私がシリコンバレーツアーをサポートする理由

梅田望夫さんが好きそうなタイトルだが、以下パロディではなくまじめに書きます。

シリコンバレーツアーというのは、シリコンバレーの日本人NPO団体、JTPAで毎年やっているセミナーツアー。今年は3月6日から9日で、応募は今週いっぱいで閉め切る。20人の定員で、去年は100人強の応募があった。サンフランシスコ空港集合、同空港解散(つまり、前後に勝手にアメリカ旅行をくっつけられる)。3泊4日で、食費、交通費(団体バス)、宿泊費、シリコンバレーには欠かせないロゴ入りJTPATシャツ、全てこみで450ドル、約5万円。予算としては3000ドルほど足が出るのだが、これはJTPAが寄付で集めたお金で補填する。

(つまり「超お得」ということです。)

ボランティアメンバーで、企画、運営を全て行っており、セミナーで話していただく方も、皆無償で来ていただいている。スタンフォード大学で宇宙工学のPh.D.取得中の樋口君がロケット設計並みのスケジュールとタスク分担表を作り、シリコンバレーの母と呼ばれるゆみさんが自らおにぎりを握り駆け回ってあちこち交渉。その他総勢10名以上のボランティアがせっせと働いてやっと実現するツアーです。

なぜにしてこんな面倒なことをやるのか。

多分、ボランティアでやっている人は、それぞれ違う理由があるはず。以下は、「私の理由」です。

「本当はシリコンバレー向きでありながら、それを知らずに、日本で生きにくさを感じている人に、

『おお、シリコンバレーで働くというオプションもあったんだ』

と知ってほしい」

というのがそれ。

シリコンバレーというのは、多分日本のほとんどの人に取ってはつまらない場所、嫌な場所だと思う。飲みにいくところもないし、閑散としているし、クーガーは出るし、雇用は安定しないし、技術トレンドはどんどん変遷するし、住宅は高いし。

一方で、一部の人にとっては、「こんな場所があったなんて!神様ありがとう」という場所でもある。(ちょっと大げさだが。)

その一部の人とは、飽きっぽくて、新しい物好きで、技術が好きで、権威が嫌いで、伝統に疑問を抱きがちで、自由が大切で、個人主義で、家族が大事だと思う人たち。

(最後の「家族が大事」については、アメリカの他の場所に比べるとシリコンバレーはダメな場所ではある。仕事のペースが速いので。しかし、ペースの速い仕事をしながら家族も尊重する、というバランスを追求している場所でもある。よっぽど激しいベンチャーの急成長期に働いているのでもない限り、家族持ちは家で夕飯を食べるのが普通。というわけで、日本、特に東京と比較したら圧倒的に家族を大事にできる。)

さて、そういう「一部の人」である私は、日本で成長する過程は大変だった。「もう一度子供の頃に戻りたい」という人がいるが私は絶対に嫌です。思わず赤字で書くぐらい嫌。(他の国にドロップしてくれるなら考えないでもないが。)

幼稚園時代「うるさいガキどもに毎日囲まれたら気が狂うから、幼稚園の先生にだけはなりたくない」と思った私には、「大きくなったら幼稚園の先生になりたいです」という周囲の女の子は異星人。でも、異星人だったのは私。小学校に行っても、最初の3週間で1年分の教科書を全部読んで問題も解き終わっちゃうので、その後は、わかってることを聞くためにひたすら毎日授業に出る毎日。(科学の実験は楽しかったが。)運動神経なかったので、体育の時間はイヤーな時間。しかも転校したら超いじめられて、友達もいないのに学校に毎日行く(っていうか、当時は、怠慢な担任だったので、私ともう一人の子が教師役でクラスに教えさせられてた。なんじゃそれ。)中学は先生とそりが合わず、高校でも浮いてた。大学はもっと浮いてた。男女比50対1だったし。

いや、まともに大人になった私は偉い、としみじみ自分を褒めてあげたい。誰も褒めてくれないから、自分で褒める。実は不良になるにも集団行動ができる必要があり、それができなかったのが、私がまともに大人になれた最大の秘訣かもしれないのだが。

そして、一応まっとうな大人になった後も、会社という仕組み、日本というシステムは、私に取っては異星の仕組みであった。

東京という都会以外にエキサイティングな仕事があまりない、というのもつらかった。人ごみが嫌いなので。大学の頃の夢は、「後楽園を丸ごと森にして、その真ん中に家を建てて、ひっそり暮らす」ことであった。仕事は東京じゃなきゃできないよね、と諦めていたので、せめて家はうっそうとした森で誰にも会わずに、、、と。あり得ないけど。

それに、日本における私の最大の問題が「もてない」。(笑)

一生仕事をするのが当然だと思う私。(なぜなら、結婚相手の仕事ぶりに左右されるのが嫌だから。自分の失敗は受け入れられても、他人の失敗の影響を受け入れるのは堪え難い。)説教されるのが嫌いな私。「本当は料理できるじゃん」と言われるとげんなりする私。(「先々料理を作ってもらえる」という家政婦を求める下心が見えるから。「そこまで言わなくても」と思うかもしれないが、パートナーの品定めに必死の若かりし頃は、「食べ方がいや」とか「上昇志向がなくちゃいや」とか、他から見たらどうでもいいようなことを、みなさん真剣な条件にしてるじゃないですか。私の場合はそれが「料理、本当はできるじゃん」の一言だったのでした。)

そんな私が、大和撫子の国、日本でもてないのは、ま、火を見るより明らかである。

しかし、気が強くて家事ができない女がわんさかいるアメリカでは、そんな私でも普通の人だよ。

というわけで、最先端の仕事ができるのに田舎暮らしができて、しかもダンナまで見つかるという、すばらしい土地がシリコンバレーなのです。(ま、私みたいに過激ではなく、「日本も快適だけど、シリコンバレーもいい」ということで当地に住んでいる温厚派もたくさんいますが。あと「気が強い女が多い」というのは男子諸君に取ってはデメリットでもあるな。ま、嫁は日本で探していただきたい。)

以上、大変だった自分の過去を鑑み、日本で生きにくい思いをしている人たちに、他のオプションもあるということを知ってもらいたい、というのが私がツアーをサポートする理由。

「日本の将来のため」とか「日本の国際性の向上」とかそういうマクロな動機付けもないではないが、そういうのは私的にはマイナー。「個人を助けずに全体を改善することはできない」というのが私の信念故。

で、そのシリコンバレーが自分に向いていそうかどうかは、このセミナーツアーで、現地の会社を訪問して、スタンフォード大学のキャンパスを歩いて、シリコンバレーに住んでいる日本人のパネルディスカッションを入れ替わり立ち替わり聞けばわかると思います。ご興味のある方はぜひご応募くださいませ。

ツアー詳細、応募要項はこちら

私がシリコンバレーツアーをサポートする理由」への7件のフィードバック

  1. >飽きっぽくて、新しい物好きで、技術が好きで、権威が嫌いで、伝統に疑問を抱きがちで、自由が大切で、個人主義で、家族が大事だと思う人たち。
    私もそんな一人と自負しています。ただシリコンバレーではなく中国に住んでいるので、全然快適じゃありません。
    重苦しいUさんより、軽やかなチカさんのブログが好きです。

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  2. Chika-san,
    私もこのエントリーで書かれているChika-san程ではないですが、すこし似た様な経験をしています。小学校の時から、結構浮いていて、いつも落ちこぼれ、仲間はずれにされたこともありました。大学卒業後、最初に入った日本の会社で、飲みに行った時、「会社の方針や目標、方向性が良く社員に伝わっていないと思う。もっと会社の目標等を社員と共有すべきだ」と言った所、当時の上司が怒り出し「そんなことは、上が考える事で、下のやつは何も考えずに言われた仕事をすればいいんだ!!」と言われました。それでも、仕事はそれなりにできたので、その後も割と好きにやらせてもらいましたが、3年後に外資系に転職。その会社は、本社はそれなりに大きいのですが、子会社は100人少しの規模でした。(業界では大手)その会社は、一般の基準で言うと、かなりアメリカナイズされていて、外資系の方でも日本的なカルチャーはあまりない方だったのですが、それでも、いわゆる日本的人間関係等で、全然なじむ事ができませんでした。自分はうわさ話や陰口がすごく嫌いなので、そういった話にまったく加わっていなかったら、完全に浮く様になってしまいました。
    やめたかったのですがスキルを身につけてからと思い、淡々と仕事をしていたら、突然、シリコンバレー本社の方への赴任を命じられました。このアサインメントは当時、長年働いた幹部候補の中から社内から一人選ばれるものだったので、比較的新参者の私が他を差し置いてしまったので、周りからかなり白い目で見られました。また、通常1年のところ本社側の要求で延長され、結局2年間働く事になりました。(95〜96年)
    シリコンバレーでの2年間の生活は、自分に取っては、天国の様な生活でした。米国のビジネスカルチャーが自分にとって向いていて、すごく気分良く仕事ができ、プリベートも楽しく過ごしました。当時、自分にとって、シリコンバレーは住むのに世界で一番の場所だと心から思いました。
    と言う事で、Chika-sanがおっしゃる”「こんな場所があったなんて!神様ありがとう」という場所”の表現は、私に取ってはまさにその通りです。
    赴任期間が終わり、泣く泣く日本に戻ってからも、人間関係で再び浮いた状態となり、精神的にかなり追いつめられました。本社で勉強させてもらった恩もあったので、3年間は恩返しのつもりでがまんしようと耐えました。(日本的な考えです)
    3年少したった後、本社の方から現地採用のオファーをもらい米国に戻りました。担当事業の関係で、この時はシリコンバレーでなく、テキサスのオースチンになりました。オースチンには、シリコンバレーの様に、少し足を伸ばせば、ビーチ、スキー、ハイキング、ワイナリーといった楽しめる場所は近くにありません。おいしい日本食もないですし、大人の日本人にはあまり楽しめることが少ない気がします。一方、仕事環境(人間関係も含め)はシリコンバレーよりも良いかもしれません。また、オースチンは、”家族”特に子供にとっては住むのに素晴らしいところです。娘が一人いるので、娘のためにはここが取りあえず一番、と思って住んで、既に7年になってしまいました。
    自分としては、シリコンバレーが心のふるさとなので、いつか帰りたいと考えています。今、娘が十才なので、ミドル・スクールに行く時に戻ろうかとすこし考えています。
    Chika-sanのエントリーを読んで、思わず自分の昔話を書いてしまいました。長々としたコメントすみませんでした。

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  3. >もう一度子供の頃に戻りたい」という人がいるが私は絶対に嫌です
    周囲には、子供の頃に戻りたいという人がいますが、私には信じられません。私は、今が良いです。
    戻りたくない。次は、ここまでこれないかも。
    でも、戻ったら知識も戻るから、同じ事をするのだと思う。
    いつも清涼剤になる文章をありがとうございます。

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  4. 私はもう一度子供に戻って、もっと勉強してPh.Dを取ってシリコンバレーに来たいですね。
    こちらに来てから学歴の重要さを感じています。
    日本よりも学歴社会ということを日本にいる人に知って欲しいですね。
    シリコンバレーは本当に面白い場所です。
    もうこちらに住んで7年半になりますが一大奮起して来てよかったと常々思います。
    私は流行のIT系ではなく半導体系です。それでもやっぱり面白い。

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  5. chikaです
    中国は個人主義っぽいように思うんですがやっぱり大変なのでしょうか・・・・。
    Alpha-san, hdk-san,
    ご経験談ありがとうございます!シリコンバレーほんとに学歴社会ですよね。しかも、大卒が日本の高卒位の価値しかないし・・・。(逆に、学部しか出てなくて重要な地位についている人を見ると「叩き上げ」っぽくてカッコいい、きっとすごい仕事ができるんだろうな、と思ってしまうのは私だけでしょうか。)
    shou-san,
    知識・経験が大人のままで、いきなり小学生に囲まれる毎日も厳しいですよね。考えただけで大変そう。飛び級しまくったりして「天才でわっ」と周囲をぬか喜びさせるのも悪いし。(結局行き着くところは今と同じレベルでしかないわけで。)うーん、厳しい!

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  6. Chika-san,
    お返事ありがとうございます。わたしも会社に入ってから知りましたが、アメリカ(シリコンバレー他)は本当に学歴社会ですよね。自分のまわりは、超有名な大学出身で、ほとんどMBAかPhDを持っています。(学歴に関する話題は普段しないのですが、話のはずみで知ることになります。)
    ちなみに私は学部卒のみです。(しかも日本の)。その人の立場や、やっていること、経験等によるかと思いますが、私の学歴に対する見方はちょっと異なります。
    自分の経験からの意見なのですが、学歴は会社に採用される時等、その人のスキル等があまり分からない時点で、ある重要な仕事の機会を与えるかどうか、といった様なところで大きな差があるのでは、と思います。
    ただし、採用、重要なプロジェクトを任された後は、学歴はまったくと言っていい程、関係ありません。仕事がどれだけできるかが、はるかに重要となります。私は、今の会社の中に限って言えば、学歴で不利だと感じたことは、まったくありません。(入ってしまった後なので、、、)
    あまり詳しくは話せませんが、別の会社との極秘の合弁事業の事業計画の作成や妥当性の検証、買収案件の選別や調査といったプロジェクトにおいて、各部門のエキスパートとして社内から選別されたり、会社の担当分野の代表として選ばれて仕事をしたりしこともあります。その時の選考基準には学歴は関係ありません。だれが選ばれたといった様なことで、米国の会社内でも(ものすごく、ごく一部)多少ねたみやいやみはありますが、日本とは比べ物にならないくらい紳士的(少なくとも表面上は)ですし、与えられた仕事に対してアウトプットが出ていれば、周りからも自然と評価がもらえます。(この点が、日本とは決定的に違う気がします。)ただし、そういった仕事につけば、つくほど、まわりは高学歴になっていきます。
    私の勤める会社で、リストラの際、ハーバードのMBA保持者や、一般で言えば超ブランド超高学歴の人が、あっさりとレイオフされたり、採用された後に、あまり仕事ができず、大したことのない仕事しか与えられない様なケースを何度も見てきいます。
    一方で、ものすごく頭が切れて、仕事もすごい、という人で、後で学歴を知ったら、やっぱりね、と思うことももちろん多くあります。
    学歴はあった方が、いろいろと機会を得られるチャンスもあるし、知的な興味としても、スキルアップという点でも、勉強したいと思っているので、本当は取りたいです。私の場合、もう、結構いい年なので、転職等では、あまり学歴のメリットはないので(経験やスキル、そして人間関係(コネとかでなく、仕事ができる人、業界内で顔が広いエグゼクティブから評価されていることの方が重要)の方がはるかに重要と思います)、、、でも、やり直せるのであれば、大学からアメリカでやりたいと思います。
    自分はSr.Managerのレベルですが、この上にいくのはかなり難しいです。このまま、がんばって、うまくいってもDirectorだと思います。(やってることが日本と関係ないので、余計ハンディがあります。後は、マネージメント能力、プレゼンテーション能力といったスキルの面でもちょっと厳しいです。)
    という事で、私の場合、そろそろ自分で仕事を始めようと思っています。事業を始める場合も、最初は学歴があった方が(圧倒的に)やり易い様な気がしますが。。。まあ、Gates氏やJobs氏もいることなので、比べ物にはなりませんが、持っている駒で勝負するかしかないと思っています。
    再び長くなってしまい、すみませんでした。

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  7. >中国は個人主義っぽいように思うんですがやっぱり大変なのでしょうか・・・・。
    日中シンクタンク同士の対話について読むと、金太郎飴のごとく同じ意見だとか。
    お偉いさんと違う意見を言う事が、許されていないような感じだそうです。
    文化大革命のトラウマが、まだ残っているのかもしれません。
    詳しくは下記で。
    溜池通信
    http://tameike.net/
    佐藤守のブログ日記
    http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/

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