祖父が亡くなったので、急遽日本に行ってました。
死というのは究極の不連続点。なんといっても、昨日まで生きてた人が、その時点で命を失う訳です。しかも、絶対に元に戻ることはない不可逆な断絶点。
そして葬式というのは、残された人間が喪失を受け入れるために、よく考えられたしきたりなんだなぁとしみじみ感じました。通夜、告別式、荼毘、納骨、と段階を踏んで別れを納得できるようになっているんですね。さらにまた、それは自分の死を受け入れる準備だったりもする訳です。
これまでは、「自分が死んだら葬式も特にせず、粉になるまで圧倒的に燃して、その辺にばらまいてくれればいいや」と思ったものですが、それって、残される人の気持ちを考えてないよな、と思い直しました。やっぱり少しずつ時間をかけて儀式をして、自分の気持ちに整理をつけていくというのが、後に残る人にとっては大事なことではないかと。
しかし、火葬の時間が短いのは驚いたですよ・・・。
火葬炉の外側にあるステンレス製の扉が閉まってから、もう一度開くまでほんの30分強。しかも、再度開けたときには、もう係の人が触れるくらい中の温度は下がっているのでした。ということは、本当に焼いている時間はどれくらい?
都内だったんですが、5−6台の火葬炉で、次から次へと遺体が荼毘に付されていく様には圧倒。
前の人のお骨を出したら、二人掛かりで中をさっと掃き、扉の外側にかかった名札をばっと取り外して次の人の名札を入れ、新しい棺桶が炉の前に運び込まれる。この間約5分。そして30−40分後には次。
単に火葬にするだけではなく、年配で足下のおぼつかない人も多い遺族を、右に左に采配する係の人たちはきわめて厳粛かつ整然かつ正確。火葬を終えた同行者が、数台の車やバスに分乗して帰る時には、全部の車に乗った人たちの数を数えあげ、取りこぼしがないことも確認していました。これは日本人にしかできまい・・・。
いずれにせよ、火葬というのは、死が圧倒的な不可逆変異点であることを象徴する儀式。なんといっても骨(の破片)になってしまうわけで。(しかも30分)。
これに比べると土葬というのは、諦めきれない人は諦められないのでは・・・という気がします。
18-19世紀のヨーロッパでは、「埋められてから棺桶の中で生き返る」ということが広く信じられ、
「万が一生きかえった時用に、鈴を地上に置き、それを棺桶の中から鳴らすことができる」
という「安全棺桶」が開発され、数多くの特許申請がされたとか。逆に言えば、それくらい、「埋葬」=「不可逆な死」という事実を納得するのが難しいということかもしれません。
なくなった後の儀式は、残された人のためというのは実感です。なくなったとき、当事者は葬式で忙しく、初七日、35日など、だんだんと記憶が薄れていくにつれ、儀式も減ってくる。
思い出すことで、忘れることもあると知っていたのでしょうね昔の人は。
歴史の英知を感じます。
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過去に日本で過剰な形でダイオキシンが問題になったときに、火葬場からのダイオキシン排出も結構な話題となって、だから公的な設備では非常に高温燃焼をするようになったと聞きました。
火葬では、趣味人だった父親が死んだとき、棺に色々なものを入れようとする母親を止めるのに少々骨が折れた記憶が……(葬儀屋には火葬場に怒られるからと言われた)。父親は趣味人であり、同時に社会貢献好きでもあったので、そのライン(死んでから他人に迷惑を掛けるのは本人も希望してまいとかなんとか)から何とか説得に成功しましたが。
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キリスト教で非衛生にも拘らず伝統的に土葬が行われてきたのには、キリストの死からの復活という宗教的ポイントがあると思います。キリストの奇跡のひとつに死んだラザロを復活させるのもあります。そのため、復活をしないように焼いてしまうことがはばかられたのでしょう。
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そういえば小学校低学年のとき、火葬がめちゃめちゃ怖くて、僕が死んでも絶対に焼かないで欲しい、と切実に訴えてたような記憶が。
でも今は逆に埋葬の方より火葬にして欲しいですね。なんとなく。
御爺様のご冥福をお祈りいたします。
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土葬はヨーロッパだけと思われてるようですが、日本も昔は土葬が殆どでした(最後の審判を待つために土葬にするヨーロッパと比べると火葬率は高かったですが)。
明治を過ぎても、昭和初期までは、遺体を綺麗に焼ける高機能な火葬場が少なかった事もあり、土葬は一般的でした。地方によって、土葬の作法や儀礼にも様々な物があり、調べてみると面白いです。
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(初めまして)
自分は田舎の人間で,うちの地方では小さいときから土葬が当たり前な環境でしたが,昨年103歳で祖母が亡くなった際には,ついに火葬になりました.
祖母自身の希望としても土葬というのがあったのですが,手間を考えるとやむなしという感じです.また,その手間には条例的な面もあるように聞きました.(詳しくははわかりませんが.)
埋める場所はいくらでもある田舎でも,火葬を奨励してるような傾向があるのでしょう.
ちなみに祖母が土葬を希望した理由は,キリスト教の復活を期待する世界観とは違って,「故郷の土に帰る」という,ある意味日本古来の宗教観に基づくものだと思います.うちは四国ですので遍路=弘法大師=真言密教の考えが浸透していたのでしょうし,真言密教は八百万の神々(日本的アミニズム?)の影響を受けていると聞きます.
かく言う私も同じ考えで,少年時代を過ごした故郷にそのまま埋めて欲しい希望を持っています.
多分嫁より先に死にますので,機会あるごとそのことを嫁に頼んでいますが,「あんたみたいな大男をわざわざ運べるか!カリッと焼かせてもらいます!」とつれない返答です.
こっちは冗談で言ってるんじゃないのになぁ・・・・・(笑)
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chikaです
>棺に色々なものを入れようとする
うちも、「和牛ステーキ肉」がそっと入れられました。(祖父が肉が好きだったので・・・)
>日本も昔は土葬が殆ど
「土葬になった死体から出る燐がヒトダマの正体」、、という話を何度も聞いたことがあるんですが、あれは本当なんでしょうか???ちなみに、うちの父親は子供の頃何度もヒトダマを見た、あれは土葬だったからだ、と言っておりますが。
>カリッと焼かせてもらいます
すごい・・・なんかすっきりさっぱりですねー。ちなみに、中国では「大男をわざわざ運」んでおり、「キョンシー」はその風習から登場したという説が。。。。(http://www.chikawatanabe.com/blog/2005/04/please.html)
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>残された人間が喪失を受け入れるために、よく考えられたしきたりなんだなぁとしみじみ感じました。
これを読んで思いました。
1.通夜から葬儀まで全部参加した祖母の死は受け入れている
2.通夜にも葬儀にも参加できなかった大学の同級生は、まだ生きている気がする
今でも、「あれ、あいつ今どうしてるんだ?いやまてよ、数年前に亡くなったよな・・・」と思うんですが、そういえば4年前にも同じ事を書いていました。
http://kamesan.net/diary-03/diary-030901.html#12
自分が死んだら面倒くさい葬式はやめて30分でさっと終わらせてもらいたい、と思っていたけれども、死なれる側のことを考えると通夜・葬儀と2日のビジット期間を設けるのがベストみたいですね。
日本人がどんどん海外に進出していくと、今後はオンラインでストリーミング葬儀・火葬をオプションとして付けられるかもしれません。Youtubeで生前メッセージとか。
アメリカではもうやってるのですね: http://www.online-funeral.com/demo1.htm
日本はどうだと「オンライン葬儀」で検索したら引っかかったので「え?」と思ったら、「オンライン|葬儀見積もり」でした。まだ時期尚早か。
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>やっぱり少しずつ時間をかけて儀式をして、自分の気持ちに整理をつけていくというのが、後に残る人にとっては大事なことではないかと。
親や祖父/祖母が亡くなるのと、
子供を亡くすのとでは、
葬式の持つ意味が大きく違ってくると思います。
祖父/祖母くらいなら心構えができているのに、それでも気持ちの整理を
付けるのにはそれなりの儀式が必要でしょう。
これが子供の場合なら、親はやりきれない気持ちでいっぱいだと思いますよ。
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はじめまして。
祖父母の葬儀を久しぶりに思い出しました。
25年以上前のことです。
その頃の私の地元では、やはり土葬が一般的で、TTさんがおっしゃることと似ていて、人は土から生まれ、土にかえるものだという考え方からだと思います。
地元の法改正で、現在は出来ないはずですが。
しかしちょっと話は変わりますが、父の実家は1000年近く同じ場所に住み、お墓も父の実家の敷地内にあります。
そして、驚くべきことに、
墓石は、当主以外は、リサイクルなのです。祖父のお墓は良く見る形をしておりましたが、祖母のお墓は、随分風雨にやられた感じの石で、父に聞くと、大昔のご先祖様の誰かのだ、と。
子どもの頃は、それが当たり前かと思っていましたが、
友人につい言ってしまってドン引きされて以来、誰にも言いませんでした。
敷地は決まっていて、それ以上広げられないとか、諸々理由はあるようです。。
確かに、相当数ありますので、これ以上増えるのも掃除やお参りが大変です。
・・・現在は、世間体もありますし、そういった習慣はやめたようです。
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私は死んだらダイヤにしてもらう予定です。たぶん。
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