公用語の英語化、いいことだと思います。グローバルな会社になりたいなら、まぁ必然的に必要だ、ということはさはさりながら、あと「コミュニケーションが簡潔化する」のではないか、と。
(以下、書く英語ではなく、話す英語について語ります。)
母国語から、それほど精通していない言葉に訳すときは、どうしても語彙が足りないので、いかに骨子だけを伝えていくか、が鍵。枝葉末節はいさぎよく切り捨てて、本当に大事なことだけを簡単な文章で伝えていかなければならない。
たとえば
「最近似たようなところにも行ってまして、それとは別に風邪気味で体調も悪いので、できれば今日は行きたくないんですよ」
てな、だらだらした内容を
「I don't want to go」
とピシッと骨子だけ。これで十分意思は通じる。
これ、実際やると、結構脳がフル回転するですよ。
人間、
「自分が何を言いたいのか」
を理解するのは大変なことなのだ。そして、
「それをなるべく短い文章で相手に伝える」
というのはさらに高度。
こうしてみんなが高度に意思を圧縮して伝え合うプロトコルが成立すれば会議が短くなる。さらに、無駄な会議は極力避けることになるでしょう。いいことです。Meetings are toxicとJason Friedも言っているし。
ただし、「根回しの日本語会議をしたら厳罰に処す」とかしないと、会議のための会議のための会議、とかが無限ループで発生しそうですが。
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日本の某商社は、90年代初めに「公用語英語化」を宣言し、結構マスコミにも載ったが、実際に英語化された話はとんと聞くことがなかった。当時その会社にいた方いわく、
「壁に『わが社の公用語は英語』と日本語で貼ってあった」
そうです。
三菱商事じゃないですよ。
なんといっても、三菱商事は当時やっと日本語になったのだ。会話ではなく文書ですが、「漢文から和文」になったのです。
「御承認賜度御検討願度」
というのが社内伺いの最後の決まり文句だった。(和訳=「承認して欲しいので、検討してください」)。社内のワープロで「ごし」と打つと、この10漢字に変換される見事さであった。
さらに、
「為念」(和訳:「念のため」)
みたいな、レ点が必要チックな接続詞もいっぱいあった気がする。その一方で、
「ドント・ヘジテイトでカム・トゥー・マイ・ルームね」
などというなぞの発言をする人たちもいる楽しい会社でした。
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なお、「公用語英語化」とは別に、
「社内では、全員、お互いをファーストネームで呼び捨てにする」
というのも導入してみるのはいかがでしょうか。これ、実際昔私がいた会社で実行した部署があって、人間関係が相当フラットになったらしい。アシスタ
ントの女性も
「ヒロシ、それは違う」
などと活発に発言するようになったとか・・・。
公用語は日本語のままで実施可能です。
イヤー、面白そう。
「公用語英語」も「社内ファーストネーム呼び捨て」も、トライした方は、結果がどうなったか是非教えてください。
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こんにちは。
社内英語化をすると、逆に説明が多くなったり、難しい形容詞や副詞をつかっている文章を多く見かけます。
そのため、意味が通じづらくなってしまうことも多々あるきがしますw
敬語文化なので、言い回しも want ではなく、 would like to と言ってみたり、やたら受動態の文書が多かったりw
かくいう私は、プログラマー出身な事も手伝って、「ビジネスコマンド」として英語を使っているので、直球すぎるようです(爆
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ネットでもフランクになればいいのに。回りくどい書き方が多い。日本語は実は英語よりずっと短文にできるのに。
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三菱商事の漢文の話は、笑える! やっぱり三菱財団の創始者、岩崎弥太郎さんが、士族出身だったからでしょうかねー。
たしかに「自分が要するに何が言いたいのだろう。」ということを把握するのは、大事ですよね。
ただ日本語が便利だなーと思うのは、敬語があるから、敬語さえ使っていれば、相手を尊重しているように聞こえること。アメリカは敬語がないのに、ヒエラルキーは結構あるから、かえって微妙な言い方をしなくてはならない。一番いいのは、日本でもアメリカでも、ヒエラルキーのあり過ぎない組織に勤めることだろうけど、そういうのって、選べるようで選べないし。
いずれにしても、普通の日本人が英語があまり話せないのは、日本が他の国の植民地であった時期がとても短いから。それはやっぱり悪いことではないと思うし、無理に「会議は英語で」なんてすると、それこそ千賀さんのおっしゃるとおり、日本語の根回しが、もっと盛んになるだろうし。あと、例えば英語は下手だけど、中国語は上手という人材に不利な環境を作ることが、組織にとっていいことだとも思いません。
だからまー、月並みだけど、日本の各人が、それぞれのペースで、日本語+何か一つ外国語、が出来るように頑張っていけばいいんじゃないでしょうか。それに、最近は小学校でも英語教えるようになったし、アメリカ人の先生が随分小中高に入り込んでいるから、企業の公用語が英語という無理なことを今しなくても、少しずつ日本人の英語に対する感覚は変わっていくのでは、と私は思います。
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先日会社の同僚から、最高のUSB Hubを見つけたが、日本製で日本でしか販売していないので、購入する前に仕様書を読んでから最終決定したいので、英語の仕様書がダウンロードできないかどうか、調査してくれと頼まれました。そのサイトにいくとすべて日本語!!!英語版のサイトはありません。仕様書もすべて日本語。自社は私に本業以外の翻訳をお願いするほどの暇もお金もなく、購買は打ち切りになりました。あらま~日本は最高級品を作っているかもしれませんが、日本のお客さん以外はお断りという無言のメッセージでした。日本以外の市場を否定してこれからやっていけるのでしょうかね。もし日本経済のグローバル化に貢献できるなら、可能な限り有効な手段は使うべきで、英語の訓練が役にたつならがんばらなければならないでしょう。
英語下手下手人間で、どうしたら英語が上手になるか真剣に考えてきましたが、行き着く先は千賀さんがおっしゃるように、結局簡単な文章で効果的に話すしかないということでした。
警告:
1) 曖昧な考えしかない状況では、簡潔な表現はできない。 簡潔な表現というのは以外と洗練されているもので、しっかりした自分の考えが要求されます。
2) コミュニケーションは言語だけではない。簡潔な表現をしても、美しいスマイルや強い目の力がないと コミュニケーションは成立しない。そして理解してもらうためには普段からの相手に対する思いやりや心がけが意外とものをいうものです。
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「御承認賜度御検討願度」は、すごく面白いですね。漢文が大嫌いだったので、当方ならきっと書けないでしょう。
某製薬会社のIT部門にいた時、仲間うちでは、ニックネームやファーストネームも使いましたが、基本すべての会社の人に○○さんを使っていました。これなら目上の方にもそれ程失礼にならず(実際は本人が精神的に楽)、割と定着してましたね。他社の人の前で重役を”さん”付けで呼ぶのは、偶に相手が驚くので、選んで使ってましたが。
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漢文の話はほんとですか(笑)それいいなあ、個人的には好きだなあ。やっぱり「自分たち流の言葉遣い」をちゃんと作っていくっていうのって、より強くクセを出して集団としてのブランドパワーを高めるための秘訣だったりしますよね。ま、その漢文調が生み出すブランド力が今でも通用するかどうかはともかくとして。マッキンゼーも相当そういうことに気を使ってるからこそのナンバー1ってとこあるもんな。
外資コンサル出て「ザ・日本の中小企業」相手の仕事をしていた身としては、英語どころか英語っぽいビジネス用語使っただけで「ヒソヒソ・・なにこの人?」って感じの扱い受けてたんで、無理矢理英語化すると、ka_chi_oさんのコメントのような事態になることは予想できます。
「俺たちは普通の日本の会社じゃないぜ」的一部の先進企業でやるならいいんですけど。「俺さっき英語だったからこういう言い方したけど実際の意図としては・・・」みたいなコミュニケーションを二重三重にやる必要になったり、あるいは日本の会社は「みんな頑張ったな!っていう実感が得られるまで際限なく余計な仕事が生まれて仕事が終わらない性質」があったりするので、余計な苦労を捏造量産して「はい、みんな苦労しました」っていう流れに持ちこむはめになったりとか。
というかこの話題で相当ヒステリックな言説が日本に溢れてること自体が、「その感情問題を適切に処理せずに放っておいたらヤバいぜ」ということの証明ですよね。自分と関係ない一企業でそうしたってだけでコレなのに、あちこちで公用語化したら毎日ほんとストレスフルな「調整」をしまくる必要が出てきそうな。
でも、「あいつ英語っぽい言葉使うけど根は悪いやつちゃうねん」ってことになると逆に「言葉遣いごとみんなでマネして一緒に楽しむモード」になったりもしますね日本人の集団は。要は嘘でもなんでも「それぞれみんなそれぞれなりに頑張ってるよね」って演出ができていさえすれば、余計なこと言ったり余計な苦労したりしてわざわざ「一緒に頑張ってる感の演出」をせずに済む流れになるので、大事なのはそういう「共同体的一体感とかその自明性とか」をちゃんと演出してやることだと思うというか痛感してたことですね。むしろそれを意図的にちゃんとやらないから、どっち付かずになって「個人圧殺的な労働環境」が生まれるんだという。
「共同体的自明性の演出」のための儀式的要素って、グーグルにしろアップルにしろマッキンゼーにしろ「アメリカ合衆国」にしろ、強い集団には絶対必要というか一番大事ぐらいの要素だと思うんですが、日本企業のそういうソフトインフラがいかにも時流に合わないっていうか「いまさら運動会とか駅伝大会とか言われても」なのしかないのが一番の問題の根幹で。
時流やグローバル時代にあう形の、「僕たちってこうだよね的自明性」を演出してさえやれば、「まあまあ、みなまで言うな。わかってるって、思い切りやってこい!」的なコミュニケーションが出来るようになって、逆説的ですがそうなったら社内公用語を英語にしようが全然OKというか、「英語ってサクサク進むから面白いねえ!」ってみんなで言えるようになると思います。そこまで行けば、「社内公用語の英語化でコミュニケーションの圧縮率が高まったね」は確かに実現すると思いますね。色々軽いノリで行けるようになるっていうか。
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(圧縮率が高まることは)ない。と思います。外国人が経営の重要な地位にいる某日本企業でのその人のメッセージをみましたが、とにかく長い。何を言いたいのかさっぱり解らない。あげくメッセージとは関係なく突如として社内スローガンがでてきて更に混乱をしているようです。これらのためには長文の英文を用意することが必要です。会話についても、同様で、何十枚ものスライドを見せられてそれについて議論するとなれば一言二言で意思を伝えることは容易ならざる現場であってそうかといって勝手に行動し成果を挙げようとすれば周りの足の引っ張り合いが起きることは言語によらず、全く、公用語が英語かどうかということは、グローバル化とは無関係だと知ることになります。本当に先を見通せ会社や社会のためになることができる人というのは公用語がなんであれ日本の会社ではより長く存在しているいわばコミュニケーションのハブによって潰されているのです。
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元67xx.Tのエンジニアですけど、Sirだかなんだか知らない社長がわけわからん英語でメール流してきて、
お前はいっそゴルバチョフに改名しろよ、と思いましたねー。
どこの世界でも「馬鹿とはさみと言葉は使いよう」のようです。
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トラックバック送信が上手く行かなかったので、こちらにて失礼致します。
http://blog.livedoor.jp/wakanay-part2/archives/51527140.html
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確かに日本語で考えるのと、英語で考えるとでは思考回路が変わる=コミュニケーションにも大きく影響する。恐ろしいくらい言葉の壁を感じています。。。
長くいる会社、そして外部のコミュニティにも英語を取り込んでいくことで、仕事のレベルをあげていきたい。。そんなことで、カンファレンスでこんな企画してみやんした。
http://www.jshrm.org/4_timetable/conference.html
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かなり前から閲覧させて頂いております。
日本人が英語を苦手とするのは、義務教育のお陰ですよね!
もし仮に、日本人が自由に英語を喋れるようなったとしたら、世界最高税率の所得税や法人税を逃れるために、優秀な日本人や日本企業はどんどん海外に流出してしまう可能性がありますよね。しかしながら、海外の技術を取り入れて国を発展させるためには国民に英語教育をせざるを得ないわけでもあります。この利害関係に悩みに悩み、文部科学省をはじめとするお偉いさん方はある巧妙な教育手法を生み出したのだと思います。そこら辺にごろごろいる、読むことは出来ることけど、書いたりしゃべったりできない人材です。英語がなかなか上達しないのは、義務教育で使えない英語脳をインプットさせられたためだと思います。
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一概には言い切れないでしょうけが、英語化はコミュニケーションを簡潔化する方法の一つなのかも知れません。それが適した会社、場であれば。一定の英語力を持った人が集合していれば、簡潔な言葉から発言者の意図、文脈などを読みとることができると思います。私がいた会社は外資系の巨大な通信販売会社でしたが、様々なレベルの人がいましたので(最底辺は私)、コミュニケーションに混乱が生じていたのは事実です。
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そうそう。いまだに「御承認賜度」とか「為念」
は健在っすよ~~~。
当時の漢文と並んで変な和製英語だったのは
テレックスの名残なのか、TKSとかASAPとか
略語が多かったっす。メールになって一字幾ら
と料金が掛からなくなっても、こういった表現は
なくならないモンっすね~~~。。。
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圧縮率が高まるかどうかは各自の内面の問題なので正直なところ、操る人の思考の結果に依るとしか言いようがないですね。
100%確実に言える事は、コミュニケーションを取れる世界が何倍にも広がりますね。
当たり前ですが。
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たしかにjust a readerさんが言うとおり、アメリカ人の英文メールが、短くてクリアとは限らないですね。それに短くて、無神経に見えるメールが上司や同僚から送られてくると、受け手が「何これ~?」って怒っている時間というのも生じて、組織全体としては、それはそれで無駄な時間になってしまいますね。
でも、外国語で話すことで、自分の意思なり、感情なり、あるいは物事の本質が見えやすくなるということは、あるような気がします。例えば「明朝XXしましょう」ということを言いたいとき、「明朝なんていう英語、習わなかったよ。そんな話するのやめよ~」って思うのではなく、「明朝」というのは要するに「明日の朝」だから「明日」という言葉と「朝」という言葉を足してみれば何とかなるのではないか、tomorrow’s morningでもtomorrow morningでも良いからと、開き直る精神というか。
千賀さんが例としてあげているアシスタントの「ひろし、それ違う。」という発言のすがすがしさは、そのアシスタントがそういう開き直りの境地に達している感じがするからだと思います。そして、そのアシスタントがちゃんと周りの日本人にちゃんと受け入れられているのだとしたら、その企業は随分うまく行っている企業なんじゃないかなと思います。
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M商事ではありませんがM銀行にも「為念」はあります。
しかも現存して社内文書に掲載頻度が高いです。
中途で出向してきたので最初は戸惑いましたが
文化だな(笑)と理解しました。
数少ないおぢさん(50代)の日本語が美しく感じるのは
回りの20代が乱れている所為でしょうか?
(40代のおぢさんより)
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それは漢文ではなく、候文です。漢字が並んでる=漢文ではないので、要注意。
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でも候文=和製漢文? いずれにしても、候文の奥行きは深い。それを英語に変えてしまうのは、惜しい :-)!
http://homepage1.nifty.com/~petronius/kana/saurahu_ziturei.html
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