本日、Palo AltoのMing’sで、ユーノスロードスターのデザイナー、Tom 俣野氏を講師に招いてのセミナーが盛況のうちに終了。私が代表(兼小間使い)を勤めるJTPAが主催したもの。
Matano氏は、まずデトロイトのGMで働いた後、子会社出向でオーストラリアへ。その後ポルシェからもオファーを受けつつBMに転職、ドイツで働いた後、Mazdaアメリカでユーノス(米国名Miata)のコンセプトから立ち上げた。
どんな国でも「自分の価値観で相手を判断しない。変わったことがあれば、『何でこういうことをするのか』と先入観を持たずによく観察して理解することができれば、必ず上手くいく」というのがメッセージ。
ハイテク産業にどっぷりつかった私がロマンを感じたのは「20年先の将来像を描いて製品開発をする」という話。確かに80年代半ばに開発されたMiataは今でも(バージョン変更こそあれ)あちこちに走っている。しかしその一方で、「自動車開発では一つのプロジェクトには10年関わらないと意味がない」とのこと。これは結構リスク。
ユーノスは、日・米・欧全てのマーケティング部門から「絶対売れない」と言われたそうだ。それを会長の決断で市場に投入したところ大成功した。俣野さんは「歴史的に見て、芸術や技術は個人のスポンサーがいる時に栄える。それは会社においても一緒。」と。
ユーノスは「発売して10年たったら、ユーノス記念アルバムが出版される」ということを計画して、そこから逆算して「こういうバージョンも作っておかないと、記念本がでない」とか、いろいろと手を打ったそうだ。
俣野さんは今はサンフランシスコのdesign schoolのindustrial design部門の長である。腕一本で世界を渡る人なのだ。