、うん千ドルのディナーパーティーなどというのがメジャーだが、今回Deanは「小額を大勢から集める」という方法で多額の資金を集めた。この「小額を大勢から集める」というのは、選挙に限らず、ありとあらゆるビジネスで重要になっていくビジネスモデルだと思う。例えば、AppleのiTunesで一曲99セントで音楽が買えるというのもそうだし、誰かが広告リンクをクリックするたびにチビチビと広告料が課金されるGoogleのAdsenseAdwordsもそう。AmazonのAssociate Programのように、「本を売ってくれたらちょっとだけ販売手数料をあげる」という仕組みを導入して、世の中全員セールスマンにしてしまおう、というのも「小額×大勢」。

以前、MozartとMichael Jacksonと印税というエントリーで、「多額×少数」をクライアントとして、貧乏のうちに30代で死んだMozartと、「小額×大勢」で大金持ちになったMichael Jacksonを比較した。MozartとMichael Jacksonどちらが才能があるかはさてはおきつ、「多額×少数」から「小額×大勢」へとビジネスモデルが変わるということは、とても大きな変化なのである。

ルックスと成功

以前書いたエントリーのルックスはビジネスと関係あるか?にMozanさんがコメントで書き込んでくれたリンク先の記事がとても面白かったのでご紹介。

Hidden camera investigation: Do looks really matter?

元のエントリーは、「見た目がいいと、ビジネスに役立つのか?」という内容だが、この記事は、NBCの社員男女2人と、超美形モデルの男女2人が、街を歩いて人々の反応の違いを見る、というもの。(ルックス以外の条件(年齢・人種など)はなるべく同じにしたとのこと)

ということで、書類をばさっと街角で落とした場合、どんな違いがあるか。

1)落としたのがモデルの女性の場合
When model Allison drops her file, there seems to be a sudden change in the weather. Is it raining men? A man even uses his cane to stop the pages from flying away.

「急に雨でも降ってきたのか」というくらい、周り中が騒然となり、皆必死に書類を拾ってくれる。杖を付いている男性まで、杖で書類を押さえる。

2)女性社員の場合
NBC staffer Loren is about to be that someone else. She drops the papers and people step by, rather than stop. About a dozen people pass by before, finally, a woman offers help.

10人以上が歩き去ったあと、やっと一人立ち止まって書類を拾ってくれる。女性社員氏は、“I felt embarrassed・・・・You know, wait a second, I think I’m somewhat attractive. Why didn’t anyone help me?”
「私だって、割合魅力的だと思うんだけど、どうして誰も止まってくれないの、と恥ずかしかった」とのこと。いや、よーくわかりますなぁ。。。。

3)社員の男性の場合
But that’s nothing compared to our other NBC colleague, Anthony. When he drops the folder, the sidewalk literally clears. Even as he spreads out the papers he’s supposedly collecting, people just walk on by.

書類が散らばった瞬間、道行く人はくもの子を散らすようにいなくなって、ぽっかり空間が。拾うふりをしながら、敢えて書類を広げるも、誰も手助けしてはくれない。むなしい。

4)モデル男性の場合
Model Anthony wouldn’t know how that feels. He drops the folder and immediately an entire family stops to help.

男だから助けてもらえないわけではないのである。美形の男性の場合、即座に通りがかった家族が全員で書類拾いを手伝ってくれる。

これ以外にも、道を聞く、列に割り込んで許してもらう、など、いろいろトライするが、結果は一緒。コメントを求められた専門家いわく

“we are just hard wired to respond more favorably to attractive people. ・・・This is something anthropologically that has existed for as long as history exists,

ということで、「人類学的に見て人間は魅力的な人に優しくするようにできてるんです」という実もフタもない答え。

去年の12月18日号のEconomistには、こんな記事もありました。
Hey, big spender: Men lose their fiscal prudence in the presence of attractive women

明日25ドルもらうのと、1年後に100ドルもらうのとどちらがよいか、といった質問をいくつかすると、その人の時間価値がわかる。一般的に男性は女性に比べて「将来の大金」より「今の小金」を選ぶ傾向があることは知られている。

さらに、実験として、200人の男女に、12枚の写真を見せる。ある人は、12人の魅力的異性の写真を見る。他の人は、12人の普通の異性、12台のかっこいい車、12台の普通の車の写真を見る。写真を見た後、「今」と「将来」の選び方がどう変わるか。

As predicted, men who had seen pictures of pretty women discounted the future more steeply than they had done before—in other words, they were more likely to take the lesser sum tomorrow.

魅力的異性の写真を見た男性は、「たくさんだが、もらうまでに時間がかかる報酬」よりも、「少なくてもいいから、なるべく近い未来にもらえる報酬」を選ぶようになる。

(I)t was as though a special “I-want-that-now” pathway had been activated in their brains. After all, the money might come in handy immediately. No one else was much affected.

というわけで、魅力的異性を「見る」だけで、男性の選択は刹那的になる、というそういう結果だそうです。

Steve Jobs: Return of the King

San Jose Mercury Newsの日曜版のビジネス欄はアップルコンピュータ特集であった。初代Macintoshが発売されたのが1984年の1月24日ということで、20周年を記念したもの。
The Mac that roared
Jobs’ personality, values inseparable from Apple saga
上の二つの記事以外にも、紙バージョンでは、製品やマネジメントの変遷に関する年表が満載。その代わりオンラインでは、1984年当時のマック発表に関する記事が二つ転載されている。20年前といえば、もうなんというか、コンピュータの歴史的には、縄文時代みたいなものだ。
Archive: A look at secret new Apple computer (Jan. 1984)
Archive: How the Macintosh computer grew (Jan. 1984)

一番上の記事には、Mac誕生の経緯が載っている。

The seeds of the Mac were planted in 1979, when Jef Raskin, an early Apple employee, decided to name his dream — a new type of user-friendly computer — after a fruit he liked to buy as a boy in Manhattan. “I figured if I was going to name an Apple, it might as well be my favorite,” he recalled.

So Raskin christened the project Macintosh, after the McIntosh apple. Though Apple had asked him to build a $500 game machine, he morphed that mandate into a $1,000 computer.

Well, sort of a computer. Raskin envisioned a machine people would love, a machine people would find friendly more than just necessary. Raskin’s vision — in broad strokes, at least — carried through into the final product.

But it was Jobs who made the Mac real. Jobs, who recognized the Macintosh project as an opportunity to fulfill his own computing vision, took control of the team from Raskin, and remade it in his own image.

ということで、AppleをAppleたらしめたといってよいMacは、実はJobsの発案ではなく、他の社員のアイデアなのであった。途中で、Jobsがプロジェクトを乗っ取って、自分のテーストを加えて仕上げたわけである。

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Where is my gnome

最近、新聞に3センチかける5センチくらいの小さな広告でこんなのが出ていた。
Wanted: My Garden Gnome. Have you seen him? Has red pointy hat. He was taken last week off my front lawn… Call Bill.

「gnomeの人形がいなくなりました。見つけたからはご連絡を」ということで、「なんのことやら、怪しい・・・・」と思っていた。gnomeといっても、Unixのデスクトップ環境のことではなくて、妖精の方です。

広告には、「詳しくはwww.whereismygnome.comを見てください」と書いてあって、そこに行くといかにも素人っぽいつくりのサイトがある。が、ちゃっかり旅行サイトTravelocityの割引クーポンが貼ってある。ということで、これはTravelocityのゲリラ的キャンペーンなのであった。Urban Legends and Folkloreによれば、New Yorkでは、ご丁寧にビラまで配られたようだ。

eCommerceも本格的に成長中だが、競争も激しくなっている。Travelocityもがんばってるのだ。
ちなみに、妖精の人形が旅に出るという”where is my gnome”は、元々80年代にそういういたずらがあって、それをさらに、フランスの小粋な映画、Amelieが、かわいらしいエピソードとして使ったもの。映画では、主人公Amelieが、鬱々としている父親を見かねて、父親の庭からこっそりgnomeの人形を盗み、その人形が世界を旅しているかのように見せかけた写真を父親に送って、父親に旅に出る決心をさせるという風になっていました。はい。

Web Fountain

IEEE Spectrum1月号Winner-Loser-Holy Grail。通信、電力、半導体、交通、コンピューティング、バイオエンジニアリング、の6分野で、2004年を予測して、「勝者」「敗者」「難しいんじゃないの(Holy Grail)」の3つを選んでいる。

(Holy Grailは「達成不可能に近い、非常に困難なゴール」という意味でよく使われる。イギリスのKing Arthur伝説に基づく。King Arthur伝説を全く知らない私には、なんのことやら、なのであるが、Holy Grailの一言だけ理解しておけば、困ることはない(ようだ)。Holy Grailは、キリストが、最後の晩餐で使った杯とのこと。)

コンピューティングの勝者は、IBMのWeb Fountain。去年の9月4日号のEconomistでもFountain of truth?として紹介されていたが、IBMが1億ドル以上の予算を投入、120人がかりで構築するウェブ発掘インフラ。シリコンバレーのはずれのAlmadenの研究所で開発されている。

Web Fountainはインターネット上のぐちゃぐちゃなデータの形式を整えて、さらに適当な単語の属性(XMLタグ)を付加して、より意味のあるサーチや分析ができるようにする、というもの。例えば、”Mount Fuji”という単語が出てきたら、「地理的言及」、「緯度XX」「経度XX」といったタグを足したりする。
(詳しくは、IBMのサイトへ)

ものすごく壮大なプロジェクトである。IBMのサーバ上のデータ量は160テラバイトととてつもなく超巨大。

なお、spectrumの紙媒体のほうの記事によれば、この過程を通じてIBMが発見したことは・・
■ウェブの30%はポルノ
■ウェブの30%は他の繰り返し
■一日に新たに変更されるのは5千万ページ
■ウェブの65%は英語

なんだそうだ。なるほど・・・。

さて、インターネット上の情報に、意味を付加しよう、というのはずっと言われてきたことで、90年代半ばからは、「XMLを使った意味付加」について喧々諤々の討論と、いろいろなトライ・エラーが行われてきたが、いつまでたってもたいしたことはできていない。

それなら、ということで、全世界のウェブサイト(当然形式はみんな滅茶苦茶)を巡回して、力技で整理整頓してしまおうというIBMの力技。もしかして、120人のサイエンティストの裏に10万人くらいインドで雇っていて、人力でタグ付けしてたりしたら笑えるのだが、そういうことでもないようだ。大企業しかできないことを、大企業的にしっかりとやった、という中々見上げたプロジェクト。自分の持ち味を生かして、きっちりとした仕事をしている人や会社を見ると心が洗われるが、Web Fountainはまさにそれ。

知り合いが、IBMで120人の一人としてプロジェクトに参画しているのだが、去年会ったときは、仕事は結構楽しいと、嬉しそうにしていた。ちなみに、Fortuneでは、Web Fountainのことを取り上げてHow Big Blue Is Turning Geeks Into Goldと去年特集していた。うーむ、私の知り合いはgeekしかいないんだろうか。。。。

本日(も)休場・・・

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blogを書く時間がないので、変な絵でお許しを。

「休暇中に水彩画を勉強しようと、テキスト本と絵の具と筆を持って行ってみたが、水彩画はあまりに難しくて断念。仕方がないので、パステルで描いた海と空」

という挫折の賜物です。難しかった理由、については、ちょっと書きたいことがあるのですが、またの機会に・・・・。

Oliver Sacks “Seeing Voices”

休暇中に、Oliver SacksのSeeing Voicesを読んだ。期待通り面白くて、初日に読みきってしまった。

Oliver Sacksは、Robert De Niroが出たAwakenings(邦題:レナードの朝)の原作者でもある脳神経医。様々な脳神経障害に関して、心打つエッセイを書いている。

彼が、他の「文章も書く医師」と一線を画しているのは、その深い洞察力、共感力による。彼の専門分野の「脳」は、思考と感覚をつかさどるとはいうものの、電気信号と化学物質で成り立つ一器官に過ぎない。多くの脳神経関係の本は、その科学的解明に重きが置かれ、とてもドライな感じがする。しかし、Oliver Sacksのエッセーは、単に対象を「症例」として捉えるのではなく、特定の異常・特異性を通じて、さらに一歩踏み込んで、人間の「心」とは何か、「魂」とは何か、といった深みに達しているものが多い。

Seeing Voicesは聾唖者と手話に関する本だ。手話というと、多くの人が単語の羅列だと思っているのではないだろうか。少なくとも私はそう思っていた。
「私」「学校」「行く」「昨日」
みたいな感じ。しかし、全くそうではないことがこの本を読むとわかる。複雑なニュアンスと文法を持った、一つの独立した言語なのだ。

では、そもそも「言語」とは何か。Oliver Sacksは、言語の重要な特質として次の二つを挙げている。
1)言語は、幼少期に取得しなければ、一生獲得できない
2)人間は、「文法能力」を遺伝的に持っている

1)の「言語」は「何らかの言語」という意味。4-5歳までに、全く言語に触れることなく育った子どもは、一生話せるようにならない、ということ。そんな子どもはもちろん殆どいないのだが、歴史上時々「野生児」や「何らかの理由で、隔離され監禁されて育った子ども」などが、かなり大きくなってから登場する。その後、どれほど周りが努力しても、彼らに言語を教えることはできない。彼らは、言語を習得できないだけでなく、抽象的思考そのものができないという問題を抱える。

2)は1)と相反するようだが、そうではなくて、幼少期に周りから適当な言語刺激を与えられさえすれば、人間は必ず文法規則を持った言語を「開発」できる、ということ。その「幼少期の刺激」は、完璧な言語である必要はない、というのがポイント。例えば、親たちはどこかから連れてこられた移民で、全員片言しか話さなくても、その子どもたちは、親の使う言葉を要素として、前置詞や時制といった文法規則をもった言語を勝手に開発する。つまり、人間には教えられなくても会得可能な「内在する文法」がある、ということになる。

(この「人間には『文法力』が生まれつき備わっている」という革命的学説を最初に唱えたのはNoam Chomsky。ChomskyはMITの言語学科の教授で、数多くの言語学に関する本を出しているが、Hegemony or Survivalといったアメリカの外交に関しても影響力のある本を複数出版している。
「わーいChomskyだー、言語学だー」
と、うかつに本を買うと、いきなり9-11の話だったりするのでお気をつけ下さい。いや、それにしても、現代においても、ダビンチみたいに多分野に渡る才能を発揮する人っているんですねぇ・・・・。)

1)から、一つの事実が浮かび上がってくる。それは
「先天的に耳が聞こえない子どもには、すばやく手話を教えないといけない」
ということ。耳が聞こえないために、全く言語に触れないまま、大切な最初の数年間を無駄にすると、一生言語もなく、抽象的思考もない状態にとどまることになる。

「抽象的概念」と「言語」のかかわりの興味深い事例として、殆ど言葉に触れないまま育った聾唖者の子どもが、「名前」という概念を理解したときに、ほとばしるような興味を示す話が本には出てくる。馬、犬、船、といった「モノの名前」はそれ自体が抽象的なのだ。スピッツも、セントバーナードも、ダックスフントも、全部「犬」という括りに纏め上げる、というのは、あまりに当たり前で、私たちはなんとも思わないが、実は非常に高度な知的作業であり、それを基にさらに抽象的概念を構築するための基礎でもある。本には、「モノには名前がある」ということを始めて知った聾唖者の子どもが、あれは何、これは何、と聞きまくる、というエピソードが語られる。「名前」は、その先に深い知的世界が広がる、大切な「扉」なのだ。

(ちなみに、以前も紹介した、自閉症の大学教授Temple GrandinはThinking in Picturesで、「モノの名前」が直感的に理解できない、と語っている。「犬」と誰かが言うと、彼女の頭の中には、今まで見た全ての犬の映像が大量に映し出され、その個々の犬の集大成として「犬」という言葉を相手が使っているのだな、と考えるのだそうだ。このあたり、自閉症の原因が、言語中枢とどう絡んでいるのか考えるのあたって興味深い。)

「親の世代が片言でも子どもの世代では完全言語が出来上がる」ということの例なのかもしれないなぁと思ったのは、以前行ったキュラソーという島のローカル言語。キュラソーはベネズエラの沖合いにあるのだが、ヨーロッパの様々な国から集まった「ご主人様」とそれに仕えるアフリカから略奪されてきた「奴隷」という社会構造が、現在の文化の元にある。その結果、現在キュラソーで話される言語は、「英語+スペイン語+フランス語+・・・」という「ヨーロッパ言語ちゃんこ鍋」状態のもの。ヨーロッパ圏の言葉を一つでも話す人だったら、大体なんとなく理解できるはずだ。これも、きっと、いろいろごちゃごちゃな言語を聞いて育った子どもたちが開発したのではあるまいか。

さて、話を元に戻すと、言語は「左脳」の担当である。一方空間や形は「右脳」の担当だ。では、「手話」という「空間での形」を「言語」として認識する機能は、どちらが担当しているのか。答えは左脳。卒中などで右脳が機能しなくなると、「左」という概念を失うことがある。例えば、その人の左側に物を置いても、それを「見る」ことはできない(というか、そもそも「左」とは何かを完璧に忘れてしまう)。しかし、同じように「左」を失った聾唖者でも、手話だけは、左右両方の領域を全部使って「話す」ことができ、かつ相手が左右全領域を使って「話す」手話を解読することができる。

かように、手話は「手の形のぱらぱら漫画」ではなく、完璧な「言語」なのである。Seeing Voicesでは、手話を与えられずに育つ聾唖者の子どもの悲劇などを通じ、人間が人間らしく感じ・考えるために、言語がいかに重要な基盤となっているかが浮かび上がってくる。

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ちなみに、Oliver Sacksは数年前Uncle Tungstenという自伝兼化学の紹介本を出版した。これを読んで私は
変なのはお前だ、Oliver Sacks
と心の中でこぶしを握り締めた。彼の書く奇妙な症例に勝るとも劣らない、変な生い立ちが語られる。家族・親類はみな医者や科学者。例えば、植物学者のおばさんは、庭にフィボナッチ級数に従った列になるよう球根を植えていて、球根と数学を同時に教えてくれる。mad scientistに近いおじさんは、家で放射性同位体を使った永久時計を作っている。外科医の母親は、14歳のOliver Sacksに、14歳の少女の死体を解剖させる。(Oliver Sacksは未だに独身なのだが、これはそのショックではあるまいか、と勘繰ってしまったり。)

こんな面白い過去を持ちながら、そんなことは一つも書かずに、他人の症例をずっと書き続けてきたOliver Sacks。心から尊敬した。そして、
「私も、自分のことをウダウダ書かない人間になりたい」
と心から思った・・・のだが、やっぱり時々書いてしまう。未熟者なんですなぁ。

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さらに凝り性なネタとしては、The Royal Tenenbaumsに出てくる、Gwyneth Paltrowの演ずるお姉さんの最初のダンナがOliver Sacksのパロディ、というのがある。(多分)。白髪の豊かなあごひげを蓄え、奇妙な知覚障害を持った少年(実はやらせ)を見世物にして稼いでいる学者、という触れ込み。見た目の感じがホンモノのOliver Sacksそっくりで笑えます。

Code Orange

クリスマスあたりから、テロの危険が高まっている。私の休暇中も、キャンセルされた国際便がたくさんあった。テロの危険度は、色分けされた「危険レベル注意報」みたいなもので表示されるのだが、今は一番危ないところから3つ目で「わりとやばいかも」というレベルのCode Orangeとなっている。

***

今朝こんな夢を見た。

あちこちで銃撃戦が行われ、爆弾が降る街中をうろうろしている。そのうち、突然自分は実は戦争中の街ではなく、空港にいることに気づく。さらに歩いていると、私のいる場所全体が撮影のセットのような、巨大な作り物であることがわかる。セットは、二つの巨大なドームから成り立っていて、大きなドームの中に、小さなドームが入っているという入れ子構造になっている。

外側のドームは空港のロビーのようだ。そこから内側のドームを覗き込むと、中には大きな街がまるごとセットとして作られ、そこで戦争が行われている。私が最初にいたのはきっとそこだ。しかし、戦争といっても、その場所全体がセットなのだから、そこで行われているのは、本当の戦争ではなく、シュミレーションのようだ。

しかし、シュミレーションではあるが、戦う人たちは真剣だ。
「この世界の人たちにとっては、これが戦争なのだ」
と思ったところで目が覚めた。

起きてからちょっと考えて、「夢の通りだなぁ」と思った。国と国が宣戦布告して、ドンパチ戦う、という一点集中かつ日常生活と切り離された「わかりやすい」戦争の時代は終わって、一体全体、誰とどう戦っているのかよくわからない「テロとの戦い」という戦争の時代になったのだ。でも、今までの戦争と違うから、なんだか「戦争」という実感がわかず「シュミレーション」のような感じだが、これが新しい戦争の形なのだ。

イラク攻撃のような「わかりやすい戦争」も時としては行われるとは思うが、それは全体のごく一部で、これから長いこと、「日常の中に微妙に戦争が入り込んでいる」という時代が続くのではないか。

テロとの戦い、という戦争が長く続くと考える理由は次の二つ。

1)人間は戦争せずにはいられない生き物ではないか、と思うので。
普段仕事をしていても、「誰それは、Aさん側の人だ」みたいな「敵・味方的」「陣取り合戦的」発想をする人がたくさんいるので驚かされる。もちろん、全員がそうではないが、かなり強力な人間の行動原理だと思う。

2)アメリカがあまりに強大になってしまったので、国対国のドンパチ戦争は意味がない。
偉大なローマ帝国と比較されることもあるアメリカの覇権だが、とにかくもう圧倒的に強力だから面と向かって戦ったら勝てる国はない。

ということで1と2を足すと、導かれる結論は今までにないオリジナルな「テロ活動による戦争」ということになる。

あまりにひどいことになると、「こんなひどいことは長くは続かない」と思うのが、人間の常。90年代の日本にも「こんな景気後退がいつまでも続くはずがない。だから近々復活するのでは」という謎の信念があったような気がする。が、しかし、それは甘い。歴史上、何十年も没落し続けた国などザクザクある。

戦争だって同じ。中国の春秋戦国時代なんてなんと500年以上も続いたのだ。中東問題が片付いたとしても、もしかしたら次は中国が火種になる可能性がある。一人っ子政策で男の子を好む親が多いため、男女の人口差が開いてきている中国。このまま行くと、結婚できる見込みのない若い男性が爆発的に増える危険がある。歴史的に、「結婚できる見込みのない若い男性」が増えると、国の政情が不安定になったり軍国主義に走ったりすることが多い。(ヨクボウのはけ口ってやつですね)中国規模の人口の国でそれが起こったらとんでもない。

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テロが生活の一部、というのをさらに実感したのは、この記事

Queer Eyeというテレビ番組がはやっている。(といっても、地上波をアンテナで見ている我が家では受信不能なので、見たことがないのだが。ケーブルテレビが一般的なアメリカでは、地上波オンリーは、日本での「UHFしか入らない」というのに近い。)5人のゲイが、ストレートの男性をおしゃれに改造する、という番組である。「ゲイのメインストリーム化」などと盛んに批評されている。その5人の一人で、ファッション担当のKressleyが、
「オレンジってだめ。オレンジが似合う男っていないのよね」
という、全くもって場違いかつすばらしい発言をしたという話。

「新たな戦時中」の形は、こういうものなんじゃないでしょうか。

新年会

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昨日は、ダンナの会社の新年会であった。10人強のスタートアップである。MITのcomputer scienceの教授がファウンダーの一人なので、若手のエンジニアの多くがMIT出身。上の写真の左から2人めのTimもその一人だが、ある必修のプログラミングのクラスで、毎年課題として出るプログラミングの問題の、歴史上最高点保持者だそうだ。出身はアラスカで、親は金鉱持ちとのこと。「金鉱」というと、日本語だとちょっと間抜けな響きだが、英語でHe has a gold mineというと、「金のなる木を持っている」みたいな意味合いになる。ので、本当にgold mineを持っている、というのはちょっとおかしい。

Timの「プログラミングクラス最高点」というのは、ちょっと色物的ではあるが、これ以外の社員では、もっとまっとうな学問的・起業的実績がある人が何人もいる。Silicon Valleyに免疫のない人は、こういうベンチャーを見て、「おお、すごい会社だ」と思ってしまいがち。だが、しかし、この手のベンチャーはゴマンとある。もちろん、こういうベンチャーでも、失敗する可能性はおおいにある。世の中厳しいのだ。

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年末の休暇で、もっていった本を読みつくしてしまい、宿のライブラリにあったMichael CrichtonのPreyを読んだ。シリコンバレーのナノテク企業を舞台にしたハイテクサスペンス。が、「えー、それは変だよ」と思わせるプロットのアラが結構あった。(が、それでも一気に読んでしまったのだが。さすが人気作家の力技です。)

「それは変だ」の原因は何か。多分、Michael Crichtonは、シリコンバレーのあちこちでインタビューしたのだと思うが、もしかして
「おー、ベンチャーとはこういうものか、すごいなぁ」
と思って、そのまま筆が滑ったのではなかろうか。

登場する企業は、2千万ドル(20億円くらい)をベンチャーキャピタルから調達しようとしているスタートアップなのだが、2千万ドルを集めようとしている、ということは、まだまとまった額の資金調達は1回か2回しかしていないはず。一流の人材を集めていても、やっぱりベンチャーはベンチャー。できないことはたくさんあるのだ。

が、しかし、Michael Crichtonはついつい「一般常識的にすごい大企業がすること」を小さなベンチャーにさせてしまっている気が。例えば登場する会社は、最新鋭の巨大工場を持っている。これから2千万ドル調達するベンチャーには、いくらなんでもそれは無理だと思います。

あと、主人公の職探しを手伝うヘッドハンターが登場するのだが、主人公氏とのミーティングで、すぱすぱタバコを吸い、その煙を主人公の顔に吹きかけるシーンがある。多分ハリウッドで俳優と、そのエージェントが会話しているのであれば、そういう情景はありうるのだろうが、シリコンバレーでは、まず絶対ありません。タバコを吸うだけでも気兼ねする土地柄。煙を相手の顔に吹きかけるなんて、殆ど犯罪行為です。