何かを好きになるために努力すること

基本的に好きになるには努力が必要だ、という話。

「なんとなく、こういうものが好きになりたい」

という方向性はもともとあっても、実際好きになるにはがんばらないと・・・とかいうと偉そうだが、まぁ、単なるヨタ話です。

たとえばうちの母親。

若い頃、デパートの食堂で、生まれて初めて「キムチ」を食べたそうな。その強烈な匂いと味に、「オエッ」と来て、その日は食べられなかったのだが、後になって心残りとなり、

「あれが食べられないのは悔しい」

と再度同じ食堂に行って、もう一回キムチに挑戦。

「オエッ」

・・・これを3回繰り返して、ついに

「キムチが大好き」

になったそうである。

うんうん、こういうの、わたしも時々ある。

「これが嫌いなのは悔しい」とか、「これが好きだったらカッコイイなぁー」とか思って挑戦しているうちに好きになるんですな。

たとえば、「ベジマイト」。「オーストラリアの納豆」という誉れ高き食べ物である(私が呼んでいるだけだが)。見た目チョコレートスプレッドだが、野菜を発酵させて作った謎の塩味旨味物体。最初はかなり「オエッ」と来ましたが、トライし続けているうちに大好物に。(トーストに塗ることができるモノとしては珍しい塩味、ということもある。)

さらにいえば、

「海外で暮らす」

ってのもそれ。英語の勉強も嫌いだったし、ついうっかり高校でホームステイなんてものに行ってしまった時は、あまりの辛さに泣きが入ったが、でもだんだん年を取るにつれ加速度的に日本で暮らすのも大変になっていったこともあって、もう一回試してみて、また日本に帰って、、、、と繰り返しているうちに好きになりました。

エーリッヒ・フロムは「愛することは技術である」と言ってますが、ま、広義で言うと似た話?

フロムいわく、愛は「決意であり、決断であり、約束」であって、
「そのなかに“落ちる”ものではなく、“みずから踏みこむ”もの」、と。

同じような話で、「天職」とか「運命の人」みたいなのがあって、そういうのに出会えさえすれば落雷に打たれたように好きになれる、というのって違うなーと思うんですよね。「好き」になるには、それなりになんでも努力が必要なのではないか、とそう思うわけです。

何かを好きになるために努力すること」への17件のフィードバック

  1. 大いに同感です。欲望をエデュケーションするっていうのを聞いたことがありますが(原研哉さんだったかな?)、好きなものの方向性も同一のように感じます。

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  2. いつもOn、Offともに楽しく拝見させていただいています。
    アプローチはかなり違うものの、かの、みうらじゅん氏も同じことを言っていました。
    「これだけ頑張ったんだから、好きじゃないわけがない」と自分を(ほぼ)洗脳する、それがすごく重要だと。
    私自身、Chikaさんにもみうらじゅん氏双方に全く同感です。

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  3. 人がものを食べるときには、以前食べたときの味の記憶や、その食べ物の匂い、見た目などにより味を予測してから味覚を感じるらしく、その認識のことを”スキーマ”というらしいです。
    だから初めて食べたときはおいしくないと思ったものも、しばらく食べたら大好きになることもあるらしいです。何回か食べている間にスキーマが脳内で形作られて、味に対する正しい(むしろ相対的で、正しくない?)評価を下すことができるようになるようです。
    逆に嫌いになって久しい食べ物は、なかなか好きにはなれないのはこの為でしょうか?
    30年ほど前にポカリスエットが発売された当初は、全く新しい味だったため、日本中の人にスキーマが用意されていなかったため、かなりの人がまずい、不思議な味、という感想を持ったにもかかわらず、しばらくすると定番の清涼飲料水となった、とか、コーヒーと思って飲んだ液体が醤油だったときに、パニックになってしまうのは、脳はコーヒーのスキーマを用意していたために混乱してしまう、など、日常にもスキーマの存在を感じる瞬間はありますよね?
    ただ、このスキーマという言葉は25年ほど前、小学生だった頃科学の本で読んで以来一度も聞いたことがないので、あまり広く認められていない概念なのかも?
    Chikaさんの話を読んで、ちょっと思い出してしまったので書き込んでしまいました~。

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  4. 同感。共感。
    まさにその通り!と思います。
    「好き」になるにはやはり「思いいれ」が必要だと思うんです。で、その「思いいれ」はやっぱり努力(入れ込み作業)があって初めて発生するものだ・・・と。

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  5. 対モノ・コトと対ひとでは、異なるのではないかと思います。対ひとの場合は、努力してもどうにもならない部分があるのではないでしょうか。

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  6. スゲーそう思います。
    というか、一歩進めると、「そういうプロセス」を経ない「ポンと好き」になるようなものっていうのは、自分本来のアプリオリなものというよりは、生まれてこの方あれこれ親や社会や下らないアレコレに洗脳された「よそ行きの顔」が発言しているに過ぎない・・・・的「人間存在へのロマンチシズム」が僕は好きです。
    むしろ、>>「これが嫌いなのは悔しい」とか、「これが好きだったらカッコイイなぁー」<<っていうのは、世間的に言われる「ただの意地や見栄」ではなくて、むしろ「飼い慣らされてたまるか!という自由への咆吼」という意味において「ロックンロール的な本当の自分」に近いんだぜ!!とさえ言ってやると言いたいところです。
    さらに思うに、人間「欲望を炸裂させられる絶対的な”量”」が大事だという感じがしていて、「世の中的にOKだし好きになりやすいけれども欲望を炸裂させられるスペースが少ない」場所よりも、「世の中的に?だし最初は”好き!っていうのは難しい”けれども、無尽蔵な欲望を無制限に炸裂バクハツさせられる領域」というものを探しだし、そこに「自分の居場所」を確定させていくプロセスこそが、「人間の進化」ってヤツだと思います。
    いや、なんか熱く語ってしまいました・・・・ところでちょっと前の「天才」の話で、「現実に地震が起こるのかよ!」ってツッコミたかったんですけど、遠慮しました・・・・アレはなかなかスゴイこと書いてますね。もしそうだとしたら、ドラゴンボールみたいに「地球を壊さないように自分の能力を制限しながら・・・」っていう話になっちゃいそうな(笑)

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  7. その通りだと思いました。
    うまく言葉に表現できなかったことを表現してもらった心地です。

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  8. 基本的には同感ですが、人間好きなものはあらかじめ既におおよそ決まっているのではないでしょうか?
    嫌いなものは嫌いです。好きなものが好きなので、理由はありませんね。DNAにインプットされているのではないでしょうか?何だか好き、何となく気が合う等々ありますよね。。。アメリカはなんとなく私も肌に合います。日本はジメジメ、満員電車でいやですね。。。でも階段は
    健康にいいですね。。。

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  9. 食べ物はそーゆーの多いですよね。大人になってから(いつからが大人なのかその境界線は曖昧ですが)好みが変わったりってのもありますけど。
    でも、僕にとってどれだけ頑張っても果物の王様「ドリアン」だけは最凶でした。初めて「これは何度挑戦しても食えん!」って完敗でした。。。
    英語、私も27歳になって初めて海外に出るまでは大の苦手で、ずーっと避けて通ってきましたが(大学時代に英語の科目で無遅刻無欠席、宿題全部提出、全試験参加したにも関わらず「不可」をもらったときは英語に殺意さえ抱いた・・・)、意を決心して一旦出ると楽しくて仕方がないです。
    ま、英語というか、英語で外国人とコミュニケーションを取る、というのが正確ですね。
    > 対モノ・コトと対ひとでは、異なるのではないかと思います。
    とのコメントがありましたが、対ヒトでも似たようなことはあると思います。僕は以前、生理的に合わない、と思っていた人と仕事で一緒になり、初めはかなりショックで極力関わらないように距離を置いていたのですが、これでは仕事に差支えが出ると思い、どんどん接する努力をしていくと、今では大と呼べるぐらいの親友になりました。

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  10. いつも楽しく拝見させていただいています。
    普段はものすごく共感することばかりなのですが、「なんとなく、こういうものが好きになりたい」と思ったことが人生で一度もなかったもので、今回は人の心の多様性を思い知った次第です。
    最初は嫌いだったものを、いやいやながらも繰り返しているうちにだんだんと好きになってくるというのは、僕にとっては「好きになるために努力している」のではなく、「何度もやっているうちに、最初は気づかなかったいい面が見えてきた」という感じなんです。これはChikaさんが書かれていることとは違いますよね。
    好き嫌いは僕にとってはダイレクトなものなので、「これが嫌いなのが悔しい」とか「あれが好きだったらカッコいい」という感情があることすら、今まで知りませんでした。
    決して批判しているわけではありませんので念のため(笑)。自分が感じないことを他の人は感じているということを知るたびに、心が広がる気がします。

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  11. ベジマイトの話で思い出したのですが、片桐はいりさんの「わたしのマトカ」というエッセイに、サルミアッキというフィンランドのお菓子のエピソードが出てきます。これも、最初はオエッっとくるそうなんですが、フィンランド人が大好きなのだからと、はいりさんはことあるごとにサルミアッキに挑んだそうです。えらいですねぇ。
    ちなみに、はいりさんは「わたしのマトカ」と「グアテマラの弟」という二冊のエッセイを出されているんですが、面白いのでお勧めします。異文化に対する好奇心や感性など、なんだか千賀さんのOFFのエントリーと似た匂いを感じるのです。

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  12. chikaです。
    >かの、みうらじゅん氏も同じことを言っていました。
    みうらじゅんさん、好きです~(笑)
    >何回か食べている間にスキーマが脳内で形作られて、味に対する正しい(むしろ相対的で、正しくない?)評価を下すことができるようになる
    構造定義マップ、って感じですか・・。言語学とかXMLとかでおなじみですが、こんなところでもスキーマという言葉が使われるんですねー。
    ちなみに、わたし、脳内でカチカチカチとスキーマができる瞬間を感じられるときがあります。
    何度か食べたけどダメで、しばらく断念してたものが、ある日突然頭の中で味がボッと再現され、しかもそれが「望ましい味である」と認識されるんです。(想像の中で、です。)で、その後で実際食べてみると、本当にこれが美味しいんですな。スキーマはどこからやってくるのか、って感じですが。
    >TBさせて頂いたんですが
    承認制なんですが、承認待ちに入ってませんでしたー。もう一回トライしてみてもらえます?(なんかTB、上手くいかないことが多いんです。申し訳ありません。)
    >好き嫌いは僕にとってはダイレクトなものなので、「これが嫌いなのが悔しい」とか「あれが好きだったらカッコいい」という感情があることすら、今まで知りませんでした。
    そうですねー、なんていうか、「主義主張」の問題かな。「スタイル」もしくは「テースト」の問題っていうか。ある「スタイル」または「テースト」を貫くために、避けて通れない「何か」があって、その「何か」が最初はちょっと嫌でも、「自分のスタイル」を実現するためにがんばる、、って言う感じでしょうか・・・上手く言えないんですが。
    >人間好きなものはあらかじめ既におおよそ決まっている
    あ、えっと念のため、元エントリーは
    「どんな嫌なことでもがんばれば好きになれる」
    ということでは*ありません*。
    「好きな方向」「嫌いな方向」みたいなのは、やっぱりあらかじめあると思います。
    ですが、その「好きな方向」のものであっても、やっぱり何がしかの努力をしないと「本当に好き」にはなれないことが多い。
    努力には時間がかかるので、「好きな方向のものを本当に好きになる」ための時間を作り出すためにも、「嫌いなもの」は極力避けて通らないといけない、ということもあるかなーと思います。
    >片桐はいりさんのエッセー
    見つけたら読んでみますー

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  13. >承認制なんですが、承認待ちに入ってませんでしたー。もう一回トライしてみてもらえます?(なんかTB、上手くいかないことが多いんです。申し訳ありません。)
    あら、この時点で時間をおいて3回ほどやってました。前に何度かできてたのに、、なんででしょうね。
    >申し訳ありません。
    いえいえ、お気遣いありがとうございます。うちのブログも時々TBできないよーって言われます。TBってブログシステムの中では最も不安定な感じしますね。
    ではでは~っ。

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  14. あは、分かる気がします。>突然好きになる
    私の場合「嫌いなものでも100万回トライするまで、それが本当に嫌いとは認めない」という謎の信念をもって、常にチャレンジし続けることにしています。
    あとは、逆のパターンもありかな。
    「あー、やっぱり嫌いだった!」と安心してみたり。
    何気に、最近は「嫌いでい続けるのも難しい」と感じますが。。。

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