第一次世界大戦とドイツ人捕虜とバームクーヘン

Cabo

クリスマス前後、メキシコのCaboという所に行っていた。これは、サンフランシスコから直行便で3時間弱という、東京で言うところのグアムみたいなところです。そして、メキシコと言えば、ただいま大絶賛麻薬戦争中。複数の麻薬カルテルとメキシコ政府軍、警察が入り乱れ、7年で6〜10万人が死亡。ではあるが、Caboの周囲は麻薬の産地でもなければ、密輸の拠点でもないので普通に安全です。

さて、そのCaboで泊まったホテルにて、ダンナと第一次世界大戦の話になった。

なぜかというと、部屋番号が1919だったからである。

「1919って、第一次世界大戦が終わった年だよね」

とダンナに言うと

「いや、終戦は1918年」

とダンナ。(ちなみに彼は古今東西の戦争ゲームが大好き。)

「お、そう?(終戦の条件を定めた)ベルサイユ条約は1919年だけど、終戦してから講和条約までに時間があいたのかな」

早速Googleさまにお伺いをたてたところ、戦争自体は1918年11月11日の休戦協定(Armistice)で終了とみなすのが一般的とのこと。

なるほどなるほど、と思っていると、だんなが

「つか、日本って第一次世界大戦に参戦してるの?」

というので

「してるよ」

と答えたところ

「どっち側?」

「連合軍側だよ」

「ほんとに?ちゃんと派兵してるわけ?」

「うーん、たしかロシアと実戦があったはず・・・」

が、私の脳内では日露戦争とごっちゃになっているので、またもやGoogleさまにお伺い。すると、本当にシベリア派兵をしていた。さらに、青島にあるドイツ租借地を攻略し、4700人のドイツ人を戦争捕虜として日本につれてきたとのこと。

まぁ。

そして、その時捕虜になったドイツ人が日本に広めたものがたくさんあるらしい。

たとえば敷島製パンは、もともと製粉会社だった敷島が捕虜のドイツ人の指導でパンづくりを学びパン業へ進出したもの。

捕虜のカール・ユーハイムは日本ではじめてバームクーヘンを作り、終戦後も日本に残ってユーハイム社を築き上げた。(終戦後も、捕虜のうち170人は日本に残ったそう。)

おーなるほど。だから日本の外ではめったに見かけないバームクーヘンが日本ではあれほど一般的なのですね。

ハム・ソーセージのローマイヤも捕虜のアウグスト・ローマイヤによる起業。ホットドッグも別の捕虜によって日本にもたらされた。

ベートーベンの第九もドイツ人捕虜が日本にもたらしたもの。いくつかあった収容所の1つ、徳島の坂東俘虜収容所では所長の松江中佐の方針により捕虜が厚遇され、それに感謝した捕虜たちがお礼として演奏したのが第九だったとのこと。・・・というのは日本で最近映画にもなったようなので皆さんご存知かもしれませんが、そうか、だから日本では第九が人気なんだ、と膝を打った。

しかし、たった4000人の捕虜を受け入れただけで後世にわたる大きな影響がいくつも生じている。捕虜だからといって虐待していたらこうはならなかったとは思うので、松江中佐をはじめいろいろな人の功績があったこととは思いますが。

この話のポイントは何か、と思うに、「異質なものを受け入れ、相手を尊重して良いものを学べば、その後自分が豊かになれる様々な何かを得ることができる」ということでしょうか。

+++おまけ+++

余談ながら、ドイツではバームクーヘンって一般的なのでしょうか?

なぜそんなことを思うかというと、1990年代半ば、パリに1ヵ月ほど住んでいたことがあるのだが、その時借りた部屋の大家さん(生粋のパリジェンヌ)とこんな会話があったから。

「最近この部屋を貸した日本の女の子たちからよく、ボルドー名産のなんとかというお菓子はどこで買えるか、と聞かれるんだけど、なんのことかしら?名前も聞いたことがないから覚えられないのよねぇ」

と言われ、

「それはもしやカヌレというものではありませんか?」

と聞くと、

「それそれ、そんな名前だったわ」

というので、

「カヌレだったら、(パリの)オペラ座の近くのケーキ屋さんに売ってますよー」

と教えてあげたらメモってました。パリジェンヌも知らないカヌレ、日本で当時大ブレーク中であった。

また別の話としては、ハワイでは「チチダンゴ」なるものが極めて一般的にどこでも売られている。とても柔らかいギュウヒのようなお菓子。名前の響きは明らかに日本語だが「チチダンゴ」ってなんですか・・・と思っていたら、広島の食べ物なんですね。Wikipediaいわく

乳団子(ちちだんご)は、牛乳粉、砂糖水あめはちみつなどを混合して作られる求肥飴という和菓子広島県庄原市和泉光和堂(いずみこうわどう)が元祖である。

1900年(明治33年)に現庄原市内の七塚原高原に、農商務省直営の種蓄牧場が設立され、広島県における酪農のはしりとなった。和泉光和堂の初代は、ここで生産される牛乳に目をつけ、滋養に富む菓子を作ろうと考え、苦心の末についに1934年(昭和9年)初めて乳団子を発売した。

現在では広島県東部を代表する土産菓子のひとつ

 

カヌレしかり、チチダンゴしかり。バームクーヘンも、もしかしたら日本だけでブレークしているものだったりするのでは、と思ったのですがいかがなものでしょうか。

 

第一次世界大戦とドイツ人捕虜とバームクーヘン」への7件のフィードバック

  1. そういえばモンブランもフランス人の同僚が知らなくて、びっくりしたことがあります。
    バームクーヘンは今度ドイツ人の同僚に聞いてみようかな、、、

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  2. バームクーヘンはドレスデンあたりでは名物です。
    ベルリンでも見かけますよ。
    でも国民的人気なのはクリスマス前にスーパーでも売り出されるシュトーレンでしょうかね。3EURで50cm大なのが買えます。

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  3. 第一次大戦のドイツ軍捕虜の影響といえば久留米におけるブリヂストンもお忘れなく。
    足袋屋だった石橋家当主がドイツからゴム加工技術を教わり、ゴム付きの地下足袋、自動車タイヤの生産へと向かう端緒となったとか。
    ブリヂストンのHPには記載がないようですが、小学校の社会科見学遠足で久留米の工場で説明を聞いた覚えが。
    そういやカステラってポルトガルに逆上陸したんですよね…

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  4. >余談ながら、ドイツではバームクーヘンって一般的なのでしょうか?
    おー、たしかに言われてみれば。
    この店で売ってるみたいだなー、と思って通り過ぎたまま結局かわなかった覚えが。
    https://maps.google.co.jp/maps?q=berlin&ie=UTF8&ll=52.521186,13.347986&spn=0.000839,0.004823&hnear=%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84+%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%B3&t=m&z=18&brcurrent=3,0×0:0x0,0&layer=c&cbll=52.521186,13.347985&panoid=TKD_vb3SI99A_MQikVoUCw&cbp=11,284.44,,1,-0.6
    スーパーやパン屋でも各種ケーキはあったけど、バウムクーヘンはなかったかな???(注目してなかったのであんまし覚えてない。。。)
    普通のケーキに比べれば手間がかかるのであんまり普及してないのかも。(wikipediaの方にはそんな記述も。)
    ちなみにビール、ヴルスト(ソーセージ)、シュニッツェル(トンカツ)は至る所にありました。特にビールとヴルストはさすが本場ですねー。ケーゼ(チーズ)も日本に比べれば種類も量も豊富。
    他にジャガイモがKg単位のでっかい袋詰めで売ってたのには笑ったw
    日本人が米を5~10kg入りの袋で購入するような感じなんでしょうね。

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  5. 私は2008−2009年の二年間、パリに住んでいました。
    カヌレは普通のパティセリーでもたまに見かけたような。
    でも、もしかしたら日本人のほうがフランス人よりも早く流行(?)を察知していたのかもしれませんねー。日本人の流行を感知する力ってすごいですよね。というか周りに感化されやすいのかなぁ。あるある大辞典の放映日の翌日には、番組で紹介された品が即日完売だったりしますよね。アメリカではあり得ない気がします。
    フィガロなど、日本人雑誌に載っているパリのレストランやお店って結構地元の人でも知らなかったりします。

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  6. 2012年にパリに短期間滞在しました。
    カヌレは、大きめスーパーのお菓子コーナーにありましたよ。
    懐かしくて思わず買ってしまいました!

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