書評:ロボトミーとアメリカの黄金期

   

同時期にアメリカに生まれた、ADHD気味な二人の男性の180度異なる半生記。一人は12歳でロボトミー手術を受け、もう一人は黄金の50年代を謳歌する。

偶然最近二冊とも読んだのだが先に「黄金期」の方を読んで、その後ロボトミーの方を読み、途中で

「あれ、この人って、もう一冊に出てきた人と同世代じゃないの?」

と思って確認したら、ロボトミーの人が1948年生まれ、もう一人が1951年とたった3年違いだった。

「黄金期」のほうはユーモアたっぷりのエッセー、紀行文、科学関係の本の著者として知られるBill Brysonのもの。

(Bill Brysonは、A Short History of Nearly Everythingという本の著者でもある。これ、出色のできです。変な科学者・偉大な科学者・とんでもない科学者、そしてその人たちの発見がこれでもか、というばかり出てくる。以前、枕の10分の一は垢とダニというエントリーを書きましたが、この元本がこれ。)

中流階級がものすごく豊かになって、生活がどんどん向上する黄金のアメリカの50年代を少年として過ごした著者の話。お父さんはものすごくケチなのだが、そのお父さんが遠路はるばるなんと夢のディズニーランドに連れて行ってくれる、という話があって、これは笑える。「ここがディズニーランドだよ」と入り口まで連れて行ってもらっても、「入り口を見にきたんだな」としか思わない少年。ディズニーランドはお金持ちだけが行くところだと信じ込んでいたから。しかし、なんと入場券を買って中に入れる、ということがわかって、心配になった少年は母親に聞く

「僕、白血病か何かで死ぬの?」

そんなことないわよ、と母親に言われ、次の質問が

「お父さんが白血病で死ぬの?」

それくらいの重大事でなければ、ディズニーランドになどいけないと思ったわけです。

で、この人、全く落ち着きなく、あちこちでいたずらをしまくるのだが、尋常でなくうっかりモノで、かつ暢気な母親におおらかに育てられ、伸びやかな大人になり、人気作家として成功するのであった。

そして、同じ時期に同じアメリカに生まれたもう一人の少年は、同じく落ち着きなくあちこちでいたずらをしまくって、それがゆえにたった12歳でロボトミー手術を受けることになる。

ロボトミー、若い人は知らないかも。「スケバン刑事」で麻宮サキのお母さんが受けて廃人になる手術がこれ。麻宮サキは、母親を人質に取られているがゆえに逃げられないのだ。前頭葉を切り離す、というとんでもない手術で、凶暴性の高い人、強度の鬱などの画期的な治療法として一時期脚光を浴びたが、その後デメリットのほうが大きいということで行われなくなった。

さて、この本の著者がロボトミー手術を受けるに至ったのは、父親の再婚相手である継母に著しく嫌われたため。ヒステリックな継母は、あることないこと医者に告げる。それにしたって、内容は「乱暴だ」とか「嘘つきだ」とかそういう、子供だったらありがちなこと。しかし、運悪いことに、この医者はロボトミー手術の普及に狂気ともいえる情熱を傾けたマッドサイエンティスト、Walter Freemanだったのだ。で、Freemanは継母の話を真に受けて、では、とばかりにロボトミー手術をしてしまう。

(その前に継母は何人もの精神科医に相談するが、そのほとんどが「治療が必要なのは、子供ではなくあなただ」と告げたにも関わらず。)

Freemanのマッドサイエンティストぶりはすごい。生涯で5000人にロボトミー手術を行い、さらに彼が教えた医師が行ったものも含めると、4万人がこの人の間違った情熱による啓蒙でロボトミー手術を受けたことになる、と本にはある。(こちらでは、Freemanがロボトミー手術をしたのは2500人。いずれにせよ数千人単位なことに間違いはないようだ。)

「手術室を使わずに、普通の診療室で簡単にできる」

ということで、途中からはなんとアイスピックで執刀。(やがては「アイスピック風」のデバイスとなったが、最初は本物のアイスピック。)麻酔科医を使わなくてもできるように、となんと電気ショックを与えて患者を昏倒させ、その間に目玉とまぶたの間にアイスピックを入れて、ぐいっと前頭葉を切り離したのであります。Freemanは手術の記録を取るのに熱心な人で、「手術中」の写真もご丁寧に全員分撮っており、アイスピックを突っ込んだままで撮影、この間にアイスピックが脳のほうに落ち込んで死亡した患者もいたのにもかかわらず、その後もずっと「アイスピック入れたまま撮影」を続けるという狂人ぶりを発揮する。

(全く余談だが、アメリカでは、「医者」と「病院」は別のもので、「病院」は手術室や入院病棟を提供する「ハコモノ」の性格が強い。医師は別の場所で開業しており、手術が必要になると、病院の手術室、付随する看護婦、麻酔医などを手配し、そこに訪れて執刀する。なので、手術室をどれほど使っても本人の収入にはならないこともあり、自分の診療室だけで済ませられると便利なのであった。)

ちなみに、このMy Lobotomy、舞台は私も住んでるLos Altosという町なのだった。ダウンタウンの一角にFreemanが開業していたオフィスがあり、そのすぐ近くに著者の家族も住んでいた、とある。本を読んだ後、住所を頼りに見に行ってみたが、Freemanのオフィスは今はもう道路となってしまっており、筆者の住んでいた家も建替えられて新しくなっていた。それにしても、こんな身近でこのようなことがあったとは・・・

なお、手術の後に、筆者を連れたFreemanがサンフランシスコの学会に行くという記述がある。ここでFreemanが、手術を受けた少年は12歳だ、と言うと、聴衆の医師たちは衝撃を受け、口々にFreemanを非難、罵声が飛び交う混乱の場になってしまった、とある。ちゃんとしたお医者さんたちもたくさんいたのね、とちょっと胸が熱くなりました。(当たり前か)。

少年は、手術直後はゾンビのようだったが、数ヶ月で復活、また普通に学校に通えるまでに復活する。

しかしその後、やはり継母との仲は悪く、少年院、精神病院へと送られ、そのまま社会には出たものの、ドラッグ中毒のならずものとして40台半ばまでを過ごす。その頃になってようやくまともな職を得て、今では長距離トラックの運転手をしながら家族を養っている。

そして2005年に、NPRのラジオ番組でロボトミー特集があり、その語り手として著者が起用される。この番組は大きな反響を呼び、この結果、本の出版にも至ることとなった。実は私もこの番組をリアルタイムで聴いたのだが、衝撃を受けました。いろいろなラジオ番組制作で賞を取っているプロデューサーの手によるもので、センセーショナルさはなく、静かで深い悲しみに震撼させられるもの。本人が父親にインタビューするシーンもある。

実はFreemanの手術の記録は全てアーカイブとして残っており、実際に手術を受けた人が行けばいつでも見せてもらえるのだが、この本の筆者以外には行った人はいない、とある。ロボトミー手術を受けた人の多くが廃人、または廃人同然となってしまったから、行きたくても行けなかったのでありましょう。

著者は最近になってMRIを受け、普通だったら廃人になるレベルの傷を脳に受けていることが証明される。12歳という発達期に手術を受けたため、損傷を受けた部位を補うように脳が発達し、普通の人と変わらない行動ができるまでに復活したらしい。上述したとおり、その「復活」は数ヶ月で起こっており、子供の力を感じます。

で、多分、My Lobotomyの著者とThe Life and..のBill Brysonは、どちらも今だったらADHDと診断されるような子供。いずれも手に負えないが、頭の回転は速い。しかし、一方はロボトミー手術を受け、もう一方は楽しく少年時代をすごす。この比較はなかなか恐ろしいものです。

ちなみに、ロボトミーのラジオ番組はこちらで聴けます。リンク先には著者が手術を受けているときの写真、執刀に使われたアイスピックを持って写っている現在の写真などもあります。

<おまけ:「枕にダニ」の話が載っているBill Brysonの科学史本>

書評:ロボトミーとアメリカの黄金期」への11件のフィードバック

  1. 少し前にこの記事を読んでショックを受けました。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%9C%E3%83%88%E3%83%9F%E3%83%BC%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6
    http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/lobotomy.htm
    あまりの悲劇に、未だに単なる作り話に思えてなりません。
    そして最近何故か人気を集めたこの記事。その反応を見ていると、人間は歴史から何も学ばないのかと悲しくなります。
    http://kokoro.squares.net/psyqa1498.html
    http://b.hatena.ne.jp/entry/http%3A//kokoro.squares.net/psyqa1498.html
    >12歳という発達期に手術を受けたため、損傷を受けた部位を補うように脳が発達し、
    >普通の人と変わらない行動ができるまでに復活したらしい。上述したとおり、その
    >「復活」は数ヶ月で起こっており、子供の力を感じます。
    これで奇跡的に復活したとして、
    「能に損傷受ける前の彼」と、
    「能に損傷を受けた後に奇跡の復活を遂げた彼」と、
    この二人の性格や、或いは「人格」が同じである保証があるでしょうか。
    誰がなんと言おうと、損傷を受けた部位にあった彼の個性は永遠に失われたでしょう。
    その後に能の他の部位がそれに相当する機能を補ったとしても、
    それがかつて存在していた彼と同じ人格であると、いったい誰が保証できるでしょうか。

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  2. chikaです。
    著者も「自分は損なわれた人間なのではないか」「たった12歳でロボトミー手術を受けるなんて、なんて不幸な」と思って生きてきたのですが、文中のラジオの取材を通じて
    「実は12歳という子供のときでラッキーだったのだ。おかげでこうして家族を持ち、きちんと生きていくことができた」
    と思うに至ります。(これを、ほかの人が本人に言ったらもちろんそれは人非人ですが、本人の感慨ゆえ重いものがあるわけです。)
    「あなたはロボトミー手術以降損なわれている」
    「もはやあなたは完璧な人間ではない」
    と言う事は、それはそれで、本人に対する冒涜であるのではないか、という気がします。
    (ロボトミー手術をしていいかどうか、というのとは全く別問題として。)

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  3. アメリカは恐ろしい国だ。web2.0とかいうのも、ロボトミーにつながるのでは、とくに、インドのテロでネットが悪用されたのに対して、業者側はそれ以上に貢献しているとかいって、小さな一人の人命を犠牲にしていいような広報をだしたりして。

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  4. 投薬で個性を改変するのとたいして違いは無いと思うのですが。アプローチがハードかソフトかというだけで。どちらかというと生理的な嫌悪感という敷居がないソフトなアプローチのほうが危険をはらんでいるような。
    「老人を敬わない最近の」どの世代の老人もこのての愚痴をいいますね。どの世代の老人も敬われるようなことをしてこなかったということを自覚していないという証明でしょうか。

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  5. 投薬を用いて人格で改変するのは「洗脳」であり、やはり正常な医療の範疇外だと思います。
    同性愛に対する『治療』(それが投薬なのか去勢なのかロボトミーなのかその他なのか詳細については分からないけれど)を嫌ったアラン=チューリングが、それを苦に自殺したと言われていますね。自分が自分でなくなるのは、それは死ぬのと同じですよ。

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  6. 千賀さんがリンクされていたラジオ番組を聴きました。なんともいえない悲しみがこみ上げて来ました。たった200ドルで少年の人生を180度変えてしまうロボトミー手術を行った医師はもちろん、義母も、それを見過ごした父親も、その罪は深い、、、と思います。医療行為とは名ばかりの「抹殺行為」ですよね、、、。それにしても、父親との対談には私は怒りを感じました、、、。はたしてこの父親は自分のしたことに対して、息子と同じほどの苦しみを味わったのでしょうか・・・。

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  7. ロボトミー、と聞くと、「カッコーの巣の上で」を思い出します。
    日本でもこの手術が元で、殺人事件がおきてますね。
    ところで、
    個人的には、女性や子供が犠牲になるような性犯罪を犯した人間には、この手術を適用するべきでは?と思ってます。(再犯率が高いそうですし。)

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  8. ロボトミーを施されたことを恨みに思って(まともな判断力も失って)、医師の妻と親を殺した事件の話の直後に、犯罪者にロボトミー手術をしろとはまったく笑えないというか、あまりに酷いギャグですね。

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  9. chikaです
    >父親は自分のしたことに対して、息子と同じほどの苦しみを味わったのでしょうか・・・。
    本を読むと、このお父さんも大変な人生で、妻の家族と仲が悪く、その妻を早くなくし、その後家族を支えるために3-4の仕事を平行してしながら、学校に通って学位をとったり、とそれはもう涙ぐましい苦労をした人なんですね。(小学校の先生をして、帰ってきたらスーパーのレジうち、その後コダックの工場で働いて、週末はフルでさらに働く、みたいな)。あと、すでに80過ぎで、もはや「そんな昔のことを言われても」という感じもあったかも。。。。
    「カッコーの巣の上で」
    本によると、この作者も私の住んでいるところの近くの病院(Palo AltoのVeterans Hospital)で働いていたことがあり、その経験を元に書いたとか。シリコンバレーはロボトミーの震源地なのか・・・。

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  10. 千賀さん、ありがとうございます。
    そういう背景を知らないで番組だけを聴いて書いたので、偏った見解になってしまいました、、、。背景を少し理解してからあの対談の場面を思い出すと、親子がともに声を詰まらせていた部分の意味が少しわかるような気がします。やっぱり本は大事ですね。機会があったらぜひ本も読んでみます。

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