今日、とある人にこう言われた。
「日本語のblogに自己紹介がない、というエントリーに同感した。で、『同感』というコメントを書こうとしたのだが、『コメントを書くと、メールアドレスから自分だということがわかってしまう。嫌だな』と思い、自己矛盾に気づいた。それで、自己紹介をしたくないbloggerたちの気持ちもよくわかった。」と。
ひょえー。そうか、「自分というアイデンティティと、自分の意見をassociateされたくない」という希望があるのか!!全く思いもよらなかった。私自身は「我思うゆえに我あり」と思っているので、感じたこと・考えたことを私の名前で発表することに何の躊躇もない。もちろん、公表したくないことは書かないが。(例えばbeyondに属することですね。)
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An Anthropologist on Mars(火星の人類学者)という、neurologistのOliver Sacksの小編がある。Asperger症候群(自閉症の一種)の大学教授Temple Grandinに関する実話だが、Templeが(自閉症の特徴的症状として)細やかな人間の感情が理解できないため、日常生活のほとんどで「まるで自分が火星の人類学者であるかのように感じる」と表現した言葉からとったもの。「どういう感情に基づいてこの人たちはこんな行動をするのだろう」ということが直感的に理解できないので、理論的に分析するしかない、ということ。例えば、Templeはロミオとジュリエットについてnever knew what they were up toと言っている。実生活では、仕事場で嫉妬にもとづく嫌がらせを受けても、「嫉妬」という感情が理解できないので相手の感情を逆なでするようなことをしてしまったり。
日本で成長する過程で、私もよく自分が「火星の人類学者」のように感じることがあった。普通の人が言葉で説明されなくても理解できる「あうんの呼吸」みたいなものをはずしてしまうのだ。今回の「自分のアイデンティティと意見とをassociateされるのはいやだ」という希望も、人類学者的には非常に勉強になる発見であった。
多分多くの日本の方には「どうしてそんなこともわからないんだ」とあきれられてしまうんだろうけれど。
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まぁ、アメリカ住まいの今も「火星の人類学者」であることに変わりはない。外国人は日本人以上にわからないことがいっぱいある。しかし、シリコンバレーのいいところは「互いに理解できないのは当たり前」という前提がなんとなくあるところ。宗教・人種・出身地・文化的背景が異なる人たちの寄り合い所帯だから、相手の心のひだがわからないのはみな一緒。
その点では日本にいるときより疎外感が少ないのだ。
blogと自己紹介-その2 from On Off and Beyond
*[[blog]]と[[自己紹介]] – http://blog.neoteny.com/chika/archives/004196.html
*blogと自己紹介-その2 – http://blog.neoteny.com/chika/archives/004196.html
[[ネット]]における[[匿名]]・[[変名]]([[ハンドル]])・[[実名]]宮.
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アイデンティティとオピニオンの問題は、Blog の使われ方を考える上で重要なところですね。
自分のアイデンティティを顔写真と Bio まで入れてしっかり出している人、本名は出しているが写真や Bio まではつけていない人(私はこれに属しますが、故意にそうしていたというよりは、つけることをさぼっていました。)、ある程度アイデンティティに近い情報を出しているが本名までは載せないケース、全く匿名のケース、いろいろありますよね。
結局 Blog の良さは、各自の判断で Blog サイトを構成すれば良いところにあって、構成も、デザインも、コンテンツも、自分で企画・コントロール出来るのが楽しかったりしますね。それぞれのケースで楽しめば、結局はオピニオンBlogはそれ同士で、匿名 Blog もまたそれ同士でリンクしあう形に自然になっていくのかなあ、と。
サイトの作り方で、リンクしあう Blog コミュニティが自然形成されてくるところが、Blog の面白さかなあ、なんて思って居ります。
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こんにちは。
ちょうどその1を読んでから自己紹介については
もし他のBlogにそれが用意されていたら
きっと読むだろうなと思い、そのための準備を始めました。
http://www.preston-net.com/wiki/index.php?%5B%5Bprofile%BA%EE%C0%AE%CE%E3%5D%5D
すぐにはできないかもしれないけれど、
あればコンテンツとしては面白いと思うので、
そのうち追加する人も増えそうな気がします。
どんな項目を用意すればいいのかなどは、
個人個人が判断すればいいですが、
項目を追加しておくと準備しやすいかもしれません。
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自己紹介については、「しなければいけない」とはサラサラ思わないんですが、「別にしても問題ないけど、面倒だからしてないだけ」という人がいれば是非して欲しいと思った、というのがもともとの主旨です。
ほとんどの人が、「面倒だから派」だと勝手に思っていて(私も最初そうだった)、とはいうものの「あえて匿名でblogをすることが意味を持つ」というblogもあるとは思っていました。
しかし、「単に自分のアイデンティティを知られたくない」という理由があるなんてちょっと思いつかなかったので「なるほどそうだったのか。いつもながら、全く私は世の中をわかっていないな」と深く感心してしまったんですよね。
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「自分のアイデンティティと意見とをassociateされるのはいやだ」
と言うことに関して幾らか思うことが有ります。
うまくは文章に出来ませんが、
人によるとは思うのですが、identity が複数有る人も多いのではないでしょうか?
職場での identity, いくつかの友達グループの中でのそれぞれの identity, 家族の中での identity, Net 上での identity 等々、使い分けている(意識していないことも多いと思います)のではないかと思うのです。
意識していなくても、使い分けている identity が思いも寄らないことで一つに成ってしまう恐れも孕んでいるのではないでしょうか?
もちろん積極的にそれらを合わせていく人々が沢山いらっしゃるのも事実ですが・・・
また、文字のみのコミュニケーションによる問題点も大きいと思います。自分の思っていることと異なる取られ方をすることも多いと思いますし、直接対話しているのと違い即時に正すことも出来ません。
また、部分引用されて自分の知らないところで有らぬ方向に持って行かれてしまう恐れもあります。
実社会とNet、analog と digital の完全なる融合はなかなか難しいような気がします。
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Kazさん
確かにいろいろな側面は皆さんあるのでしょうね。
私の場合、このblogを書くに当たって整理してみたら3つしかありませんでした。というか、本当は二つです。OnとOffで、Offの中のあんまりblogという形で公開したくないものがbeyondです。
ただ、私はシンプルな人間なので、私という人間にはアイデンティティは一つしかなく、OnとOffは、一つのアイデンティティの違う側面にすぎません。(ただ、これは「アイデンティティの定義」というセマンティックな問題になってしまうかもしれませんが)
それにしても、世の中の皆さんって複雑なんですねぇ・・・。私は一人の人間でいるのでもう精一杯で、それ以上に増やすのは無理です、、きっと・・・。
「24人のビリーミリガン」という24人格を持つ人の実話を追った驚異的な本がありますが、読んだときは「なんて複雑な人なんだろう」と驚きました。一つしかアイデンティティがないのは私だけだとすると、もしかして「一人しかいない渡辺千賀」とかいう本が書けるのか・・・・・つまらなそうだけど・・。
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わたしも一つの identity しかなくて、そのいろいろな切り口をいろいろな場面で見せているだけだと思っています。使いわけるほど器用ではないだけですが。
意見とidentityを一緒にされたくない、と一緒かもしれませんが、いろいろな人をみていると、「どこどこ出身」とか「どこの会社におつとめ」「なにをやっていた」でステレオタイプにはめて判断したり、深読みしたりする人が大勢いるような気がしています。これは被害妄想かな。
相手のことがわからないと相手の真意がわからない、という深読みしすぎな人へのアンチテーゼとして、わざわざ細かい自己紹介しないでおこう、というアマノジャクなわたしもいます。
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<本物>のblogブームってなんじゃらほい。(山岸俊男「安心社会から信頼社会へ」)
社会心理学者、山岸俊男さんの「安心社会から信頼社会へ」という素晴らしく面白い「社会科学的日米コミュニケーション比較論」をとっかかりに、表面的にblogが流行るとかではなく、朮..
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自己紹介、みたいなもの
最近、自己紹介をするときに困ってしまうことが多いです。 短い時間や文章で、いかに相手に自分をアピールするか、って結構大変。 年を重ねるたびに引き出しが増えていくので、どの宮.
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